先日あるラジオ番組を聴いていたら、「自由を教えようと思ったら、自由とは何かを教えるのではなく不自由を叩き込むのが一番」という発言がありました。
不自由とはこんなに辛いことなのか、辛いものなのか、ということを身を以て体験することで始めて真に自由の意味を知りそれを渇望する人間が出来上がるのだ、とも。
なかなか面白い意見です。
かつて世の中が社会人の新米に厳しかったのは、世の中は不条理に満ちているということを体に叩き込むためのイニシエーション(通過儀礼)だったのかもしれません。
ところが先人の知恵が作り上げたそんな通過儀礼もいつしかその深い意味が忘れられ、個人の権利意識が強くなってくると本来『練習として教えるべき小さな不条理』すら『不条理である』という理由だけでそぎ落とそうという動きが出てきて、それに
世の中が反論する術を失っている状態と言えないでしょうか。
精神と体を鍛える武道の場が暴力に見えているのと同じかも知れません。専門家(=権威、プロフェッショナル)による確固たるコントロールの下で行われる不条理と、だれもコントロールする術を失っている不条理との区別がつかない人が多くなってきたということでもあるかもしれません。
コントロール下に置かれている不条理の、時(Time)と場所(Place)と場合(Ocasion)というTPOをわきまえることを世の中が教えられなくなってきたのでしょうね。だから不条理への不満を平気で口に出す人が増える社会になってきたのです。
※ ※ ※ ※
今日は札幌市の成人式。平成生まれがいよいよ成人になる年です。
東京に住む次女もこの日のために休暇をもらって帰省中。朝早くから起きて着物の着付け、髪のセットとお化粧、写真を撮ってから親戚巡りで新成人披露。午後には地区の成人式へいそいそと出かけて行きました。
今日の札幌は午後から雪もちらほら降りましたがこの時期としては穏やかな一日。
「成人式で騒ぐバカな集団はいなかったかい?」と訊くと、「怖そうな人たちがいて座らずにウロウロしていたけど式はそれなりに終わったよ」とのこと。
この時期マスコミでは全国の成人式での騒動をわざわざ探しだして放送して、却って騒動を煽っているのではないか、と思うので自重して欲しいところ。
※ ※ ※ ※
そんななか、佐世保市の成人式で市長の挨拶の際に傍若無人な若者が市長の挨拶の際に「お前の話なんか聞いている奴いない!」と叫んだ騒動があったのだテレビが報じていた。
その騒動では、それを聞いた市長が「世の中そんなに甘くないぞ!」と言い返したところ、会場から拍手が起きていた。サイレントマジョリティは決してそうした傍若無人さを支持してはいないということだけど、残念ながら不支持を表明する機会がないんですよね。
誰も聞かない話だと思ってもじっと聞かなくちゃならないという不条理に耐えられない人は、きっとまだ大人にはなっていないということなんだな。
とすると成人式は、大人になった人を祝うと言うよりも、本当に大人になったのか、まだ子供なのかを自分自身で判別する式典なのかも知れません。
平成生まれの皆さん、大人の世界へようこそ。
不自由とはこんなに辛いことなのか、辛いものなのか、ということを身を以て体験することで始めて真に自由の意味を知りそれを渇望する人間が出来上がるのだ、とも。
なかなか面白い意見です。
かつて世の中が社会人の新米に厳しかったのは、世の中は不条理に満ちているということを体に叩き込むためのイニシエーション(通過儀礼)だったのかもしれません。
ところが先人の知恵が作り上げたそんな通過儀礼もいつしかその深い意味が忘れられ、個人の権利意識が強くなってくると本来『練習として教えるべき小さな不条理』すら『不条理である』という理由だけでそぎ落とそうという動きが出てきて、それに
世の中が反論する術を失っている状態と言えないでしょうか。
精神と体を鍛える武道の場が暴力に見えているのと同じかも知れません。専門家(=権威、プロフェッショナル)による確固たるコントロールの下で行われる不条理と、だれもコントロールする術を失っている不条理との区別がつかない人が多くなってきたということでもあるかもしれません。
コントロール下に置かれている不条理の、時(Time)と場所(Place)と場合(Ocasion)というTPOをわきまえることを世の中が教えられなくなってきたのでしょうね。だから不条理への不満を平気で口に出す人が増える社会になってきたのです。
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今日は札幌市の成人式。平成生まれがいよいよ成人になる年です。
東京に住む次女もこの日のために休暇をもらって帰省中。朝早くから起きて着物の着付け、髪のセットとお化粧、写真を撮ってから親戚巡りで新成人披露。午後には地区の成人式へいそいそと出かけて行きました。
今日の札幌は午後から雪もちらほら降りましたがこの時期としては穏やかな一日。
「成人式で騒ぐバカな集団はいなかったかい?」と訊くと、「怖そうな人たちがいて座らずにウロウロしていたけど式はそれなりに終わったよ」とのこと。
この時期マスコミでは全国の成人式での騒動をわざわざ探しだして放送して、却って騒動を煽っているのではないか、と思うので自重して欲しいところ。
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そんななか、佐世保市の成人式で市長の挨拶の際に傍若無人な若者が市長の挨拶の際に「お前の話なんか聞いている奴いない!」と叫んだ騒動があったのだテレビが報じていた。
その騒動では、それを聞いた市長が「世の中そんなに甘くないぞ!」と言い返したところ、会場から拍手が起きていた。サイレントマジョリティは決してそうした傍若無人さを支持してはいないということだけど、残念ながら不支持を表明する機会がないんですよね。
誰も聞かない話だと思ってもじっと聞かなくちゃならないという不条理に耐えられない人は、きっとまだ大人にはなっていないということなんだな。
とすると成人式は、大人になった人を祝うと言うよりも、本当に大人になったのか、まだ子供なのかを自分自身で判別する式典なのかも知れません。
平成生まれの皆さん、大人の世界へようこそ。