北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

恐怖の存在

2010-01-23 23:45:07 | Weblog
 両親の実家へ次女の成人式の写真を届けに行き、そこで弟と甥っ子に会いました。

 4歳の甥は会うたびに体力も上がってパワーアップしてきましたが、親の言うことをなかなかきかない事も多く、弟も手を焼き始めています。

 そんな甥っ子を黙らせる恐怖の存在が「なまはげ」なのだそう。弟の家では夜八時を過ぎるとなまはげが来て悪い子は食べられてしまうので、甥っ子は夜八時には必ず寝付くのだとか。

 こういう恐怖の権威を上手に使いながら言うことをきかせるという方法も何歳くらいまで聞くのでしょう。

    ※    ※    ※    ※

 そんな会話をしているうちに「あんたも御獅子を怖がったっけねえ」と親の昔話が始まりました。

 正月の獅子舞の獅子に頭を噛まれると頭が良くなると良く言われますが、私はそれが大の苦手でした。まさに恐怖の存在。

 小学校1年生くらいで稚内に住んでいた時に地域に獅子舞がやってきました。回りの子供達が獅子に頭を噛まれて次々に泣き始めたのですが、それを見て恐怖に駆られた私は、御獅子が自分に近づいてきた時に脱兎のごとく逃げ出して、ピューッと一丁先まで走って隠れていたのでした。

 なにしろ怖かった。今でもそのときの情景が頭にはっきりと浮かびますから相当恐ろしかったのです。考えてみれば随分臆病な子供でした。

 臆病ついでに言うと、同じ頃は狛犬が怖くて神社の境内に入れませんでした。「あんた、何か着いてたんでないかい?」と笑われますが、狛犬のあの形相が怖くて怖くて足がすくんだのです。

 それがいつしか気にならなくなり、今ではしょっちゅう神社を訪ね巡るようになりました。憑きものは一体いつ落ちたのでしょう。

 入れなかった稚内神社を数年前に訪ねた時は、狛犬さんってこんなに小さかったかなあと思ったものです。そのときはちゃんと境内に入ることができましたから。

  
    ※    ※    ※    ※

 民主党の小沢幹事長が自身の政治資金の関係で事情聴取を受けるというので新聞テレビは大騒ぎ。
 
 国会も始まって、一枚岩で予算成立に向けて乗りきりたい政府与党と、これを追求する野党との攻防も日増しに激しくなっています。

 小沢幹事長の政治資金の不透明さに対する意識も国民と与党民主党の間では温度差があるようですが、そう思っていても言えない党内の雰囲気を見ていて、子供の時に入れなかった神社と何が違うんだろうと思いました。

 恐怖って理屈じゃないんだけれど、言論の府は感情や感覚ではなく堂々とした議論と言葉の世界で展開して欲しいものです。
 
 皆さんは昔何が怖かったですか? 
コメント
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