岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

【音楽幻燈隊】演じた十次は?  石井十次その十八

2005-03-03 15:25:47 | 石井十次
演台に立ち、時に数千人になる聴衆に訴えるかける十次の
姿はどうだったか。

実は、今まで17話が終了しているが、十次の姿やかたちには、
一言も触れていない。それでも、話の節々から、十次の姿や
かたちがイメージされてきたのではないだろうか。
そのイメージが正しかったかどうか。
次の文章でわかることになる。

「170センチを超える背丈に、82キロほどの体重。
肥満の腹に白木綿をしっかり巻き、木綿の袴に木綿の紋付き、
竹杖一本を携えて、ひとり説明に立った。底力に満ちた張り
のあるバスは会場の隅々まで届いた」※

十次はまだ33歳。当時では立派な大人の年齢かもしれない。
22歳から、社会のために人々に自らの考えを述べ、説得し、
資金を集めて、数百人の孤児の衣食住を守ってきた、十次の
気概がこの文章から感じられるのではないか。文章は続く。

「朴訥な九州なまりで孤児院を開いてからの血と涙のにじむ
苦労や信仰の実績、孤児たちの実情を語ると、聴衆すべての
心に訴え、涙と感激を誘った」。※

このような講演テクニックをどのように修得していったかも
興味があるところだ。当時、伝道を進めていった宣教師の
説教の素晴らしさも知られるところであり、日々の中で学ぶ
ことも多かったのではないか。
また、巡業を続ける中で練りに練られていったのだろう。

☆音楽会はどのように準備されていたか。
慈善音楽会(音楽幻燈隊の公演会名)の各地区の支援体制を
広島公演(1898年8月8~9日)を例にみてみよう。
主催者:「広島婦人慈善会」
案内状:700名に発送。賛成員は、広島市長、地元新聞社長、
銀行・郵便局関係者などそうそうたる名士。
出席者:3500人
寄付金総額:254円44銭

いかに大きな音楽会だったか想像できる。また、慈善事業が
社会的にも認知されていたことがわかる。名を連ねることが、
栄誉なことでもあったのだろう。

このことは、チャリティ先進国である英米の影響があるの
かもしれない。
映画「ネバーランド」で主人公の妻が、チャリティ社交界
(名が適切ではないかも知れない)にデビューするために
画策する場面があるが、そのようなステイタスが
あったのだろう。

※「石井十次」柿原政一郎(日向文庫刊行会)が
「岡山孤児院物語」に引用されている。



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2 コメント

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すばらしい人がいたのですね (いけのゆき)
2005-03-04 22:50:46
 石井十次さんのこと はじめて知りました。

 そういう人生もあるのですね。

 人生一度だけ・・・自分のしたいことをする・・・

 まったくそうでしょうね~~~。

 

 彼を突き動かすエネルギ-はすばらしいものだったのでしょうね!!!

 

 
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ありがとうござます。 (岩清水)
2005-03-05 11:26:54
いけのゆき 様



コメントありがとうございます。

まったくの個人的な試みにお付き合いして

いただき感謝、感謝です。

まだまだ続けていこうと思っています。

よろしかったらお付き合いください。
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