岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

『気骨の判決』 NHKスペシャル 8月16日放送

2009-08-17 06:14:53 | 戦争を語り継ぐ
9時過ぎに階下に降りていくと、偶然この番組を放送していた。
今夜のことだったか。

戦時中に多くの妨害に襲われながら自らの信じる判決をした勇気ある判事を主人公にしたドラマ。

挙国一致、国民全員が一丸、火の玉となって戦争へ突き進めと、衆議院選挙さえ、戦争の具としてしまった。
ものが言えぬ。ものを言わぬ。
「時局におもねる」
「目的のためには手段を選ばぬ」

当時の裁判所には、現在のような三権分立はなかった。
司法省の中にある。
行政機関のひとつだった。

そのような四面楚歌の状況においても、自らの良心を貫き通すことができてた人がいた。

勇気ももらったドラマであり、私自身、もう一歩踏み出せるはずと思いを強くした。
後押ししてくれる何かが私たちには必要なようです。

※軍国主義真っただ中の昭和17年に実施された衆議院議員選挙は、「翼賛選挙」とも呼ばれる。政府のお墨つきを得た候補者の約8割は当選し、非推薦候補は徹底した妨害工作を受けて多くが落選した。この理不尽さを司法に訴えた落選者を救ったのが、大審院第三民事部の裁判長、吉田久である。
※中央大学ニュースより


※ 戦前の裁判所(インターネットより)

 第二次世界大戦終結前における裁判所の構成は,明治23年2月に公布(同年11月施行)された裁判所構成法(明治23年法律第6号)等によって定められ,通常裁判所については,大審院,控訴院,地方裁判所及び区裁判所の4種とされ,これら裁判所は司法大臣の行政監督権の下にあった。また,各裁判所には検事局が行置されていた。
 なお,終戦当時には,大審院は東京に,控訴院は現在の高等裁判所所在地に,地方裁判所は現在の地方裁判所と同じ所在地に加えて樺太にも設置されていた(東京には,東京民事地方裁判所と東京刑事地方裁判所が別個に設けられていた。

※写真は岡山総合グランド内にある。元陸軍将校倶楽部の建物。

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2 コメント

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戦火を逃れて・・・ (どりーむ)
2009-08-17 23:47:13
私も、このドラマを見ました。
ここにも、戦時中の貴重な記録が残っていたのですね。戦火の中、記録守った方々がいらしたことにも感動します。

法を守るとは、「その文字だけを追うのではなく、その精神も守り、行動すること」こととの思いを、新たにしました。

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記録を守り残す。 (岩清水)
2009-08-18 08:23:13
どりーむさん
コメントありがとうございます。
確かに記録が残っていたからこそ真実がわかるのですね。
後世のために残す。
そのような使命感も学びました。

ささやかな私たちの記録も、気骨が入ったものにしなくてはと思いました。
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