今日から明日にかけては、東京で開催される「ふるさと再生・行動する首長会議」政策研究フォーラムに参加です。
フォーラムのテーマは「地域主権時代のふるさとイズムの構築に向けて~ポスト3.11 新たなふるさとの創造」
基調講演をしてくださったのは美術史学がご専門で、東京大学名誉教授にして国立美術館理事長、東京国立近代美術館館長の青柳正規先生。お題は「古代都市国家の文明論」です。
以下先生のお話をまとめてみました。
※ ※ ※ ※
日本は世界でも稀なダウンサイジングする国家としての道を歩むことになるだろう。人口が2割減るとしてもそれは企業の売り上げが2割減るのではなく、構造的な改革をする必要がある。
国の成長が3%必要だ、などというのは昔からの成長路線のトレースに過ぎない。そもそも、日本のGDP500兆円が3%成長するというのは、フィリピンという一国が誕生するくらいのオーダーなんだ。そんなものを続けて行けるわけがない。年金が払えないから成長せざるを得ない、などという理屈から成長が必要だと言っている。
経済の成長は経済学者が言うからそうなるのではない。一般市民の気持ちが左右させる。気持ちが明るくなれば消費は増えるし、気持ちが冷え込めばすぐに消費も少なくなる。
政治や行政がどんなまちづくりをしようか、という方向性が変わるだけで市民の気持ちは明るくも暗くもなるものです。
※ ※ ※ ※
日本という国は世界から見ると大変粒の揃った国民で、こんな国は稀なのだが、日本ではどうも手段が目的化しがちだ。経済市場主義もバブルの直前までは夢があって、それが忘れられないのだろう。経済発展のその先の生活が充実するという目的が忘れられてしまっているのではないか。
補助金が増えるなどと言うことはもううまくいくわけがない。補助金の効果も薄れている。財政赤字は増えるばかりだ。ここで発想を転換しない限り、悪いループに入り込んでしまう。
少し頭を冷やして古代ギリシャやローマを思い起こせば、各都市が非常に元気があったので良い地域になっていた。そこから今へのヒントを思い起こしたい。
※ ※ ※ ※
地中海というのは春先に海が湖のように穏やかな時期があって、ちゃちな船でも行き交うことができる、そんな海だ。この当時の古代ギリシャで誕生した文明は現代への基礎としてしっかりと生き残っている。
過去に於いてそれまでにはない、飛躍的な成果や知恵を生み出したのは古代ギリシャ時代に生きた人たちが実に多い。しかしその後ローマ時代になるとてローマ人は、「そういうギリシャの生活は良くないし、旨い物もないじゃないか」と核心をついたことを言っている。
つまり知恵というものが市民一人ひとりの生活を向上させるためにはもう一ひねり加えて知識と知恵を再度シャッフルさせなくてもう一つ上を目指さなくては行けなかったことをローマ人たちは知っていたのだ。
ローマ人には飛躍的な賢人という者は出なかったが、そうした知恵を実に現実的に上手に取り入れて、近代に至るまで後世の国々がなかなか凌駕出来ないほどの高いレベルの生活を手に入れていた。
現代風に言うと、ノーベル賞を取る者はいなかったがそんな先端的なことは分からなくても市民によい生活をさせることはできたのだ。
※ ※ ※ ※
人生の目的というのは「思い出作り」にほかならない。親しい人が死んだ時に悲しいのは、思い出を共有出来る人がいなくなるからに他ならない。祭や文化財があるのはそれらに思い出が付着しているから大事にするのだ。
大震災で罹災した人たちが必死になってアルバムを探すのは、まさに思い出を求めているからだし、その風景を見て胸が締め付けられるのは、思い出が我々にとってこれほど大切なものか、と確認させられたからではないか。
日本にはないけれど、ギリシャでは記憶の末梢という刑があるくらいだ。
しかし新しい思い出作りばかりに意を注ぐと、昔ながらの思い出は消えてしまう。最近では「Always」のような映画は流行りやすくなっているが、その前には戦前があったし明治、江戸だってあったのだ。
ジョージ・オーウェルは「過去を制するものは現代を制する」「過去を制するものは未来を制する」と言った。そのことの意味をもう一度かみしめたい。
※ ※ ※ ※
地中海ではギリシャ人やフェニキア人などが各地の海岸で植民都市を作り上げた。インターナショナルと言うよりはインターシティだった。今日も国レベル同士のインターナショナルなつきあいだけではなく、都市間外交とも言うべきインターシティを一生懸命やった方がよいのではないか。
中国で四川省の大地震があった時には行政の情報系統はほぼ潰れたが、中国では共産党によって情報が繋がってさまざまな指示も出された。ヨーロッパであればキリスト教会がそうした役割を担っている。
このような社会の多重性が社会のリスクを少なくする。ところが日本ではその効率化を推し進めすぎたために、地域コミュニティや祭コミュニティなどの代替コミュニティが失われても平気だった。そのため行政が潰れると動きが取れなくなってしまうという、このことこそ反省すべきなのではないか。
ローマ人は、ギリシャのように文化を押し進めると繁栄はするが社会が脆弱になることを知っていたので、ギリシャ化することを避け続けた。
日本人も理念が先行するのではなく、社会そのものを見つめてしっかりした社会を理解した上でその再生に努めるべきだと思う。 (講演録ここまで)
※ ※ ※ ※
古代文明から現代を照らしてみると、悠久の昔から変わらない真実と今日の社会が抱える変化との組み合わせがよく分かります。
自分たちの故郷はどうなるのでしょう。いや、私たちは何をなすべきなのか。
明日もパネルディスカッションが開かれます。
フォーラムのテーマは「地域主権時代のふるさとイズムの構築に向けて~ポスト3.11 新たなふるさとの創造」
基調講演をしてくださったのは美術史学がご専門で、東京大学名誉教授にして国立美術館理事長、東京国立近代美術館館長の青柳正規先生。お題は「古代都市国家の文明論」です。
以下先生のお話をまとめてみました。
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日本は世界でも稀なダウンサイジングする国家としての道を歩むことになるだろう。人口が2割減るとしてもそれは企業の売り上げが2割減るのではなく、構造的な改革をする必要がある。
国の成長が3%必要だ、などというのは昔からの成長路線のトレースに過ぎない。そもそも、日本のGDP500兆円が3%成長するというのは、フィリピンという一国が誕生するくらいのオーダーなんだ。そんなものを続けて行けるわけがない。年金が払えないから成長せざるを得ない、などという理屈から成長が必要だと言っている。
経済の成長は経済学者が言うからそうなるのではない。一般市民の気持ちが左右させる。気持ちが明るくなれば消費は増えるし、気持ちが冷え込めばすぐに消費も少なくなる。
政治や行政がどんなまちづくりをしようか、という方向性が変わるだけで市民の気持ちは明るくも暗くもなるものです。
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日本という国は世界から見ると大変粒の揃った国民で、こんな国は稀なのだが、日本ではどうも手段が目的化しがちだ。経済市場主義もバブルの直前までは夢があって、それが忘れられないのだろう。経済発展のその先の生活が充実するという目的が忘れられてしまっているのではないか。
補助金が増えるなどと言うことはもううまくいくわけがない。補助金の効果も薄れている。財政赤字は増えるばかりだ。ここで発想を転換しない限り、悪いループに入り込んでしまう。
少し頭を冷やして古代ギリシャやローマを思い起こせば、各都市が非常に元気があったので良い地域になっていた。そこから今へのヒントを思い起こしたい。
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地中海というのは春先に海が湖のように穏やかな時期があって、ちゃちな船でも行き交うことができる、そんな海だ。この当時の古代ギリシャで誕生した文明は現代への基礎としてしっかりと生き残っている。
過去に於いてそれまでにはない、飛躍的な成果や知恵を生み出したのは古代ギリシャ時代に生きた人たちが実に多い。しかしその後ローマ時代になるとてローマ人は、「そういうギリシャの生活は良くないし、旨い物もないじゃないか」と核心をついたことを言っている。
つまり知恵というものが市民一人ひとりの生活を向上させるためにはもう一ひねり加えて知識と知恵を再度シャッフルさせなくてもう一つ上を目指さなくては行けなかったことをローマ人たちは知っていたのだ。
ローマ人には飛躍的な賢人という者は出なかったが、そうした知恵を実に現実的に上手に取り入れて、近代に至るまで後世の国々がなかなか凌駕出来ないほどの高いレベルの生活を手に入れていた。
現代風に言うと、ノーベル賞を取る者はいなかったがそんな先端的なことは分からなくても市民によい生活をさせることはできたのだ。
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人生の目的というのは「思い出作り」にほかならない。親しい人が死んだ時に悲しいのは、思い出を共有出来る人がいなくなるからに他ならない。祭や文化財があるのはそれらに思い出が付着しているから大事にするのだ。
大震災で罹災した人たちが必死になってアルバムを探すのは、まさに思い出を求めているからだし、その風景を見て胸が締め付けられるのは、思い出が我々にとってこれほど大切なものか、と確認させられたからではないか。
日本にはないけれど、ギリシャでは記憶の末梢という刑があるくらいだ。
しかし新しい思い出作りばかりに意を注ぐと、昔ながらの思い出は消えてしまう。最近では「Always」のような映画は流行りやすくなっているが、その前には戦前があったし明治、江戸だってあったのだ。
ジョージ・オーウェルは「過去を制するものは現代を制する」「過去を制するものは未来を制する」と言った。そのことの意味をもう一度かみしめたい。
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地中海ではギリシャ人やフェニキア人などが各地の海岸で植民都市を作り上げた。インターナショナルと言うよりはインターシティだった。今日も国レベル同士のインターナショナルなつきあいだけではなく、都市間外交とも言うべきインターシティを一生懸命やった方がよいのではないか。
中国で四川省の大地震があった時には行政の情報系統はほぼ潰れたが、中国では共産党によって情報が繋がってさまざまな指示も出された。ヨーロッパであればキリスト教会がそうした役割を担っている。
このような社会の多重性が社会のリスクを少なくする。ところが日本ではその効率化を推し進めすぎたために、地域コミュニティや祭コミュニティなどの代替コミュニティが失われても平気だった。そのため行政が潰れると動きが取れなくなってしまうという、このことこそ反省すべきなのではないか。
ローマ人は、ギリシャのように文化を押し進めると繁栄はするが社会が脆弱になることを知っていたので、ギリシャ化することを避け続けた。
日本人も理念が先行するのではなく、社会そのものを見つめてしっかりした社会を理解した上でその再生に努めるべきだと思う。 (講演録ここまで)
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古代文明から現代を照らしてみると、悠久の昔から変わらない真実と今日の社会が抱える変化との組み合わせがよく分かります。
自分たちの故郷はどうなるのでしょう。いや、私たちは何をなすべきなのか。
明日もパネルディスカッションが開かれます。