痛ましくやるせない事件がわかりました。
東名高速道路での追突事故は、パーキングで駐車の仕方を注意された男が逆恨みをして、追い越し車線で無理やり停車させた末の事故だったのだと。
一瞬にして両親を失った二人のお嬢さんの気持ちを思うと胸が潰れそうですが、それでもこの二人が警察に事情を話して、犯人が捕まったというので、よく頑張ったなあと思います。
それにしても、このような軽率で後のことを顧みない行動を法律はどのように裁くのでしょうか。結果的に起こしてしまった悲しい事故に見合うのはどのような量刑なのか、注目しておきたいものです。
しかし実際には、世の中には、こういう傍若無人な輩はいるものですし、腹の立つような行為もあるものです。
注意をすることで、社会のルールと常識に気が付くようにして、相手の考え方と行動を変えるというのは正義感の発露ですが、そういうことってあるものだ、と達観して関わらないというのは寛容の精神なのではないか、と私は思います。
物事を自分の価値観で判断すると、自分の価値観に合わないものを"排除"したくなるものですが、それをしないのが寛容の精神。
車を走らせていると、前方の車との狭い車間距離の間に入り込もうとウィンカーを出してくる車がいたら、入れてやろうではありませんか。道路は自分だけのものではないし、相手にもなにか事情があると考えれば、腹も立たないでしょう。
簡単に腹を立てないというのは、この息苦しい社会の中で、結構役に立つ処世術です。
困っている人がいれば助けてあげれば良いけれど、眉をひそめるような危うき者には近寄らないのが君子たるものの振る舞いです。
それは臆病ではなく、寛容の精神なのだと理解すれば良いのです。
◆
政治は数が力だけれど、我々は寛容の精神を持って、「あるある」「いるいる」と思うようにしてはどうでしょう。
私は、そう思えた時に、ちょっとだけ視点が高くなったような気がしていますが、どうでしょう。