このことばは、Twitterで見ました。
私も同じように思っていました。
当事者が裁判員であるかのような報道には違和感があります。
「死刑求刑に対して揺れる裁判員のこころ」といった扱いです。
「裁くこと」が身近になったこと。
他人事ではないこと。
このことは、重要なことです。
それでもわだかまりがあるのは、テレビや新聞という報道の中で
裁判自体が、「劇場化」するからなのでしょう。
裁判員として当事者になりうるにも関わらず、他人事のようでもある裁判。
この不思議な感覚は、よほどの想像力と実践を重ねることでしか
裁判員制度を身近なものにできないことを証明しているようです。
※写真は奥大山。