岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

連載2 くわなし皆来館 四國五郎ギャラリー 

2024-09-16 22:52:31 | 四國五郎

では、四國五郎ギャラリーを見ましょう。FBでも発信されています。こちらです。

『広島百橋』です。1975年出版

雪の原爆ドーム 1999年

『わが青春の記録』 私は岡山県立図書館で「貸出可能」な1部(2冊)を見つけ、自宅に持ち帰りむさぼるように読みました。

展覧会のポスターです。私が観に行くことができたのは唯一、大阪大学の展覧会でした。こちらです。

「平和行進」 実は隣に大きいなパノラマサイズの絵があるのですが撮影していません。残念です。

※FB「四國五郎ギャラリー」には掲載されています。

五郎さんの母。1971年没(享年80歳)

お母さん

もうじき

兵隊になるのだからと

一番先にぼくの飯をよそってくれる

お母さん

<一部>

18才の時の詩

※『反戦平和の詩画人 四國五郎』四國光著 藤原書店 2023年 28頁より

生家でしょうか。

「瀬戸内海の船上」と「故郷につながる山陽本線河内駅前」 1964年7月40才。

同じく故郷訪問時のくわなし小学校(1964年)

光さん生後3ヶ月の写真も。1956年

右の写真も重要です。丸木位里・赤松俊子による『原爆之図三部作展覧会』開催時の集合写真。1950年

大阪大学展での写真の方がきちんと撮っています。

こちら

※2023年12月丸木美術館訪問時のことを書いています。こちらです。

左から1950年 1949年 1944年(出征前)

家族7名全員で写した唯一の写真とあります。広島に移った後の写真ですね。1938年。

左から2001年、1994年、1957年。

ガタロさんが書かれた「四國先生」のスケッチ。数点しかないと聞きました。

ガタロさんの記事はこちらです。

模写集です。これは写経のようですね、と友人と話しました。

『絵本 おこりじぞう』 1982年 こちらに大阪大学展での原画も写しています(小さいですが)

素晴しい写真ですね。キャプションが写っていません(-_-;)

掲示板です。

本日登壇の池田正彦さんの作品です。

毎日新聞の掲載記事です。毎日新聞は地域においても良質な報道をされています。

岡山でもAMDA(国内外の緊急医療支援団体)の記事を書いていただきました。AMDAホームページはこちら

ファウンダーの菅波茂さんは福山市神辺出身です。吉備の国は備前、備中が岡山県。備後は広島県東部です。人々の交流も盛んです。

無題(むすめ) 1973年

長女美絵さん  美しい絵!

子守歌

「美絵」よ

やわらかな

巻毛を覆い

頬を締めつける

防空頭巾を

おまえは

かぶるな

<一部>

※『反戦平和の詩画人 四國五郎』四國光著 藤原書店 2023年181頁より

灯ろう流し   1977年 未発表

はなれないで流れてゆきなさい

おとうとよ いもうとよ

二人は仲よしだったから

<一部>

※『反戦平和の詩画人 四國五郎』四國光著 藤原書店 2023年 

自画像 1967年

鳩を持つ少女 1985年

廊下にも作品が展示されています。

手製のカルタ、玩具、すごろく、陶器

そして愛用していたツイードのジャケット。おしゃれだった。

永田浩三さん 『ヒロシマを伝える 詩画人・四國五郎と原爆の表現者たち』 WEVE出版 2016年

このブログの過去記事です。2019年時点では積読状態ですがその後きちんと読みました(-_-;)

木内みどりさん 2019年11月 広島で逝去

※『反戦平和の詩画人 四國五郎』四國光著  282頁から296頁までこころが溢れるような木内さんのかかわりを綴った文章が続きます。

堀川惠子さん 『暁の宇品(うじな) 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』講談社 2021年

※私の稚拙な読書感想文はこちらです。

ジョン・W・ダワーさんからの追悼文です。

<一部>

ウエブサイトです。

https://visualizingcultures.mit.edu/groundzero1945_2/gz2_visnav01.html

画面が出ましたら、The Bomb以下4行をクリックしてください。無断転載はできません。

水彩画36枚が掲載されています。

※『反戦平和の詩画人 四國五郎』四國光著 323p記載

今日はここまでです。

一度、途中で記事が消えてしまうというアクシデントもありました(-_-;)

3に続きます

 

お読みいただきありがとうございました。

 

ウクライナとガザに平和を!



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