人は結局一人で生まれて一人で死んで行くのですが、その人生という長い過程では親兄弟に始まり、師匠や友人や部下など多くの人たちとの関わりの中で経験を積んで成長してゆくわけです。
戦国時代という厳しい時代を生き抜いた武将達の姿の中にも、自身を支えてくれた人たちがいるわけで、それが成功の鍵だったと言うことがあるのだそうです。
今日のキーワードは「レジリエンス」です。レジリエンスってなに?
答えは文中に。
---------- 【ここから引用】 ----------
【プレジデント・ロイター】徳川家康の強さの秘密―レジリエンス
「粘る、諦めない」武将たちの精神分析【1】 プレジデント 2009年6.15号より
http://president.jp.reuters.com/article/2009/12/11/78B20AE8-DE5F-11DE-8F40-A4003F99CD51.php
ひとりぼっちで生きている人間にとって諦めないことはとても難しい。逆に言えば、物事を諦めないためには、周囲のサポートが絶対に必要である。
これは歴史上の人物の生きざまを見ても明らかなことだ。たとえば、戦国武将を代表する信長、秀吉、家康の3人。最後まで諦めなかった家康が天下統一という大事業を成し遂げたわけだが、なぜ家康にその偉業が可能だったかといえば、家康には三河武士団という強力なサポーターが存在したからだ。
困難な状況にもかかわらず、うまく適応する過程、能力、結果のこと。落ち込んでもすぐに立ち直り、また成功して一時は大喜びしてもすぐに冷静になれる、弾力性を持ったしなやかな強さである。自分で感情をコントロールするのは難しいので、周囲に諌めてくれる人を置き、耳を傾けるのがよい。戦国武将では、三河武士団に怒られ怒られ、堪え忍んできた家康が最後には勝った。
三河武士団は、サポーターとは言うものの、家康がバカなことをやろうとすればきつく戒めたし、思い上がった言動を取れば本気で頭を叩いた。周囲の人々の親身の諌言を受け入れることで、家康の人間性は練り上げられていった。
では、信長、秀吉はどうか。信長は子供の頃から手のつけられない“うつけもの”だったが、守役だった平手政秀が信長の奇行を諌めた。そのお陰で、信長はまっとうな人間として成長することができた。しかし、平手は自害を遂げてしまう。信長を命がけで諌めるための自害だったという説もあるが、いずれにせよ、信長は平手という最良のサポーターを若くして失ってしまった。
一方、秀吉には、黒田官兵衛と竹中半兵衛という優れた側近がいた。半兵衛は長篠の戦いで武田勢の陽動作戦を見破り、秀吉の命令に背いてまで兵を動かさず、結果として秀吉を救っている。だが、半兵衛は若くして病没してしまう。半兵衛のようなサポーターが長生きしていれば、秀吉は朝鮮征伐などという暴挙に出ることはなかっただろう。
「諦めない」ということを心理学的に定義してみれば、感情の安定性が高い状態だと言える。人間の感情は常に揺れるものだ。高揚することもあれば、ドーンと落ち込むこともある。しかし、感情の安定性が高いと、すぐノーマルなポジションに戻ることができる。
反対に、感情の安定性が低いと、1回戦に負けただけで「俺はなんてダメな武将なんだ」と投げやりになってしまったり、1回戦に勝っただけで「俺は戦の天才かもしれない」などと慢心してしまうことになる。
感情が大きく揺れてもすぐ元に戻るためには、思考の柔軟性が必要だ。これを心理学用語でレジリエンス(困難な環境を生き抜く適応能力)と呼ぶ。レジリエンスはいかにすれば獲得できるかと言えば、自助努力では不可能なのだ。
周囲の人々の言葉に耳を傾け、それを受け入れることでしか思考の柔軟性は獲得できない。やはり大切なのは、優れたサポーターを持っているかどうかなのである。
『貞観政要』という書を残した唐の名君・太宗は、わざわざ自分を諌めてくれる「諌臣」という役職まで創設して、家臣から諌めてもらっていた。『貞観政要』は、太宗に対する苦言・諌言集であり、太宗は相当な諌められ好き、すなわちレジリエンスの高い人物だったと言える。
【改めて《レジリエンス》とは】
困難な状況にもかかわらず、うまく適応する過程、能力、結果のこと。落ち込んでもすぐに立ち直り、また成功して一時は大喜びしてもすぐに冷静になれる、弾力性を持ったしなやかな強さである。自分で感情をコントロールするのは難しいので、周囲に諌めてくれる人を置き、耳を傾けるのがよい。戦国武将では、三河武士団に怒られ怒られ、堪え忍んできた家康が最後には勝った。
---------- 【引用ここまで】 ----------
感情におぼれてすぐに泣いたり喜んだりする人はやはりどこか軽く見られがちです。思ったことがすぐに言葉やしぐさに出てしまうのは精神の修行が足りない、というわけです。
悲しいんだけれどここは自分が泣いてはいけないんだ、という立場を重んじる精神的美学を追究したのはやはり武士という当時のエリート階級だったでしょう。
「KY=空気読めない」と言われる人もそうレッテルを貼られて笑いものになってしまいます。周囲への気配りやTPOという観念を欠かした行動はどこか幼稚で子供っぽく見えるのはそうしたことの美学がまだ多くの日本人の心根にあるからでしょう。
※ ※ ※ ※
横綱朝青龍関が暴力沙汰でまた問題を起こしています。これまでも素行不良が問題視されてなんども罰則を受けていながらなおそれが直らない。
今回の事件でも偽りの報告をしたことがさらに問題を大きくしています。
初場所でも優勝を決めた一番に買った後の花道でファンに手を挙げてアピールをする姿に、格闘技家としては強いのだろうけれど、やはり横綱としての品格が備わっていないと感じた人が多かったことでしょう。
石原都知事も「あんなものは横綱じゃない」と激昂したと報道がありましたが、むべなるかな。
http://sankei.jp.msn.com/topics/sports/4121/spt4121-t.htm
横綱が締めているのは注連縄であって、神の領域なのです。その精神的な意味や勝っても感謝しこそすれ喜びを表には出さないという様式美が崩れている状態をいつまで放置するのでしょうか。
回りの諫めが聞けないというのはなんとも寂しい限りです。もって他山の石としたいところですが。
戦国時代という厳しい時代を生き抜いた武将達の姿の中にも、自身を支えてくれた人たちがいるわけで、それが成功の鍵だったと言うことがあるのだそうです。
今日のキーワードは「レジリエンス」です。レジリエンスってなに?
答えは文中に。
---------- 【ここから引用】 ----------
【プレジデント・ロイター】徳川家康の強さの秘密―レジリエンス
「粘る、諦めない」武将たちの精神分析【1】 プレジデント 2009年6.15号より
http://president.jp.reuters.com/article/2009/12/11/78B20AE8-DE5F-11DE-8F40-A4003F99CD51.php
ひとりぼっちで生きている人間にとって諦めないことはとても難しい。逆に言えば、物事を諦めないためには、周囲のサポートが絶対に必要である。
これは歴史上の人物の生きざまを見ても明らかなことだ。たとえば、戦国武将を代表する信長、秀吉、家康の3人。最後まで諦めなかった家康が天下統一という大事業を成し遂げたわけだが、なぜ家康にその偉業が可能だったかといえば、家康には三河武士団という強力なサポーターが存在したからだ。
困難な状況にもかかわらず、うまく適応する過程、能力、結果のこと。落ち込んでもすぐに立ち直り、また成功して一時は大喜びしてもすぐに冷静になれる、弾力性を持ったしなやかな強さである。自分で感情をコントロールするのは難しいので、周囲に諌めてくれる人を置き、耳を傾けるのがよい。戦国武将では、三河武士団に怒られ怒られ、堪え忍んできた家康が最後には勝った。
三河武士団は、サポーターとは言うものの、家康がバカなことをやろうとすればきつく戒めたし、思い上がった言動を取れば本気で頭を叩いた。周囲の人々の親身の諌言を受け入れることで、家康の人間性は練り上げられていった。
では、信長、秀吉はどうか。信長は子供の頃から手のつけられない“うつけもの”だったが、守役だった平手政秀が信長の奇行を諌めた。そのお陰で、信長はまっとうな人間として成長することができた。しかし、平手は自害を遂げてしまう。信長を命がけで諌めるための自害だったという説もあるが、いずれにせよ、信長は平手という最良のサポーターを若くして失ってしまった。
一方、秀吉には、黒田官兵衛と竹中半兵衛という優れた側近がいた。半兵衛は長篠の戦いで武田勢の陽動作戦を見破り、秀吉の命令に背いてまで兵を動かさず、結果として秀吉を救っている。だが、半兵衛は若くして病没してしまう。半兵衛のようなサポーターが長生きしていれば、秀吉は朝鮮征伐などという暴挙に出ることはなかっただろう。
「諦めない」ということを心理学的に定義してみれば、感情の安定性が高い状態だと言える。人間の感情は常に揺れるものだ。高揚することもあれば、ドーンと落ち込むこともある。しかし、感情の安定性が高いと、すぐノーマルなポジションに戻ることができる。
反対に、感情の安定性が低いと、1回戦に負けただけで「俺はなんてダメな武将なんだ」と投げやりになってしまったり、1回戦に勝っただけで「俺は戦の天才かもしれない」などと慢心してしまうことになる。
感情が大きく揺れてもすぐ元に戻るためには、思考の柔軟性が必要だ。これを心理学用語でレジリエンス(困難な環境を生き抜く適応能力)と呼ぶ。レジリエンスはいかにすれば獲得できるかと言えば、自助努力では不可能なのだ。
周囲の人々の言葉に耳を傾け、それを受け入れることでしか思考の柔軟性は獲得できない。やはり大切なのは、優れたサポーターを持っているかどうかなのである。
『貞観政要』という書を残した唐の名君・太宗は、わざわざ自分を諌めてくれる「諌臣」という役職まで創設して、家臣から諌めてもらっていた。『貞観政要』は、太宗に対する苦言・諌言集であり、太宗は相当な諌められ好き、すなわちレジリエンスの高い人物だったと言える。
【改めて《レジリエンス》とは】
困難な状況にもかかわらず、うまく適応する過程、能力、結果のこと。落ち込んでもすぐに立ち直り、また成功して一時は大喜びしてもすぐに冷静になれる、弾力性を持ったしなやかな強さである。自分で感情をコントロールするのは難しいので、周囲に諌めてくれる人を置き、耳を傾けるのがよい。戦国武将では、三河武士団に怒られ怒られ、堪え忍んできた家康が最後には勝った。
---------- 【引用ここまで】 ----------
感情におぼれてすぐに泣いたり喜んだりする人はやはりどこか軽く見られがちです。思ったことがすぐに言葉やしぐさに出てしまうのは精神の修行が足りない、というわけです。
悲しいんだけれどここは自分が泣いてはいけないんだ、という立場を重んじる精神的美学を追究したのはやはり武士という当時のエリート階級だったでしょう。
「KY=空気読めない」と言われる人もそうレッテルを貼られて笑いものになってしまいます。周囲への気配りやTPOという観念を欠かした行動はどこか幼稚で子供っぽく見えるのはそうしたことの美学がまだ多くの日本人の心根にあるからでしょう。
※ ※ ※ ※
横綱朝青龍関が暴力沙汰でまた問題を起こしています。これまでも素行不良が問題視されてなんども罰則を受けていながらなおそれが直らない。
今回の事件でも偽りの報告をしたことがさらに問題を大きくしています。
初場所でも優勝を決めた一番に買った後の花道でファンに手を挙げてアピールをする姿に、格闘技家としては強いのだろうけれど、やはり横綱としての品格が備わっていないと感じた人が多かったことでしょう。
石原都知事も「あんなものは横綱じゃない」と激昂したと報道がありましたが、むべなるかな。
http://sankei.jp.msn.com/topics/sports/4121/spt4121-t.htm
横綱が締めているのは注連縄であって、神の領域なのです。その精神的な意味や勝っても感謝しこそすれ喜びを表には出さないという様式美が崩れている状態をいつまで放置するのでしょうか。
回りの諫めが聞けないというのはなんとも寂しい限りです。もって他山の石としたいところですが。