最近勉強しているのが日本の年金や医療、介護などの社会保障の問題。
思えば、何かと話題にはなっているものの、私自身正しい知識や理解をしているとは到底思えません。
しかも世の中には評価が正反対な主張や本が溢れていて、本当のところどの主張が真に現状を正しく表しているのかが実に分かりにくいのです。
ただでさえ大きくて難しい社会保障という大木を考えようという時に枝葉末節な言説に惑わされてしまえば本質になかなかたどりつかないでしょう。
さて、それでは誰のどんな主張に耳を傾け、一体どんな本を読んだらよいものか、とネットのリサーチを続けていたのですが、その果てにようやくたどりついたのが慶応大学商学部の権丈善一教授という方でした。
この先生、既に年金や社会保障の世界ではこれまでの常識とは違った主張を吐きまくる異端児っぽいところがあるのですが、その論は数字とデータを元に構築され、ふわふわした感情論とは一線を画した確固たるもので、目からウロコが落ちるような思いを与えてくれます。
権丈先生の主張の要諦は、「医療・介護、保育・教育のための資源を社会から優先的に確保し、かつこれら対人サービスの平等な消費が実現できる社会をつくりたい」ということです。
そのためには、働き方が正規雇用だろうが非正規雇用だろうが時間あたりの賃金や社会保険の適用に差がないようにしなくてはならず、そうしたうえで就業形態を選択する自由が保障される社会をこの国が目指すように社会や有権者を説得しなくてはなりません。
権丈先生は、これからの日本が医療や介護、年金でぐらつかないような社会を作るべきだし、それを実現しようと思えば、他の行政分野のムダと呼ばれるようなゴミみたいな予算をかき集めたところで桁がまったく足りないのだ!と断言します。
だからもう早晩日本は増税や社会保険料の引き上げをせざるを得ないのが明らかだ、しかし日本という国はそういう政策をやろうとする政治家を落とす【癖】のある国でもある。
しかし論を正確に国民に伝え、増税などの国民負担率の増加はやがて自分自身の老後の安定に繋がる明るい未来への決断に他ならずそれ以外に日本を社会崩壊の道から救う手だてはないんだ!と断言するのです。
これはなかなか深い論ですぞ。
※ ※ ※ ※
権丈先生は、政策の意思は毎年の予算に占める政策経費の割合ではなく、国民所得(あるいはGDP)に対して国民がどれだけ支出しているかという割合で見なくてはならない、と言います。
国民全体が稼いでいるお金のどれだけを何に使っているのかこそが、その国が何を実現しようとしているのかという指標になると言う主張です。
そしてそう言う前提で世界を見たときに国民所得に占める社会保障負担率は、一応は先進国とされるOECD諸国30カ国の中でもなんと下から三番目という低負担国家であることが分かるのです。
日本より負担率が低い国というのはメキシコ、トルコ、韓国くらいなもので、しかもこれらの国は高齢化がまだ進展しておらず全体として若い国なのでそうした負担がまだ問題になるような情勢でもない。日本は世界でも先頭グループに属する高齢化社会を迎えようとしているに、これでは求められる社会保障
は絶対に果たせるはずがないのです。
そしていわゆる小泉改革と称される政治が行ったことは唯一、国に託すしかない社会保障機能をも徹底的に削ぐことでしかなかった。
小さな政府、大きな政府というのは社会保障が小さいのか大きいのかということとイコールであり、公務員の削減などはそうしたことからみれば桁違いに小さい話しでしかないのです。
※ ※ ※ ※
2007年秋の福田政権誕生の際に時の自民党は「社会保障を守り抜くには負担増以外に道はない」という趣旨で小泉路線では封印されていた議論を行う「財政改革研究会」を立ち上げました。
権丈先生はこの会議にこの年の10月に2度呼ばれて意見を述べられたのですが、その年の11月にこの研究会では「2010年代半ばに10%程度に引き上げることを掲げた『中間とりまとめ』を公表し、消費税の使い道を年金など社会保障給付の財源に限る」という提言を行いました。
麻生政権でも消費税の増税が言及されました。要はそれを正しく伝え、国民を説得出来なければ豊かな日本の明日はない、ということに政権上層部は気づいていたのですが、その後の政権交代では消費税は上げないとされています。
「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズに見られる、国民への給付はある程度あるべき方向とはいえ、それに対する財源は明確に国民に負担してもらうという政治を実現しなくてはならないのです。
このことにこれからの与野党がどういう姿勢を見せてくれるのかを見極めて、国民は正しい選択ができなくてはならないのですが、「所詮この程度の国民」からは「その程度」の政治しかできないのも現実です。
さて我々は社会保障の問題をどう考えるべきでしょうか。これからもいろいろな機会にこのテーマは追いかけて行きたいと思います。
なお、これらのことをもっと深く理解出来る格好の対談が権丈先生のホームページにアップされています。
日本歯科医師会が権丈先生を招いて行ったもので雑誌のページとして掲載されています。興味のある方はぜひこちらもご覧ください。
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/zadankai2.pdf
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/zadankai3.pdf
国民の無知とお任せ体質につけ込んで、議論がねじまげられていることに気づかなければ、そのツケは確実に自分たちの老後に払わなくてはなりません。
権丈先生の主張をどう考えるかも含めて自己防衛能力を高めなくては。
思えば、何かと話題にはなっているものの、私自身正しい知識や理解をしているとは到底思えません。
しかも世の中には評価が正反対な主張や本が溢れていて、本当のところどの主張が真に現状を正しく表しているのかが実に分かりにくいのです。
ただでさえ大きくて難しい社会保障という大木を考えようという時に枝葉末節な言説に惑わされてしまえば本質になかなかたどりつかないでしょう。
さて、それでは誰のどんな主張に耳を傾け、一体どんな本を読んだらよいものか、とネットのリサーチを続けていたのですが、その果てにようやくたどりついたのが慶応大学商学部の権丈善一教授という方でした。
この先生、既に年金や社会保障の世界ではこれまでの常識とは違った主張を吐きまくる異端児っぽいところがあるのですが、その論は数字とデータを元に構築され、ふわふわした感情論とは一線を画した確固たるもので、目からウロコが落ちるような思いを与えてくれます。
権丈先生の主張の要諦は、「医療・介護、保育・教育のための資源を社会から優先的に確保し、かつこれら対人サービスの平等な消費が実現できる社会をつくりたい」ということです。
そのためには、働き方が正規雇用だろうが非正規雇用だろうが時間あたりの賃金や社会保険の適用に差がないようにしなくてはならず、そうしたうえで就業形態を選択する自由が保障される社会をこの国が目指すように社会や有権者を説得しなくてはなりません。
権丈先生は、これからの日本が医療や介護、年金でぐらつかないような社会を作るべきだし、それを実現しようと思えば、他の行政分野のムダと呼ばれるようなゴミみたいな予算をかき集めたところで桁がまったく足りないのだ!と断言します。
だからもう早晩日本は増税や社会保険料の引き上げをせざるを得ないのが明らかだ、しかし日本という国はそういう政策をやろうとする政治家を落とす【癖】のある国でもある。
しかし論を正確に国民に伝え、増税などの国民負担率の増加はやがて自分自身の老後の安定に繋がる明るい未来への決断に他ならずそれ以外に日本を社会崩壊の道から救う手だてはないんだ!と断言するのです。
これはなかなか深い論ですぞ。
※ ※ ※ ※
権丈先生は、政策の意思は毎年の予算に占める政策経費の割合ではなく、国民所得(あるいはGDP)に対して国民がどれだけ支出しているかという割合で見なくてはならない、と言います。
国民全体が稼いでいるお金のどれだけを何に使っているのかこそが、その国が何を実現しようとしているのかという指標になると言う主張です。
そしてそう言う前提で世界を見たときに国民所得に占める社会保障負担率は、一応は先進国とされるOECD諸国30カ国の中でもなんと下から三番目という低負担国家であることが分かるのです。
日本より負担率が低い国というのはメキシコ、トルコ、韓国くらいなもので、しかもこれらの国は高齢化がまだ進展しておらず全体として若い国なのでそうした負担がまだ問題になるような情勢でもない。日本は世界でも先頭グループに属する高齢化社会を迎えようとしているに、これでは求められる社会保障
は絶対に果たせるはずがないのです。
そしていわゆる小泉改革と称される政治が行ったことは唯一、国に託すしかない社会保障機能をも徹底的に削ぐことでしかなかった。
小さな政府、大きな政府というのは社会保障が小さいのか大きいのかということとイコールであり、公務員の削減などはそうしたことからみれば桁違いに小さい話しでしかないのです。
※ ※ ※ ※
2007年秋の福田政権誕生の際に時の自民党は「社会保障を守り抜くには負担増以外に道はない」という趣旨で小泉路線では封印されていた議論を行う「財政改革研究会」を立ち上げました。
権丈先生はこの会議にこの年の10月に2度呼ばれて意見を述べられたのですが、その年の11月にこの研究会では「2010年代半ばに10%程度に引き上げることを掲げた『中間とりまとめ』を公表し、消費税の使い道を年金など社会保障給付の財源に限る」という提言を行いました。
麻生政権でも消費税の増税が言及されました。要はそれを正しく伝え、国民を説得出来なければ豊かな日本の明日はない、ということに政権上層部は気づいていたのですが、その後の政権交代では消費税は上げないとされています。
「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズに見られる、国民への給付はある程度あるべき方向とはいえ、それに対する財源は明確に国民に負担してもらうという政治を実現しなくてはならないのです。
このことにこれからの与野党がどういう姿勢を見せてくれるのかを見極めて、国民は正しい選択ができなくてはならないのですが、「所詮この程度の国民」からは「その程度」の政治しかできないのも現実です。
さて我々は社会保障の問題をどう考えるべきでしょうか。これからもいろいろな機会にこのテーマは追いかけて行きたいと思います。
なお、これらのことをもっと深く理解出来る格好の対談が権丈先生のホームページにアップされています。
日本歯科医師会が権丈先生を招いて行ったもので雑誌のページとして掲載されています。興味のある方はぜひこちらもご覧ください。
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/zadankai2.pdf
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/zadankai3.pdf
国民の無知とお任せ体質につけ込んで、議論がねじまげられていることに気づかなければ、そのツケは確実に自分たちの老後に払わなくてはなりません。
権丈先生の主張をどう考えるかも含めて自己防衛能力を高めなくては。