岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

【サイダー・ハウス・ルール】石井十次   番外編

2005-03-08 12:18:45 | 石井十次
テレビで米映画「サイダー・ハウス・ルール」を観た。
1999年の作品である。
一言でいえば、孤児院で成長した少年が、院を出て社会を知る。
そしてふたたび、愛する人々が待つ院に戻ってくるという
物語である。(こう書くと「なんだそれ」となるよね)

とても感動的なドラマである。

この映画では、第2次世界大戦中のメーン州のニューイング
ランドの、街から遠く離れた大きな古びた孤児院が舞台に
なる。

この設定にリアリティがあるのかどうか、わからない。
私にこの時代の米国の孤児院の知識はない。
施設収容ということ、また、ある程度隔離されていたことは
確かだと思う。
院長が医師、看護師がサポートしている。
療養の児童がいるので必要な人材である。

孤児院にいる児童には、当然、院は仮の住まいである。
やがて、里親が現れて、愛にあふれた家庭に引きとってくれる
ことを心待ちにしている。

主人公のホーマーが、院を出るときに、年少のこどもたちが、
別れを悲しんで、
「どうして、お兄ちゃんは大きいのに先に出ていくの」と
いう。院の中では、年少者が何事にも優先されていたのだと
感じさせる。
涙を誘う場面である。

こどもたちは、いつもいつも待っているのである。

この状況は確かにあったのだと思う。そうでなければ、
米国の観客の心をつかめないからである。

院には静止した時間がある。街には日々の営みがあり、
新しいものがある。その街の遠い背景には戦争がある。

ホーマーにも、院があり、街があり、そして思いのほか近くに
戦場があったのだ。彼が戦場行きを免れたのは、院長の愛情に
よることが最後にわかる。

石井十次が、児童の自立のために、あらゆる方策を考えたこと
に対して、40年も後の米国で、里親だけを待つということが
孤児院の施策だったのだろうか。
興味のあることだ。

それはともかく、よい映画だった。映画の大切さを思った。

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