ちょっとした昼食会にお誘いを受けて昼に出かけてきました。
昼食会では、ある自民党の国会議員のA先生からNPOの誕生から今後についてのお話が聞けるというので楽しみにしていたのです。
NPO法人は平成10年3月にできた特定非営利活動支援法(通称NPO法)によって法人格が与えられるようになりました。それ以前は、何人かが集まって会を作り公共的活動をしようと思っても、会の名前では電話一本引くことができなかったのです。
この法律によって、法人の立場で契約をしたり電話を引いたりといった法人活動が行えるようになったのです。
こうしたことに熱心だったのは、今は野党系の女性議員だったとのことで、最初は市民活動支援法を作ろう、と言っていたのだそう。
それに超党派で支援をしようということで、A先生も加わって勉強を重ねていたのだそうですが、そんなある日、ある大物の先輩代議士が「・・・A君は、市民活動支援法を応援しているようだが、『市民』とは野党が使う単語であって、自民党は『国家国民』を大事にする党である。A君には国家感が足りない・・・」などと言っているのを聞いて、「そうなのかなあ」と思ったということをエピソードとして披露されました。
いわゆる「市民」という立場で規制の秩序に一石を投じている方もいるようですが、そこから議論と一定の秩序に導かなくてはならないのが現代民主主義でもあります。
「市民」と「国民」とが対峙するような関係に捕らえられているというのは興味深いですね。
* * * * *
A先生は東北の片田舎出身で、ふるさとの地域にはまだまだ地域コミュニティが残っていると感じています。しかしそれも次第に崩れ始めていることを感じているとも。
田舎で絆が強いと感じるのは、まず神社の氏子をはじめとした宗教団体、次が消防団、PTA・・・などがあるといいます。
「地区では学校の学区対抗マラソン大会などが熱心で、そういうところは地域コミュニティがよく運営されているんです。だから、教育バウチャーなどと言って、『誰でも好きな学区に行ってよいですよ』などということが行われると、これは地方の秩序の破壊に繋がるので、地域では反対が多かったのです。自民党もこれを進めようとしたけれど、地域にとっては大変なことになるところでした」というお話もされました。
教育バウチャーが、地域の秩序を破壊するという側面があるというのは意外でした。
それでいて私自身は、地方の都市にずっと住む人達の中には、町内会などの地域秩序にがんじがらめになって、一生続く先輩後輩の関係の中で才能を埋めさせてしまっていることもあると感じています。
地域の人達にとっては、土地に根ざした地域秩序と、土地を越えてある目的意識で自分のやりたいことの同志を募り、広い範囲で活動をするNPO活動というこのバランスが大切なのです。
* * * * *
一方で日本社会は、市場化を進めてさまざまなサービスや商品が市場で調達できる社会を目指してきました。塾という教育サービスも、それまでは家族が支えてきた介護も介護サービスとして市場が供給してくれるようになったのです。
それはそれですばらしいことなのですが、日本の片隅には市場だけでは距離的に、あるいは費用的に市場化が行き渡らない場所が残ってしまいます。
いわゆる過疎といわれるところがそうです。市場化に頼り任せてしまうことで、一人一人が家族の中で無償で提供していたサービス能力が失われています。実際にはどこでも市場によるサービスを調達できるとは限らないのです。
そういうところにあって、市場と家族の無償労働の間に位置できるのがNPOなのかもしれない、と思うのです。
一人一人がやはり自分ができる能力を失わず、それを家庭内にとどめずに地域に貢献するのです。ここでのポイントは、自分自身がたとえ安くても売れるサービスを提供できる能力を保持しておくべきだということです。
それが市場化に対抗する唯一の手段であり、それを皆で集まって行うのがNPO活動というわけです。
「スローライフ」の本当の意味はじつはここにあります。効率化で早く安く提供される市場サービスが届かない地域で、人々が自分も能力を提供して力をあわせて生きてゆくことへの覚悟こそ実は「スローライフ」なのだと思うのです。
* * * * *
何でも効率化してビジネス化にする「市場化社会」は実にダイナミックで躍動的です。才能のある人は自分の才能と労働を広い市場で売ることでお金持ちになることができます。
そんな市場化が機能するのが、人がたくさん集まっている都市であり都会です。市場化社会では、多くのチャンスを求めて人はどんどん都市に集まります。過疎の本質とはまさに「市場化社会」というコインの裏側です。
それが憧れの「市場化社会」で、日本はそれから逃れるべきでもありません。しかし、それがどこまでも行過ぎて社会の格差はひずみが大きくなりすぎると社会が不安定になります。
社会から信頼や忠誠の心が失われます。その危険性のバランスを見抜く眼力が政治家にも求められているといえるでしょう。
「市場化」は有用な価値観ではあるけれど、世の中の何もかもを
市場に任せて市場化が絶対的な価値観を持つことは誤りだと思います。
行政には、市場化による効率化だけではなく、安定した社会を目指すための活動が必要です。NPO活動もそんなことの一つであることは間違いありません。
自分の能力がどんな役に立つのかを考えてみてはいかがでしょうか。
今日はNPOと地域社会について考える良い機会となりました。
昼食会では、ある自民党の国会議員のA先生からNPOの誕生から今後についてのお話が聞けるというので楽しみにしていたのです。
NPO法人は平成10年3月にできた特定非営利活動支援法(通称NPO法)によって法人格が与えられるようになりました。それ以前は、何人かが集まって会を作り公共的活動をしようと思っても、会の名前では電話一本引くことができなかったのです。
この法律によって、法人の立場で契約をしたり電話を引いたりといった法人活動が行えるようになったのです。
こうしたことに熱心だったのは、今は野党系の女性議員だったとのことで、最初は市民活動支援法を作ろう、と言っていたのだそう。
それに超党派で支援をしようということで、A先生も加わって勉強を重ねていたのだそうですが、そんなある日、ある大物の先輩代議士が「・・・A君は、市民活動支援法を応援しているようだが、『市民』とは野党が使う単語であって、自民党は『国家国民』を大事にする党である。A君には国家感が足りない・・・」などと言っているのを聞いて、「そうなのかなあ」と思ったということをエピソードとして披露されました。
いわゆる「市民」という立場で規制の秩序に一石を投じている方もいるようですが、そこから議論と一定の秩序に導かなくてはならないのが現代民主主義でもあります。
「市民」と「国民」とが対峙するような関係に捕らえられているというのは興味深いですね。
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A先生は東北の片田舎出身で、ふるさとの地域にはまだまだ地域コミュニティが残っていると感じています。しかしそれも次第に崩れ始めていることを感じているとも。
田舎で絆が強いと感じるのは、まず神社の氏子をはじめとした宗教団体、次が消防団、PTA・・・などがあるといいます。
「地区では学校の学区対抗マラソン大会などが熱心で、そういうところは地域コミュニティがよく運営されているんです。だから、教育バウチャーなどと言って、『誰でも好きな学区に行ってよいですよ』などということが行われると、これは地方の秩序の破壊に繋がるので、地域では反対が多かったのです。自民党もこれを進めようとしたけれど、地域にとっては大変なことになるところでした」というお話もされました。
教育バウチャーが、地域の秩序を破壊するという側面があるというのは意外でした。
それでいて私自身は、地方の都市にずっと住む人達の中には、町内会などの地域秩序にがんじがらめになって、一生続く先輩後輩の関係の中で才能を埋めさせてしまっていることもあると感じています。
地域の人達にとっては、土地に根ざした地域秩序と、土地を越えてある目的意識で自分のやりたいことの同志を募り、広い範囲で活動をするNPO活動というこのバランスが大切なのです。
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一方で日本社会は、市場化を進めてさまざまなサービスや商品が市場で調達できる社会を目指してきました。塾という教育サービスも、それまでは家族が支えてきた介護も介護サービスとして市場が供給してくれるようになったのです。
それはそれですばらしいことなのですが、日本の片隅には市場だけでは距離的に、あるいは費用的に市場化が行き渡らない場所が残ってしまいます。
いわゆる過疎といわれるところがそうです。市場化に頼り任せてしまうことで、一人一人が家族の中で無償で提供していたサービス能力が失われています。実際にはどこでも市場によるサービスを調達できるとは限らないのです。
そういうところにあって、市場と家族の無償労働の間に位置できるのがNPOなのかもしれない、と思うのです。
一人一人がやはり自分ができる能力を失わず、それを家庭内にとどめずに地域に貢献するのです。ここでのポイントは、自分自身がたとえ安くても売れるサービスを提供できる能力を保持しておくべきだということです。
それが市場化に対抗する唯一の手段であり、それを皆で集まって行うのがNPO活動というわけです。
「スローライフ」の本当の意味はじつはここにあります。効率化で早く安く提供される市場サービスが届かない地域で、人々が自分も能力を提供して力をあわせて生きてゆくことへの覚悟こそ実は「スローライフ」なのだと思うのです。
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何でも効率化してビジネス化にする「市場化社会」は実にダイナミックで躍動的です。才能のある人は自分の才能と労働を広い市場で売ることでお金持ちになることができます。
そんな市場化が機能するのが、人がたくさん集まっている都市であり都会です。市場化社会では、多くのチャンスを求めて人はどんどん都市に集まります。過疎の本質とはまさに「市場化社会」というコインの裏側です。
それが憧れの「市場化社会」で、日本はそれから逃れるべきでもありません。しかし、それがどこまでも行過ぎて社会の格差はひずみが大きくなりすぎると社会が不安定になります。
社会から信頼や忠誠の心が失われます。その危険性のバランスを見抜く眼力が政治家にも求められているといえるでしょう。
「市場化」は有用な価値観ではあるけれど、世の中の何もかもを
市場に任せて市場化が絶対的な価値観を持つことは誤りだと思います。
行政には、市場化による効率化だけではなく、安定した社会を目指すための活動が必要です。NPO活動もそんなことの一つであることは間違いありません。
自分の能力がどんな役に立つのかを考えてみてはいかがでしょうか。
今日はNPOと地域社会について考える良い機会となりました。