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京都南部・八幡市にある石清水八幡宮に参拝してきました。
男山という岩山の山頂にあります。京都盆地と比叡、愛宕と京都北山が一望できる山です。
京阪石清水八幡宮駅からすぐです。石清水と書いて「いわしみず」と読みます。
近郊の人(宇治の人でも)は、「はちまんさん」といえば石清水八幡宮のことだと言います。
八幡宮の元締めのような石清水八幡宮です。
さらに辿れば宇佐八幡宮となります。
相槌神社から階段を上っていきます。
相槌の意味をこの看板をみて初めて知りました。刀剣を二人で呼吸を合わせて打つことなんですね。
井戸があります。山ノ井です。男山五水のひとつとのこと。岩山ですので岩清水が豊富です。
折りたたまれたような石段を登っていくと小さな祠が見えてきます。
表参道を上ってきました。そのまま上っていけば山頂の本殿にいくことができます。
今日は右手の沢筋を上ります。
石段と水路と石垣、すべて石作りです。男山四十八坊といわれる坊があったのです。
いわゆる社僧ですね。仏教と神道が共存(融合)していたわけです。明治以前は普通のことです。
それが明治初年に仏教が排斥され、この男山四十八坊も打ち捨てられました。
立派な石垣が並んでいます。
この先に松花堂跡があります。
私たちは松花堂弁当で馴染みです。麓の松花堂庭園では当時の建物を再現しています。
寛永の三筆といわれる松花堂昭乗が滝本坊の住職を引退して住んだ庵跡があります。
発掘調査し保存されています。
小さな草庵と庭がありました。
庭の石が保存されています。
手前と奥に庵がありました。
整地されている地所はすべて坊の建物があったと思われます。
奥に石段が見えています。
さらに石段を上っていくとお社が現れます。
石清水社と石清水井です。
石清水八幡宮で最も重要な社と井戸です。
本殿のすぐ下にあります。
石清水社の正面に瀧本坊跡があります。
瀧本坊の住職だった松花堂昭乗と親友であった小堀遠州が創った
空中茶室(ほどんど空中にせり出した)の復元イメージが載っていました。
瀧本坊があった場所です。
このような石垣から茶室がせり出していたのではないでしょうか。
平地を作りために周りは石垣が積み重ねられています。
瀧本坊跡から石清水社を望みます。
男山の中でもっとも重要な場所だと思います。
再び石段を上がります。
護国寺の跡があります。本殿と一体になって全山を取り仕切っていたとあります。
護国寺薬師堂跡です。
太西坊の住職が赤穂藩の家老だった大石内蔵助の実弟であったことが坊の繁栄につながったとあります。
近くに展望台があります。
今日はここまでにします。
お読みいただきありがとうございました。
ウクライナと中東に平和を!
見出し画像は石清水井です。