岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

東北の旅 報告 その3 山田町2

2013-04-27 09:27:47 | 東北 2013年4月
亀山さんご夫婦が暮らす仮設住宅にやっとたどり着きました。
お家にお邪魔し、いろいろお話をお伺いました。


NHK東日本大震災アーカイブスより

中央左4のあたりが町の中心であり港となります。
山田湾に面した天然の良港です。
湾の中に浮かぶ大島は、オランダ島とも呼ばれ、江戸初期に難破したオランダ船がたどり着いたそうです。
村民は彼らを篤くもてなし、送り出したと言います。
しかし、再度難破して漂着した際は、キリシタン禁令も日本全土に行き渡り、乗組員も江戸まで送られました。
幸い無罪となったようです。
山田町とオランダとの交流は今も続いています。


津波が浸水した地域が水色です。火災が起こった地域は赤です。

地震発生時、亀山さんは港に接岸していた船に乗っていたそうです。船の中では大地震もそれほどのものとは感じなかったそうです。
急いで自宅に戻り、妻の八重さんと近くの高台に避難しました。
船名は八重丸です(´▽`)

八重さんは船を港から沖に出さなければないことを思い出しました。
ご主人の保之さんはそのことをすっかり忘れていました。
津波が予想される場合は、船を港から出すことは鉄則だそうです。
もちろん、あのような大津波に襲われるとは誰も思っていません。

急いで、港に戻った保之さんは、船を出します。
ところが、既に津波は港まで押し寄せ、防波堤の中に渦ができ、仲間の漁船はその渦に飲み込まれていったそうです。
八重丸も全速力で沖に向かおうとしますが、押し流され港の建物の屋上まで戻され、いよいよだと思った瞬間、奇跡的に波が引いていきました。
その引き潮に乗って沖に出ることができたそうです。

それから2日半、接岸できずに船の中でしのいだそうです。食料といえば飴玉三つだったと。

一方、八重さんが避難した高台にも津波が押し寄せます。


町の中心部です。

津波は次の写真のように一体を襲います。



一帯が青くなっています。津波が襲った地域です。赤い地域は火災が発生した地域です。
その真ん中に小さく白い地点があります。
この高台に八重さんは避難していました。
水と火災に襲われた地域の只中に、このような高台があったのです。
この高台で、津波をしのぎ、津波が引いた後に町の役場へと避難したそうです。





この高台※1は、今、慰霊に地になっています。

※1御蔵山(おぐらやま):江戸時代から飢饉に備えて米を貯蔵していた蔵があった高台。明治期には役場があった。

山田町人口推計:16342人(12年12月)。07年には20145名だった。
東日本大震災人的被害:死者不明者 743名 (慰霊碑より)
過去の津波での人的被害:明治大津波 2950名   昭和大津波  18名
(山田町ホームページより)

続きます。


最新の画像もっと見る