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私たちが日頃、何気なく使っている言葉にある時、反乱を起こされたことはないだろうか。
業務の中では、介護保険給付の利用者の方に、「目標」を持ちましょう。
「目標」に向かう手立てを考えましょう。
と、話し合いをするように求められます。
介護保険の世界では、高齢者も目的に向かって歩むことを求められます。
それがケアプランの骨子になります。
私は、この目的、目標づくりが大嫌いで、ここだけの話ですが、利用者の方とほとんどこのような話はしません。
それがなぜか。
私は、「目標を立てて、達成のためにスケジュール化する」ということは、ひとつの価値観でしかないと思っているからです。
そのひとつの価値観を高齢者の方に強要するようなことをしてはならない。
そこに踏み込んではならないと思っています。
人さまの人生と関わる時に、私たちは自らの価値観に基づく行動はつつしまなくてはならないことになっています。
しかしながら、無意識にそのような行動を起こしてないだろうか。
その無意識が、もし無知によるものなら、許されないことです。
前置きが長くなってしまいました。
私たちは、人生の価値(この場合は人生の目標と置き換えられかもしれません)は、
「自己実現」にあると思っているかもしれません。
マズローは、欲求のもっとも高次な欲求は「自己実現欲求」と書いています。
では、「自己実現」とはなにか。どこに起源があるのか。
私には、そこまで知っておきたいという思いが強い。
昨日、紹介した『歴史のなかの宗教心理学』では、マズローの自己実現について
解説している箇所があります。
「自己実現している人間とは、その人が本来持っていると思われる潜在的可能性を
十分に実現していると目される人たち」とあり、
この「潜在的可能性を実現している実在の人物」をマズローは研究しているという。
そして、その人々の特徴を列記している。以下に書きます。
「現実をより有効に知覚し、それとより快適な関係を保つこと、
自己や他者や自然の受容、自発性・単純さ・自然さ、問題中心性、
ダタッチメントとプライバシー、自立・自律性、認識の新鮮さの持続、
神秘体験、ゲマインシャフト的感情、対人格的関係、民主的性格構造、
手段と目的の識別、、哲学的で悪意のないユーモア、創造性、文化適応への抵抗など。」
著者のまとめには、「自己・他者・自然の現実を歪曲せずありのままに受容し、
常に新鮮な認知を得て、それによって新しい自己を実現し、既成の枠組みにとらわれず、
二分法を超越することが可能な人間」とあります。
なるほど、この定義では、「自己実現」などという言葉は恐れ多くて使えませんね。
この「自己実現」は明らかに西欧の近代が獲得した人間の理想像です。
「自己実現の起源」は、早くて、19世紀のロマン主義からと思われます。
マズローの自己実現の片りんにはふれましたが、さて日本人にとっての「自己実現」とはなんでしょう。
その理解なくして、人さまに「自己実現」を強要(勧める)ようなことがあってはなりませんね。
※写真は、宝福寺(総社)の三重塔。
業務の中では、介護保険給付の利用者の方に、「目標」を持ちましょう。
「目標」に向かう手立てを考えましょう。
と、話し合いをするように求められます。
介護保険の世界では、高齢者も目的に向かって歩むことを求められます。
それがケアプランの骨子になります。
私は、この目的、目標づくりが大嫌いで、ここだけの話ですが、利用者の方とほとんどこのような話はしません。
それがなぜか。
私は、「目標を立てて、達成のためにスケジュール化する」ということは、ひとつの価値観でしかないと思っているからです。
そのひとつの価値観を高齢者の方に強要するようなことをしてはならない。
そこに踏み込んではならないと思っています。
人さまの人生と関わる時に、私たちは自らの価値観に基づく行動はつつしまなくてはならないことになっています。
しかしながら、無意識にそのような行動を起こしてないだろうか。
その無意識が、もし無知によるものなら、許されないことです。
前置きが長くなってしまいました。
私たちは、人生の価値(この場合は人生の目標と置き換えられかもしれません)は、
「自己実現」にあると思っているかもしれません。
マズローは、欲求のもっとも高次な欲求は「自己実現欲求」と書いています。
では、「自己実現」とはなにか。どこに起源があるのか。
私には、そこまで知っておきたいという思いが強い。
昨日、紹介した『歴史のなかの宗教心理学』では、マズローの自己実現について
解説している箇所があります。
「自己実現している人間とは、その人が本来持っていると思われる潜在的可能性を
十分に実現していると目される人たち」とあり、
この「潜在的可能性を実現している実在の人物」をマズローは研究しているという。
そして、その人々の特徴を列記している。以下に書きます。
「現実をより有効に知覚し、それとより快適な関係を保つこと、
自己や他者や自然の受容、自発性・単純さ・自然さ、問題中心性、
ダタッチメントとプライバシー、自立・自律性、認識の新鮮さの持続、
神秘体験、ゲマインシャフト的感情、対人格的関係、民主的性格構造、
手段と目的の識別、、哲学的で悪意のないユーモア、創造性、文化適応への抵抗など。」
著者のまとめには、「自己・他者・自然の現実を歪曲せずありのままに受容し、
常に新鮮な認知を得て、それによって新しい自己を実現し、既成の枠組みにとらわれず、
二分法を超越することが可能な人間」とあります。
なるほど、この定義では、「自己実現」などという言葉は恐れ多くて使えませんね。
この「自己実現」は明らかに西欧の近代が獲得した人間の理想像です。
「自己実現の起源」は、早くて、19世紀のロマン主義からと思われます。
マズローの自己実現の片りんにはふれましたが、さて日本人にとっての「自己実現」とはなんでしょう。
その理解なくして、人さまに「自己実現」を強要(勧める)ようなことがあってはなりませんね。
※写真は、宝福寺(総社)の三重塔。
貴記事を頭にしていて
その後
思い当たる記事があり
拙ブログ第3363号
にまとめてみました。
(ほとんど編集だけですが)
こちらもリンクさせていただきました。
当方、中島様のブログの様式がまだ理解できていません。
こちらに返信をさせていただきました。
よろしくお願いいたします。
http://ameblo.jp/kaigoninn/entry-10334478074.html
↑こちらのページで、こちらのブログをリンクさせていただきました。
もしよろしければ、相互リンクしていただけたらと思います。ご検討いただけますと、うれしいです。よろしく願います。