来月またあるところで二宮尊徳についてお話をすることになっているので、いろいろネタを調べていて、文部省唱歌に「二宮金次郎」という歌があることを思い出しました。
早速ネットで調べてみるとyoutubeにまさにその歌がアップされています。
明治44(1911)年に刊行された「尋常小学唱歌 第二学年用」が初出だそうで、音質は極めて悪いのですがまあなんとかメロディの雰囲気は分かります。
歌詞はこんな感じ。
1.柴(しば)刈り縄ない 草鞋(わらじ)をつくり
親の手を助(す)け 弟(おとと)を世話し
兄弟仲よく 孝行つくす
手本は二宮金次郎
2.骨身を惜(おし)まず 仕事をはげみ
夜なべ済まして 手習(てならい)読書
せわしい中にも 撓(たゆ)まず学ぶ
手本は二宮金次郎
3.家業大事に 費(ついえ)をはぶき
少しの物をも 粗末にせずに
遂には身を立て 人をもすくう
手本は二宮金次郎
学校ごとに柴を背負って本を読む二宮金次郎の銅像が建てられたのはもう昔の事。今は金次郎の銅像を見る学校が少なくなりました。
それは二宮金次郎のような生き方が手本とされなくなったからだ、と言う人がいますが、私にはそもそも日本人が生き方に先人の手本を求めなくなったのではないか、と思います。
「至誠」「勤労」「分度」「推譲」を唱えて実践を大事にする報徳という生き方はもう精神論になってしまっているのかもしれませんが、改めて勉強してみるとひときわ強い光を放っているように感じます。
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最近学校では「道徳」の教科化が話題になっていて、先生たちはどういう教材で何を教えたらよいか戸惑っているというようなことが報道されていました。
先生がしかつめらしく「○○でありなさい」「○○をしてはいけません」といった答えを出すのではなく、天命を感じ、宿命をのがれずに運命を一所懸命に生きた何人もの先人の生きざまを見せるのが一番なのではないかと私は思います。
そこから子供たちも大人も、何かを感じて自ら感化されることが大切なのではないでしょうか。