二宮尊徳の教えを今に伝える報徳思想ですが、農業や酪農だけではなく、漁業・漁村経営を支えた水産報徳会というのもあるのです。
先日水産報徳会の事務局の方に話を聞く機会がありました。水産報徳会の事務局は「信漁連(マリンバンク)」という組織の中にあって、信漁連は漁業者に対する資金調達を主目的として作られた信用組合。
掛川にいた時に市長の榛村さんから「小松さん、あなたは北海道が出身だけど、北海道は農業だけじゃなくて水産業も報徳の教えで村々が救済されたんですよ」と言われたことを思い出しました。
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北海道の漁村を立て直そうと努力した報徳の偉人は安藤孝俊という方(1894~1990)。福島県生まれで、一時はアメリカにわたり写真を勉強し出版をしたかったようですが、両親の薦めで警察官になりました。
そこへ道庁の産業部長へ転出していた警察時代の先輩から「道庁の水産課に空席ができるのでぜひ来てほしい」という要請があり、意を決して北海道へと渡ってきたのでした。
ところが道庁水産課に勤務して漁村の実情を見ると、窮乏は著しく様々な案件を解決してゆくうちにいよいよ漁村を救わなくては、という思いが強くなっていきました。
漁業には船や網など初期投資がかかりますが、貧乏な漁師はそれらを自前で調達できず、魚問屋から「仕込み」と呼ばれる、資金提供を受けてその見返りに獲った魚を安く買い取られる制度を受けているのが一般的でした。そのため漁師は魚問屋に支配され自由な販売活動ができず明らかに収奪を受けているという状態だったのです。
安藤は、協同組合を作れば皆が協力して漁村振興の糸口が開けると、地区ごとに連合会を作り全道の連合会を作ることに尽力しました。
結果的に組合員に推される形で道庁を退職し、この組合連合会の専務理事に着き、違った立場でも引き続き漁村振興に力を尽くしたのです。
【信漁連のビルにある安藤孝俊像】
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安藤と報徳の出会いは幼い時に目にした報徳訓でしたが、当時はピンとこなかったよう。ところが道庁時代に報徳に造詣の深い遠山信一郎という役人が赴任してきてその影響を受け、ついにはこの報徳思想が協同組合の思想と一致することに気が付いたのでした。
その結果、彼の事業推進の精神的支柱に報徳がすえられて、人間味あふれる指導が繰り広げられることになります。安藤は、直接報徳の言葉を利用するのではなく、その意味を自分なりに解釈してあるべき生き方、あるべき生活の仕方を諄々と説き聞かせました。
安藤は後にこう言っています。
「協同組合の根本は絶えず弱者同志なのだという基本の下に、将来を考えて譲り合うようにしたいものだ。これが永遠に安らかな秘訣なのだ。こうした心構えが無限に続かねば漁村の幸せはない。これが永安法だが、協同組合の相互扶助がこれに通じている。協同組合が高度に利用されると、漁民に貧乏人はいなくなる」
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戦後の苦しかった時代に、農業、酪農、漁業の分野で窮乏を救った報徳運動ですが、今日は衰退の一途です。
二宮尊徳先生のエピソードを聞くと、感動する人は多いのですが日常生活の実践を支える思想の座は失われつつあります。
私はそれは地方自治体行政や金融行政が充実し、自分たちがかつてほど一生懸命に頑張らなくても支えてもらえる社会になったからだ、と考えています。
それはそれで結構なことのはずですが、日ごろ世話になっている市町村行政に対する感謝や自らも参加してそれを支えなくては、という気持ちが同時に薄れてしまっているのは残念です。
ときどきは我が国が一様に苦しかった時代を思い出して、背筋をしゃんと伸ばしてみることが必要ではないでしょうか。
【参考】
「報徳・協同組合思想の上に立ち
北海道の農漁業を築いた人々」(財団法人北海道報徳社編)