今日は古巣北海道開発局での人材育成研修の講師として、1時間30分にわたってお話をしてきました。
テーマは「当事者感」としました。
他の誰でもなく自分がやらないといけないという立場に気づけるかどうか。
それは普段の職務の中にもありえるし、災害や事件のように突発的に訪れることもあります。
そんなときに、できないことを誰かのせいにするのではなく、責任を全て受け止めるということをどう考えるか。
そんなことを「生涯学習」というキーワードに絡めて、自分のこととして考え続ける問いを作って、研修生に問いかけました。
振り返ると、道の駅を最初に担当したときに、どのようにこれを地域の中に生かそうかと考えて、スタンプラリーを企画して実現にこぎつけたときの達成感。
また、信州松本であづみの公園の事務所長になった際の、反対運動やアウェイ感をどのように乗り切ったのか。
さらに滝野公園で初めて熊が出たときに、周りが皆「所長どうしましょうか」という目で見てきたときの対処の仕方…などなど、結構いろいろなピンチがありましたが、それなりに乗り切ることができました。
そのときの根っこにあったのは、「自分以外誰もやれないし誰も助けてくれない」という当事者感にほかなりません。
誰かが真面目にやらないからプロジェクトがうまくいかない、としたら、自分の今の立場でどうしたらできるかを考えるのが当事者感。
観客ではなくプレイヤーでいるという事は辛いものですが、できたときの達成感と言うご褒美もあります。
「ピンチはチャンス」と言う言葉もあって、ピンチを乗り越えると評価も大きく上がります。
良くも悪くも、イベントは乗り越えられるようにして訪れるのです。
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最後に紹介したのは「気づいちゃった者責任」という言葉でした。
物事に気がつく感性は人それぞれで、鋭い人もいれば鈍感でなかなか問題に気が付けない人もいます。
気が付けるかどうかは才能の問題でもあり、「自分が気がついたのだから、あなたも気がついて対応してください」というのは無理があると考えるのが「気づいちゃった者責任」という考え。
気がついちゃった人が責任をもって問題を処理しなければ、スムースには運びません。
逆に問題に気がつく才能がある人が解決法を見出して解決するのが一番効率的ともいえます。
いくら怒っても、他の人はそれが問題かどうかにも気がつかないのですから解決のしようがありません。
まあ半分は洒落ですが、それくらいの気持ちで物事に当たるつもりでいると、どんどん気がつくことが増えてゆくものです。
そして何かに気がつくという事は、その瞬間に自分はその問題の当事者になるということ。
仕事だけではなく、プライベートのことでも当事者として責任を持つような生き方を紹介して、今日の研修を終えました。
さて、また営業を兼ねて受講者を訪ね歩き、感想を聞いて回りたいものです。
私の「昭和の感性」はどこまで響いたものやら。
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