岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

朝、6時前に起きて トリノの華を観る

2006-02-22 16:34:15 | オリンピック、パラリンピック

朝起きるとちょうどスルツカヤの演技が終ったところだった。
間に合った。目覚しもないのに、うまく起きれるものだ。
フリーの時もぜひ目を覚ましたい。

さて、荒川さんの演技はどうだったか。最初のジャンプは、緊張していたが、
なんとか取り繕った。
V字バランスも手を離すところで少しバランスが崩れかけたが、持ち堪えた。
後は彼女の大きな滑りを楽しめた。
彼女の得点は予想以上だった。審判の評価が高い。

村主さんの演技はだれが評価できるのだろうか。
審判は技術や構成を評価するが、審判以外の人間はそんなことはしない。
スケーターを、技術をベースにしたアーティストという目で見ているのでは
ないだろうか。
少なくとも私は演技の中に技術を超えたものを求めてしまう。
それがスポーツに求められるものかどうかは意見の別れるところだ。

フィギュアスケートはいわゆるスポーツとは異なるといわざるをえない。
例をあげるとコスチュームである。オリンピックで自前の服を着るスポーツは
他にはない。音楽も自前である。
もちろん、コスチュームや音楽の評価はない。
しかし、荒川さんのように直前に曲を変更したり、安藤さんのようにワダエミさん
にコスチュームを頼んだりするのは、点に影響するからに違いない。
その上、荒川さんは、加点されない得意技もフリーでいれるという。
これは、評価の対象にならないながらも、なんらかの影響を及ぼすためである。
もちろん、加点にである。
考えれば考えるほど不思議な競技である。

米国のコーエンが技術の高さで戦うなら、村主さんや荒川さんは観る人の目線を
意識して戦う。
特に村主さんは観るものを惹きつけて離さない世界がある。
SPの曲構成もダブルアクセルの着地でフラメンコに曲が変わる。
静から動へ劇的転換である。ぐんぐん惹き込まれる。

そしてフィニッシュを迎えて、観客は突然、これがスポーツであったことを
採点によって知らされる。
そして4位というスポーツの採点を見て、どういうことか戸惑ってしまう。
まったく罪作りな「スポーツ」だ。


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