朝起きるとちょうどスルツカヤの演技が終ったところだった。
間に合った。目覚しもないのに、うまく起きれるものだ。
フリーの時もぜひ目を覚ましたい。
さて、荒川さんの演技はどうだったか。最初のジャンプは、緊張していたが、
なんとか取り繕った。
V字バランスも手を離すところで少しバランスが崩れかけたが、持ち堪えた。
後は彼女の大きな滑りを楽しめた。
彼女の得点は予想以上だった。審判の評価が高い。
村主さんの演技はだれが評価できるのだろうか。
審判は技術や構成を評価するが、審判以外の人間はそんなことはしない。
スケーターを、技術をベースにしたアーティストという目で見ているのでは
ないだろうか。
少なくとも私は演技の中に技術を超えたものを求めてしまう。
それがスポーツに求められるものかどうかは意見の別れるところだ。
フィギュアスケートはいわゆるスポーツとは異なるといわざるをえない。
例をあげるとコスチュームである。オリンピックで自前の服を着るスポーツは
他にはない。音楽も自前である。
もちろん、コスチュームや音楽の評価はない。
しかし、荒川さんのように直前に曲を変更したり、安藤さんのようにワダエミさん
にコスチュームを頼んだりするのは、点に影響するからに違いない。
その上、荒川さんは、加点されない得意技もフリーでいれるという。
これは、評価の対象にならないながらも、なんらかの影響を及ぼすためである。
もちろん、加点にである。
考えれば考えるほど不思議な競技である。
米国のコーエンが技術の高さで戦うなら、村主さんや荒川さんは観る人の目線を
意識して戦う。
特に村主さんは観るものを惹きつけて離さない世界がある。
SPの曲構成もダブルアクセルの着地でフラメンコに曲が変わる。
静から動へ劇的転換である。ぐんぐん惹き込まれる。
そしてフィニッシュを迎えて、観客は突然、これがスポーツであったことを
採点によって知らされる。
そして4位というスポーツの採点を見て、どういうことか戸惑ってしまう。
まったく罪作りな「スポーツ」だ。
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