岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

6. 南大橋から御幸橋へ

2023-09-17 21:15:13 | ヒロシマ ナガサキ

※見出し画像は御幸橋を渡る市電です。

元安川の堤防を川下に歩いていきます。

現在の航空写真です。左の中州を南下しています。右の中州は大きな病院、大学、図書館などが並んでいます。

下の被爆後の写真では上の中州の右端が相生橋で左に歩いていきます。

なにもなくなっています。木造の建物が多かったのでしょう。

中央の大きな中州は建物が残っています。コンクリート造の建物が多かったことが分かります。

街の中心(中枢)、市電通りあります。

元安川沿いに歩いています。

 

土手下には個人の住宅も増えてきました。戦前も低層の住宅が多かったのだと思います。

南大橋西詰までやってきました。

川向うには日赤が見えます。

南大橋を渡ります。さきほどの大きな中州に入ります。

日赤の被爆後の写真です。ここで爆心地から直線距離で1.5kmです。

日赤病院遠望です。

千田町を南下します。県立図書館が入っている広島県情報プラザです。

千田公園に入っていきます。

南千田町辺りの被災状況。民家が爆風に飛ばされバラバラになっています。

やっと御幸橋西詰までやってきました。助けを求めて被爆した人々がこの橋を渡りました。

※この碑の説明はこちらをどうぞ。岡山の備前作家藤原雄さんの作品です。

この御幸橋東詰に避難してきた人々の写真が残っています。

非常に貴重な写真です。

ここまで南下したのですが人が映った写真は1枚も掲載していません。

ないのだと思います。

次回に紹介させていただきます。

やっと市電道に出てきました。

御幸橋とは天皇が行幸した橋に命名されることがあります。各地にあります。

7に続きます

お読みいただきありがとうございました。

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