北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

冬山登山を生きて帰ってくる方法

2014-01-29 22:59:31 | Weblog

 この世界に同期で入り今ではほとんど内地勤務となった友人が、札幌出張でやってきたので夜一杯飲みました。

 彼は採用当時は勤務が北海道から始まったので、若い時は大いに北海道を楽しんだのだそうです。

 もう30年以上の付き合いになるのですが、今日初めて知ったのは、彼が北海道にいた時に登山、それも冬山登山にはまっていたということ。

 冬山登山なんて道内の人間もあまりやらないようなアクティビティですが、社会人の登山チームに入って、冬になると大雪や日高の山々に入ったそうです。

 40kgにもなる荷物を背負って、山スキーにシールを貼って斜面をあがり、雪が無くなるピーク近くではアイゼンという鉄の爪のついた器具を靴につけて山頂を目指したのだとか。

 笑ったのは、彼が最初の赴任地で独身寮に入った時に、経費削減ということで暖房は共有スペースだけにされて、寮生の個室は暖房が切られたときがあったのだそう。

「それって部屋はものすごく温度が下がったんじゃありませんか?」
「本当に笑えないくらい寒かったですよ。一度温度計で部屋の温度を測ったら、マイナス17℃まで下がった時がありました」

「マイナス17℃って外でもそんなに下がりませんよ(笑)」
「本当に、どうしてそんな状態で暖房を切るなんてことができたんでしょうかね(笑)。私は電気毛布を買って、部屋に入ったらずっとその中にこもって寝ていました」

「それなら雪山より寒いんじゃないですか」
「本当にそうなんです。雪山で雪洞でビバークするときはゼロ度にしかならないんです。だから天井に空気穴を一つ空けてローソクをつければそれだけで地上の自分の部屋より暖かいんですから雪山は天国でしたよ(笑)」


   ◆   


 そんな彼の雪山登山は大抵4人くらいの少人数で行動していたそうですが、山頂まで登頂できたのは登った時の半分もなかったそう。

 多くは天候が悪化したりして途中で引き返すことの方が多かったのだそうです。

「小松さん、雪山登山で死なずに帰ってくる方法を知っていますか?」
「ええ?わかりません、なんですか?」

「それはね…、パーティに妻帯者を一人いれることなんですよ」
「へえ」

「独身の若い連中だけだと、つい『もう少しいける、行ってみよう』と無理をしがちになるのですが、そこに妻帯者がいると、『もうこのあたりで無理はやめよう』という意見が出て、それを尊重して下山するということが何度もあったんです」

「なるほど、最後の一線を無謀に超えないための人生の実践的な知恵ということなんでしょうね。ところで結婚してからも冬山はやったんですか?」
「いえいえ、結婚してからは一度もやっていません。もう山の途中で『帰ろうよ』と言うさらに以前の問題ですね(笑)」


 生き死にがかかるようなレジャー、レクリエーションは達成感もありますが、まかり間違えた時のしっぺ返しも大きそうです。

 ちょっとしたことが生死を分けるその決断に、こんな知恵があったとは。

 まだ厳しい冬が続きます。冬のレジャーは慎重に。 

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