十次の事業に語ることは多い。これからもどんどん書いて
いきたいと思います。
まずは岡山孤児院の名物といえば、【音楽隊】である。
この話だけでも十分、1冊の本が書くことができる。
音楽隊は、岡山孤児院の創世期である1891年(明治24)
から、1911年(明治44)まで、20年に渡って活動を
繰り広げた。最初は、シンプルな音楽隊だったが、時を
経るごとにスケールをアップしていく。
ここは、明治期の西洋音楽の普及と、映像の利用と展開
(20世紀は映像の世紀といわれるが)を眺めながら、話を
進めていこう。(テーマ毎に、内容が幅広いうえに深くて
手に余るけれど、なんとか書いていくぞ)
音楽隊の歴史が始まったのは、1891年(明治24)の
濃尾大震災の義援金を募集する行進からである。
この時はラッパ程度だった。
行進の行く先々では、ラッパの音で、岡山孤児院の行進が
来ることを知り、人々は募金を持って走りよっていったの
だろう。目に浮かぶ。
1893年(明治26)にはアコーディオンを使った風琴音楽隊を
創設する。アコーディオンを風琴というのだそうだ。
なるほど。
3年後の1896年(明治29)にはブラスバンドを発足する。
相変わらず、思いついたらやることが速い。
ここで少しブラスバンドの歴史について考えていきたい。
なぜ、ブラスバンドの歴史まで話を広げるの?
十次の話に関係あるのか、疑問に思われるかもしれない。
答は、十次の「進取のこころ」を探るためである。
ブラスバンド(以下ブラス)は、1850年代に英国の
労働者の仕事中のリフレッシュのために、経営者が
率先して音楽を取り入れ、その中で発展したといわれ
ている。同時期に金管楽器のサキソフォンも発明され、
興隆をみたとされる。
ブラスといえば、救世軍が有名である。1865年創設の救世軍
とは同時期であり、伝道に利用されるようになった。
ところで、米国の歴史はどうだろうか。こちらは、米国国会
図書館の資料がネットで公開されている。こちらも1850年代
にはブラスはあったという。
それも英国がアマチュアならこちらはプロだったという。
ライバル意識が強い。これは社会福祉史でもよく見られるが。
米国ブラスの特徴が明らかになるのは、南北戦争時に導入
されたことにある。以来、軍隊とブラスは切っても切れなく
なる。ブラスにとって不幸なことだ。
さて、十次のブラスは、英米どちらの影響をうけたのだろうか。
それは日本救世軍の資料をみることで推測できる。
「日本の救世軍でも、1895(明治28)年9月22日、救世軍最初の
集会で、こうしたブラスを用いたことが、つぎのように当時の
新聞に記されています。「コルネットと伝えるラッパが用いられ、
快活勇壮にして面白かりき…」などと。このころから、ラッパが
キリスト教の布教に用いられていたことがわかります」
(堀内敬三著『音楽五十年史』)
ということは、1895年9月22日の救世軍ブラスの演奏を伝え聞き、
翌年には自らブラスを創設したことになる。
十次はこの救世軍ブラスの演奏を直接聴いてはいないと思う。
品子がこの世を去ったのがこの年の9月12日だから、とても東京
に行く状況にはなかったのではないだろうか。
もちろん、十次と親しくしている宣教師には、米国人も多い。
米国のブラスを知っている彼らは、十次の計画に賛同し援助を
惜しまなかったことだろう。
いきたいと思います。
まずは岡山孤児院の名物といえば、【音楽隊】である。
この話だけでも十分、1冊の本が書くことができる。
音楽隊は、岡山孤児院の創世期である1891年(明治24)
から、1911年(明治44)まで、20年に渡って活動を
繰り広げた。最初は、シンプルな音楽隊だったが、時を
経るごとにスケールをアップしていく。
ここは、明治期の西洋音楽の普及と、映像の利用と展開
(20世紀は映像の世紀といわれるが)を眺めながら、話を
進めていこう。(テーマ毎に、内容が幅広いうえに深くて
手に余るけれど、なんとか書いていくぞ)
音楽隊の歴史が始まったのは、1891年(明治24)の
濃尾大震災の義援金を募集する行進からである。
この時はラッパ程度だった。
行進の行く先々では、ラッパの音で、岡山孤児院の行進が
来ることを知り、人々は募金を持って走りよっていったの
だろう。目に浮かぶ。
1893年(明治26)にはアコーディオンを使った風琴音楽隊を
創設する。アコーディオンを風琴というのだそうだ。
なるほど。
3年後の1896年(明治29)にはブラスバンドを発足する。
相変わらず、思いついたらやることが速い。
ここで少しブラスバンドの歴史について考えていきたい。
なぜ、ブラスバンドの歴史まで話を広げるの?
十次の話に関係あるのか、疑問に思われるかもしれない。
答は、十次の「進取のこころ」を探るためである。
ブラスバンド(以下ブラス)は、1850年代に英国の
労働者の仕事中のリフレッシュのために、経営者が
率先して音楽を取り入れ、その中で発展したといわれ
ている。同時期に金管楽器のサキソフォンも発明され、
興隆をみたとされる。
ブラスといえば、救世軍が有名である。1865年創設の救世軍
とは同時期であり、伝道に利用されるようになった。
ところで、米国の歴史はどうだろうか。こちらは、米国国会
図書館の資料がネットで公開されている。こちらも1850年代
にはブラスはあったという。
それも英国がアマチュアならこちらはプロだったという。
ライバル意識が強い。これは社会福祉史でもよく見られるが。
米国ブラスの特徴が明らかになるのは、南北戦争時に導入
されたことにある。以来、軍隊とブラスは切っても切れなく
なる。ブラスにとって不幸なことだ。
さて、十次のブラスは、英米どちらの影響をうけたのだろうか。
それは日本救世軍の資料をみることで推測できる。
「日本の救世軍でも、1895(明治28)年9月22日、救世軍最初の
集会で、こうしたブラスを用いたことが、つぎのように当時の
新聞に記されています。「コルネットと伝えるラッパが用いられ、
快活勇壮にして面白かりき…」などと。このころから、ラッパが
キリスト教の布教に用いられていたことがわかります」
(堀内敬三著『音楽五十年史』)
ということは、1895年9月22日の救世軍ブラスの演奏を伝え聞き、
翌年には自らブラスを創設したことになる。
十次はこの救世軍ブラスの演奏を直接聴いてはいないと思う。
品子がこの世を去ったのがこの年の9月12日だから、とても東京
に行く状況にはなかったのではないだろうか。
もちろん、十次と親しくしている宣教師には、米国人も多い。
米国のブラスを知っている彼らは、十次の計画に賛同し援助を
惜しまなかったことだろう。