岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「宮古市田老1」 東北の旅 54

2013-06-15 09:33:22 | 東北 2013年4月
宮古港から田老へさらに北上します。
今夜の宿泊地 浄土ヶ浜を通り過ぎていきます。
ずいぶん、北に上がってきたような気がします。
でも、アキちゃんやユイちゃんが住む「北三陸市」はもっと北です。
私は398号線、45号線と走ってきましたが、もし海岸沿いに走れば(可能ならば)、とんでもないほどの距離です。
こんな海岸線が津波で破壊つくされたのです。
もちろん、もっと北も被害を受けていますし、南は福島、茨城、千葉まで津波の被害地です。
車の走行距離はすでに400km。仙台から宮古までです。

津波の被害は海岸線を忠実にたどれば1500km以上だと思われます。



今回の旅は田老が最北となります。
夕暮れが迫る時間にたどり着きました。
田老はこの地方にある数少ない港です。
過去幾度も大津波に襲われながらも、その立地の良さから人は住み続けています。
津波対策は、他の地域では見られないほどの大きく破壊されにくい防潮堤を造ることでした。
確かに多くの防波堤は壊れていません。
しかし、波はやすやすと乗り越えていったのです。
高い防潮堤は人々に安心感を与えるのは確かですが、住民には海が見えなくなります。
人々の命と財産を守るための防潮堤は、「津波てんでんこ」の教えとは相いれなくなってしまったようにも思います。

NHK東日本大震災アーカイブスの証言を聞くと、地震⇒津波⇒高台に逃げる、という鉄則を知らない新しい住民の方もいました。
津波教育はされていたのでしょうか。
町の背後には避難可能な高台があるだけに多くの方がなくなったことが悔やまれます。



赤いラインが防潮堤です。
エックスラインです。




被災後の写真です。防潮堤は4分の3は残っていますが町全域が浸水してしまいました。

つづく


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