岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「あっち」の調整は「こっち」と地続き、私たちも当事者だ。湯浅誠さん。

2012-04-13 14:32:39 | 国民と国会と政治
朝日新聞4月13日付に掲載されたインタビュー記事です。

ご存じ湯浅さんは「自立生活支援サポートセンター・もやい」の運営、および08年末の「年越し派遣村」村長でした。

鳩山政権では内閣府参与として政策立案に関わった。

社会運動家が、政府に入ることは大いに意味のあることだが、その重要性を知る人は少ない。

権力に対峙する当事者という立場をとり続けることはある意味楽だ。

首尾一貫することができる。

しかし、政治の世界で首尾一貫することは困難だ。そのことを彼は学んだ。

大変意味があることだ。

「あっち」の調整は「こっち」と地続き、というのは一市民である私たちへの帰還者のことばだ。

「しかし、参与になって、『あっち側』が複雑な調整の現場であることがわかりました。政治家、官僚、圧力団体、マスコミなど利害者が複雑に絡み合い、限られた財源の中で何かを増やすためには何かを削らざるをえないというルールの中で、みんな必死に働きかけている」

記事の中で湯浅さんが話している部分はすべて納得できた。
一部分引用します。

「政府に入れば大きなことができるというのは幻想で、社会運動への期待の低さを逆に反映していると思います、主権者としての自分たちの力を過小評価し、政治家や官僚のそれを過大評価していると、過度の期待と失望をくりかえすだけです」

「世の中をガラガラと変える大きなことをやらないと意味がないと思っている人がいる。だから私は『限りある時間と能力の中で、あなたが最も有効だと思うことをやってください。魔法のボタンはどこにもありません』と答える」

こう読み進めると、当然のこととして橋下現象批判になる。

「橋下さんが支持を集めているのは『決めてくれる人』だからで、その方向性は問われません。『おかせ民主主義』の延長に橋下さんへの期待がある」

橋下さんが何かを変えてくれるというのは「過度の期待」で「失望」の繰り返しでしかないと私も思う。

そんなガラガラポンはありません。


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