日本人の公共性について、課題を与えられたのは十数年前に英会話学校の講師から。
講師はアメリカの若い女性。
彼女が日本を訪問した理由を話した。
「母が日本の空港に到着し、入管手続きをしようと重たい荷物を運んでいた。
重たいので休み休み歩いたが、日本人は通路を追い越していくのだが、だれも
声をかけたり手助けをしてくれなかった。日本人の精神構造(メンタリティ)は
どうなっているんだ。私は理由を知るために日本に来た。
皆さん、教えてほしい」
リップサービスのない真摯な質問に戸惑ってしまった。
思いつきで答えたが、答えになっていなかった。
確かに、日本人は困っている人がいても、見て見ぬふりをする。
電車の中でお年寄りが立ち、若者が座席で座っていることは多い。
「知り合いとは助け合い、知らない人にはかかわらない」という答えまでは
考えていたが、そうは単純ではないこともわかっていた。
日本人は誰に対しては親切で、誰に対しては無関心なのか。
この答えは、日本国中を歩いて日本人を知り尽くした宮本常一さんに聞くのが
一番だ。
宮本さんは、このようなことを言っていた。
日本人は知り合いに対しては徹底して親切だ。まったく知らない人は無視する。
では知り合いの範囲はどこにあるのか。
例えば、伊勢参りや札所参拝する人は装束を同じにする。同じ装束の人々は見知らぬ人でも仲間となる。
地域の人は、宿泊や食事といった世話を無料で引き受ける。
知らない人だが知り合いと同じに接する。
この考え方は今も残っている。
ボランティアについて、菅波さん(アムダ代表)は、日本には団体ボランティアがあるという。
団体ボランティアとは、宗教、農業、経営者、労働者、町内会、商店会などなど。
地域で活動しているグループのことである。
そのグループが中心になって新たなボランティア活動をすることがある。
この力がすごいという。
個人ではやりずらいボランティアも知り合いと一緒であればやりやすい。
この一人ではやりずらいが団体なら大丈夫というのが日本人のボランティアではないだろうか。
顔見知りの安心感の中でボランティア活動をするのが得意なのだ。
アムダのサポーターには団体ボランティアが多い。
政治、宗教、主義主張は関係ない。
「救える命があればどこまでも」という考えに賛同してもらえばいいのである。
団体ボランティアを評価する視点は、そう簡単には得られない。
それは文化の多様性を評価することでもある。
そろそろ、アメリカ人の講師への私なりの答が見つかったように思う。
外国人に対して困っているにも関わらす手を差し出さなかったのは、
やはり「知らない人は無視する」という日本人の文化特性からではないだろうか。
では、今はどうだろうか。
幾多の苦難を経て、変わってきたように思うのだが。
東日本大震災に心痛めてなにかできないかと考えている人々は、日本国内だけでなく世界中の人が知り合いなのだと
思っているのではないか。
いかがでしょう。
※写真は岡山市北部旭川の堤防です。