岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

『空海』展  その2 密教の伝来

2024-05-21 20:50:59 | 京都・奈良

空海の言葉

「密教は奥深く文筆で表し尽くすことが難しい。そこで図や絵を使って悟らない者に開き示すのだ」

そうなのかと思います。法事も華やか(?)ですね。

貴重な両界曼荼羅(平面)や五智如来坐像(立体)※見出し画像。

中国から伝わった法具の数々(両部大壇具など)。

五大尊像などの画

今も伝わる真言宗の教えの源をみる思いです。

wikiにはこう書かれています。

仏教において、北伝仏教の大潮流である大乗仏教の中で、ヒンドゥー教の影響も取り込む形で誕生・発展した密教シルクロードを経て中国に伝わった後、中国で伝授を受けた奥義や経典・曼荼羅などを、体系立てた形で日本に伝来させた人物でもある。

↑ 空海の自筆 灌頂歴名 

 金剛般若開題

と三筆の一人である空海の書を見ることができます。

これは感激です。

もちろん初めて見ることができました。

空海の入唐での2年間の成果は驚くばかりです。

いかに濃密だったかが分かります。

日本に持ち帰った「弘法大師請来目録」リストのすごさ。

空海が収集しただけでなく恵果による宗派あげての支援があったと思わざるをえません。

密教を遠来の異国人にそっくり渡したのです。

これこそ仏心なのでしょう。

もう唐に密教の正統はないのではと思わせます。

大判!真言七祖像は圧巻です。

この遣唐使として使命(勅命)は20年間が必要とされていました。

ところが空海は期待された使命を2年間で達成してしまいました。もちろん期待以上の成果をです。

常人では不可能です。

そして時間を無駄にしたくないとさっさと帰国してしまいました(実は資金を使い果たしたとも)。

帰国後、京に上ることを許されず九州にとどまっています。

天皇も信じられなかったのでしょう。まさか成就して2年で帰ってくるなど。

 

空海(弘法大師)の超人としての評価は、伝説として日本各地に残っています。

例えば先日参拝した笠置寺の摩崖仏の線刻画は一晩で空海が彫ったという伝説があります。記事はこちらです。

また京都神泉苑では雨を降らせたと言われています。こちらです。

人びとが空海の超人振りにあやかろうと思ったことがわかります。

このような超人にはかならずといっていいほど明らかになっていない修行時代があります。

その時代にこそ超人の秘密が隠されているのでしょうね。

そして本人の口から話されることがあったとしても大成した後です。

話はそれるかもしれませんが、アメリカの「スーパーマン」も修行時代があります。

そうそうキリストや仏陀にもあったのですね。

 

空海が四国室戸で火の玉が口の中に飛び込んできて悟りを開いたという話も興味深いです。

ただ修行時代には文章化することはなかったのでしょう。

例えば、超人という範疇には入らないかもしれませんが、良寛さんも20年近くにも及ぶ修行時代にはなにも書き残していません。

大成したのちには膨大な漢詩や和歌を残しています。

書家として空海も良寛も「日本遺産」です。

 

日本の国宝的人物の修行時代というテーマも興味深いと思っています。

まずは「空海」展をご覧いただければと思います。

 

お読みいただきありがとうございました。

ウクライナとガザに平和を!



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