【朝七時半の品川高層ビル街】
朝九時の飛行機で羽田から釧路へ帰ってきました。
品川東地区の高層ビル街の写真を携帯で撮って、Facebookにアップして、「『東京の皆さん、さようなら。僕は避暑地へ帰ります』ってコピー、かっこいいと思いませんか?」と写真とともにアップしたら、20人以上から「いいね!」をいただきました。
たんちょう釧路空港へ降り立った時の空気にほっとするのはもう釧路人の証です。
夕方ちょっと時間があったので、知人を誘って家の近くの釧路川の支流を探検に行ってきました。水温は16℃で足をつけていたら震えが来るほどの冷たさ。朝30℃の東京にいたことが信じられない温度差です。
この水温の低さなら鱒の類もまだ元気に泳いでいるだろうけれど、良く見るとどの川も護岸工事が進んでいて生き物にとってはつらい河川環境であることが分かります。
治水はもちろん大切ですが、治水・利水に加えて河川法の三本柱には環境が加わっているのですから、もっと生物生息環境に配慮してもよさそうなものだと改めて思いました。
もっとたくさん現場を見なくてはいけません。
【夕方5時の釧路市郊外。シカが平気で里に…】
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昨日のブログ記事の中に、観光庁の方と話したくだりがありました。
観光庁の方から、
「休暇の過ごし方の発想を変えることが考えられます。旅先で何かしないと焦ってしまう気持ちを変えましょう。ぼんやりと本を読んだり、ただ涼んでいるだけだって良いじゃないですか。旅先で何かをするために旅をすると考えるか、とにかく都会を離れたい、東京にいないことに意味がある、というだけの旅だって良いのではないでしょうか」と言われました。
この意見に対して私は、「なるほど。ただ東京にいたくない、と思った時にそれではどこへ行こうか、というときに選んでもらえるような魅力に磨きをかけるのは地方の頑張り方の問題ですね」と答えたのですが、どうもこの先方の意見に違和感がありました。
その違和感の正体が何なのかを考えていてやっと気づいたのは、このお相手はやはり物事を東京を中心に考えているということで、私は釧路を中心に考えているということした。
「東京でなければどこでも良い、東京でないことに意味がある」などというのはやはり東京であることの痛烈な意識の裏返しだということです。
それを私は釧路を頭に描きながら、「それなら釧路を選んでほしい」と思っているのに、先方は「いや、別に東京でなければどこでもいいんです」というのでは、なんだか議論がかみ合わない道理です。
しかしこれほど旅先の地方を馬鹿にした話もありません。
結婚に例えると、女性に「いや、別に男なんて誰でもいいのよ。私を振ったあの人以外だったら誰と結婚したっていいのよ」と言われているみたいです。これって男としてやっぱり腹立たしくはありませんか?女性だったら男性にそう言われたときのことを想像してみてください。
(くそー、それなら『やっぱりあなたじゃなきゃダメなの』と言わせて見せるぜ!)と思うのが当たり前というものです。いや、そうでなくては!
そんなわけで、都会人をぎゃふんといわせる「あなた(釧路)でなくちゃダメ」という魅力磨きと自覚強化の現場探査を実施中。
我々は自分の町を中心に考えるべき。
「随所に主となれば立処真なり」(臨済録)なのです。