岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

邑久光明園のある日。昭和45年。

2009-06-07 21:27:03 | ハンセン病
とても印象深い文章に出会いました。
書きとめておきたいと思います。
岡山長島にある邑久光明園の入所者である藤本としさんの文章(「地面の底がぬけたんです」から)。
以下、引用(昭和45年発表)。


補導婦さんがもくもくと仕事を続けていたが、ふと、
「ここで働くようになってから、とても色々な事を教えられたわ。
不自由な人同士が持つあう愛情や、生きていくための工夫や努力、それから言葉にはならないけれど、
はっと胸をうたれるような気魄に、ときどきあうわ。
娘にも嫁入り前に少しここで働かせたら、ずいぶんためになるだろうと思うのよ」
といったのである。

私はまったく不思議な話を聞く気がした。
補導婦さんは6ヶ月以上になると、勤務交代で他寮に移って行かれる。
したがって、さまざまな人のお世話をうけてきたが、いまだかつて誰もこのような感想を
もらされたことはないのである。

私は昔聞いた「一水四見のたとえ」というお話を思い出した。
うる覚えではあるが記してみよう。

水。天人はそれを瓔珞と見、
魚類はこれを宮殿と見る。
餓鬼はこれを膿血と見、
人は水をただ水と見る。

このようであったと思う。

補導婦さんが特重者の状態をみる眼も一様ではあるまい。
しかし一人でも芥の中を凝視して、何かをひろう人あれば・・・・
うかつに暮らしてはいられない。



※人が生きているということ、一日一日が真剣勝負だと思わされる。
もちろん、息抜きもしたいし、ストレスもリリースしたい。
しかし、生き方としては、「うかつに暮らしてはいられない」のですね。
この文章を読んで池波正太郎氏を思い出しました。
あの方も、うかつに暮さない人でした。

今日は京都に帰っていました。
不義理をしている方々に会いました。
そして、頑張っておられる皆さんに励まされました。
これから3か月は、頻繁に往復することになりそうです。
暑い夏がやってきます。

※写真は邑久長島大橋。人権回復の橋と言われる。長島側から。


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2 コメント

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はじめまして (チィシャネコ)
2009-06-12 11:27:29
鹿児島国際大学の介護コースのものです

私も岡山出身なので
写真をみて懐かしくなりました
質問なんですが、この写真は水玉ブリッジラインでしょうか??
すごく似ていたので、思わずコメントさせていただきました
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岡山出身! (岩清水)
2009-06-12 20:59:10
チィシャネコさん。
コメントありがとうございます。
岡山出身ですか。
鹿児島留学なんだ。

羨ましいです。
鹿児島に4年間住むということだけで十分、価値がありますよ。
そして4年後には岡山に帰って来てください。
岡山の社会福祉界での活躍を祈ります。
岡山には、素晴らしき先人が数多くいます。
帰省した折には、図書館もめぐって、先人に会ってください。
資料は読み切れないほどあります。
楽しみにしています。

写真は、備前市にある邑久長島大橋です。
水玉ブリッジラインほどは有名ではありません。
帰省時には、見学に行ってください。
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