神秘の植物マリモを育む阿寒湖。
その阿寒湖が現在まで自然豊かに守り通せたのは、ひとえに明治時代に内務官僚として日本の殖産興業に力を尽くした前田正名氏とそのご子孫が設立された前田一歩園財団による熱心な森林保護活動ゆえです。
【阿寒湖畔に立つ前田正名公像】
前田正名氏は明治5年嘉永3(1850)年に薩摩藩の漢方医の子供として生まれました。
明治2(1869)年、弱冠19歳にしてフランス留学を果たして現地で7年を過ごしました。この間、パリで豊かな殖産興業と同時に農工商の調和的発展を進めるフランス社会に触れ、同時に渡仏の翌(1870)年に起こった普仏戦争による人心の荒廃を目の当たりにしました。
渡仏直後の正名氏はフランスと日本の彼我の差に愕然としてしばしば絶望感にさいなまれましたが、普仏戦争での混乱を経験したことで、西欧人ならびに西欧人の絶対性という重圧感から解放され、世界には数種類の文明があることや物質的文明に限界があるということを悟った、と後に語っています。
前田正名は薩摩出身ということで大久保利通とも近く、フランスが普仏戦争後の復興を願って1878年に開催を計画したパリ万博にあっては、いち早くその情報を聞きつけて事務員として雇ってもらうとともに、一時帰国して大久保利通に対して、このパリ万博に日本として参加することの意義を説き、それを認めさせ現地での準備一任を取り付けることに成功しました。
時あたかも西南戦争の真っただ中での準備でしたが、「この博覧会は我が国の農工商を西欧に紹介して知らしめるのに、他とは比較にならない格別の機会である」として出品者を募りましたが同時に、「ハラキリの野蛮な国である、という印象を払しょくしなくてはならぬ」として、日本庭園を造り、さらに演劇を上映して人気を博しました。
まさに西欧での日本デビューは前田正名氏の力によるところがきわめて大きいと言えるでしょう。
※ ※ ※ ※ ※
パリ万博での成功を収めて、残務整理を終えた後、前田正名は帰国して大蔵省商務局において官僚としての道を歩み始めます。
彼は時の大蔵卿大隈重信とともに、西南戦争で疲弊した国家財政を救うために直接輸出策をとるべし、という論を立てて、国家政策を論じるようになります。
彼の頭の中にはフランスで体得した産業の重要性とともに農工商の調和ということがあり、官職を退官後は自らも産業を起こすべく実業も進めます。
地方産業の模範とするべく全国各地に牧畜、果樹園、林業などの事業を起こしましたが、その事業体には彼の座右の銘「物ごと万事に一歩が大切」に由来して「○○前田一歩園」と命名をしました。
そして成功もあり失敗もあった彼の実業生活で最後まで残った北海道阿寒の阿寒前田一歩園は、明治39年に正名が国有未開地処分法にもとづき取得しました。
エピソードとしてよく語られるのは、正名が阿寒の地を視察した折、阿寒湖畔の美しい景観に感銘して、「この山は伐る山から観る山にすべきである」と述べたということです。
奇しくも正名没年の大正10年に阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖を含む約9万ヘクタールの地域を阿寒国立公園に指定を求める請願が帝国議会に提出されました。
阿寒国立公園は昭和9年にその指定が行われて今日に至っています。
日本に殖産興業を起こす運動を展開してきた正名が最後に残したのが伐る山ではなく見る山としての阿寒湖一帯の山林であり、そのことが結果として今日のマリモの保全に繋がっているというのは実に面白いことです。
正名氏の思いはその後ご子孫による財団法人前田一歩園の設立に繋がり、現在の阿寒湖周辺の開発と保全に大きな役割を果たしています。
時代の篤志家に恵まれた阿寒の幸運を心から慶びたいと思います。
【滝見橋からの十月の紅葉】
※ ※ ※ ※ ※
さて、最後に歴史的なエピソードを一つ。
この前田正名は渡仏する前の少年時代に長崎で、あの坂本竜馬に出会っています。
竜馬は小柄な前田少年が長刀を下げているのを見て、「前田君、君の刀は長すぎる。余の刀を差してゆきたまえ」といって自らの刀を正名に渡したと伝えられています。
このエピソードとその後渡仏した正名を主人公にして書かれた歴史フィクションが「巴里の侍」(月島総記著 メディアファクトリー刊)という小説で、ダヴィンチ文学賞アナザー・ステージ ゼロワングランプリ大賞を受賞しました。
【歴史ファンタジー小説「巴里の侍」】
そしてさらに、この小説をもとにして作られたのが宝塚雪組によるミュージカル「Samourai」でその初演が今日の1月13日。
人づてに、現在の前田一歩園理事長も初演を観覧に行かれていると伺いました。
マリモが特別天然記念物指定60周年という節目の年を迎えるにあたって、いろいろな事柄が阿寒湖やマリモに向かってきている流れを感じます。
あらためて前田正名氏の業績に思いをはせながら、残された豊かな自然の恵みを享受したいものですね。
【宝塚 歴史ミュージカル「Samourai」】 http://bit.ly/wgv5pn
その阿寒湖が現在まで自然豊かに守り通せたのは、ひとえに明治時代に内務官僚として日本の殖産興業に力を尽くした前田正名氏とそのご子孫が設立された前田一歩園財団による熱心な森林保護活動ゆえです。
【阿寒湖畔に立つ前田正名公像】
前田正名氏は明治5年嘉永3(1850)年に薩摩藩の漢方医の子供として生まれました。
明治2(1869)年、弱冠19歳にしてフランス留学を果たして現地で7年を過ごしました。この間、パリで豊かな殖産興業と同時に農工商の調和的発展を進めるフランス社会に触れ、同時に渡仏の翌(1870)年に起こった普仏戦争による人心の荒廃を目の当たりにしました。
渡仏直後の正名氏はフランスと日本の彼我の差に愕然としてしばしば絶望感にさいなまれましたが、普仏戦争での混乱を経験したことで、西欧人ならびに西欧人の絶対性という重圧感から解放され、世界には数種類の文明があることや物質的文明に限界があるということを悟った、と後に語っています。
前田正名は薩摩出身ということで大久保利通とも近く、フランスが普仏戦争後の復興を願って1878年に開催を計画したパリ万博にあっては、いち早くその情報を聞きつけて事務員として雇ってもらうとともに、一時帰国して大久保利通に対して、このパリ万博に日本として参加することの意義を説き、それを認めさせ現地での準備一任を取り付けることに成功しました。
時あたかも西南戦争の真っただ中での準備でしたが、「この博覧会は我が国の農工商を西欧に紹介して知らしめるのに、他とは比較にならない格別の機会である」として出品者を募りましたが同時に、「ハラキリの野蛮な国である、という印象を払しょくしなくてはならぬ」として、日本庭園を造り、さらに演劇を上映して人気を博しました。
まさに西欧での日本デビューは前田正名氏の力によるところがきわめて大きいと言えるでしょう。
※ ※ ※ ※ ※
パリ万博での成功を収めて、残務整理を終えた後、前田正名は帰国して大蔵省商務局において官僚としての道を歩み始めます。
彼は時の大蔵卿大隈重信とともに、西南戦争で疲弊した国家財政を救うために直接輸出策をとるべし、という論を立てて、国家政策を論じるようになります。
彼の頭の中にはフランスで体得した産業の重要性とともに農工商の調和ということがあり、官職を退官後は自らも産業を起こすべく実業も進めます。
地方産業の模範とするべく全国各地に牧畜、果樹園、林業などの事業を起こしましたが、その事業体には彼の座右の銘「物ごと万事に一歩が大切」に由来して「○○前田一歩園」と命名をしました。
そして成功もあり失敗もあった彼の実業生活で最後まで残った北海道阿寒の阿寒前田一歩園は、明治39年に正名が国有未開地処分法にもとづき取得しました。
エピソードとしてよく語られるのは、正名が阿寒の地を視察した折、阿寒湖畔の美しい景観に感銘して、「この山は伐る山から観る山にすべきである」と述べたということです。
奇しくも正名没年の大正10年に阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖を含む約9万ヘクタールの地域を阿寒国立公園に指定を求める請願が帝国議会に提出されました。
阿寒国立公園は昭和9年にその指定が行われて今日に至っています。
日本に殖産興業を起こす運動を展開してきた正名が最後に残したのが伐る山ではなく見る山としての阿寒湖一帯の山林であり、そのことが結果として今日のマリモの保全に繋がっているというのは実に面白いことです。
正名氏の思いはその後ご子孫による財団法人前田一歩園の設立に繋がり、現在の阿寒湖周辺の開発と保全に大きな役割を果たしています。
時代の篤志家に恵まれた阿寒の幸運を心から慶びたいと思います。
【滝見橋からの十月の紅葉】
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さて、最後に歴史的なエピソードを一つ。
この前田正名は渡仏する前の少年時代に長崎で、あの坂本竜馬に出会っています。
竜馬は小柄な前田少年が長刀を下げているのを見て、「前田君、君の刀は長すぎる。余の刀を差してゆきたまえ」といって自らの刀を正名に渡したと伝えられています。
このエピソードとその後渡仏した正名を主人公にして書かれた歴史フィクションが「巴里の侍」(月島総記著 メディアファクトリー刊)という小説で、ダヴィンチ文学賞アナザー・ステージ ゼロワングランプリ大賞を受賞しました。
【歴史ファンタジー小説「巴里の侍」】
そしてさらに、この小説をもとにして作られたのが宝塚雪組によるミュージカル「Samourai」でその初演が今日の1月13日。
人づてに、現在の前田一歩園理事長も初演を観覧に行かれていると伺いました。
マリモが特別天然記念物指定60周年という節目の年を迎えるにあたって、いろいろな事柄が阿寒湖やマリモに向かってきている流れを感じます。
あらためて前田正名氏の業績に思いをはせながら、残された豊かな自然の恵みを享受したいものですね。
【宝塚 歴史ミュージカル「Samourai」】 http://bit.ly/wgv5pn