匂いを感じる嗅覚(きゅうかく)というのは人間の感覚器官の中でも最も原始的な感覚なんだそうです。
五感のうちで、感覚情報が感覚器官からダイレクトに処理器官に直行するの
は嗅覚だけで、それいがいの視覚や聴覚などの情報は一旦視床という中継地点を経由してから情報の処理器官に送られるとのこと。
そして嗅覚を判断する嗅覚中枢は大脳の辺縁系というところにあって、これは進化的に古い動物に共通に見られる部位なので、大昔から動物が生き残るためには匂いをかいで食べ物や敵の存在を察知して、安全や危険を判断することが必要不可欠だったのでしょう。
またそういう原始的な感覚だからなのか、嗅覚は他の感覚に比べると刺激を受けることで記憶を呼び起こす作用が強いのだとか。
何十年経っていても、特定の匂いを嗅ぐと記憶の彼方の情景が思い浮かぶというのはおそらく誰しもが経験していることではないでしょうか。
先日出張で旭川へ行ったときに、地元の方達と懇親会をしていて、「昔は国策パルプの匂いが強くて、臭いなあと思っていましたが、今ではなんだか懐かしく思い出しますよ」と言うと、「そうですね。今は大分消えましたがまだたまに匂いがすることがあります」とのこと。
そういえば故郷が釧路だという人と話をしていたら、「車で釧路の親元へ帰省するときは大楽毛当たりでパルプの匂いと魚の匂いがしてきたら『ああ、釧路へ帰ってきたんだなあ』と思ったものですよ」と言っていました。
だれにも故郷の匂いがありますね。
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晩秋から初冬のこの季節、私は家々が暖房のために石炭を燃やす匂いと材木屋さんの切ったばかりの板の匂いを嗅ぐと、中学校の時の新聞配達の風景を思い出します。
ちょうどこの時期に新聞配達をしていて、配達先が覚えきれなくて四苦八苦していた思いなどとも重なって、匂いと結びついた印象的なシーンが頭の中にできあがっているのですね。
最近は材木屋さんも少なくなり、また家で石炭を焚く人も少なくなりましたが、たまにそんな匂いに触れると無性に子供時代が懐かしくなります。
北海道の冬の匂いにも思い出の要素があるのです。