北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ロジスティックということ

2006-06-20 23:14:33 | Weblog
 今日もどんよりした一日。職場の中は、窓を閉めているともわっと暑いのですが開けると寒いというおかしな感じです。なかなかすっきりしませんね。
 
【ロジスティックということ】
 目下の一大事は日中韓観光大臣会合の準備で、このために割かれる時間が多くなってきています。

 人や物を動かす準備の事を英語でロジスティック(logistic)といいます。日本語では主に軍事用語として兵站(へいたん)とか輜重(しちょう)という訳語があるのですが、あまり一般的ではない事からロジなどと簡略化して呼ばれています。

 戦争も兵隊の動かし方や一騎当千の武将の活躍で勝てたのは戦国時代の前期くらいまでで、後半になって豊臣秀吉など才覚溢れる武将が登場してくる頃には最前線へ武器や弾薬、糧食などを的確に送り込む兵站で勝利する戦い方に変貌して行ったのです。

 そもそも世界の歴史を探れば、「ローマ帝国は兵站で勝つ」と言われたほどに、ローマ人は兵士や物資を前線に送り込む事で確実に勝利するという戦略を持ち続けた民族なのでした。

 そしてそれを可能にしたのが「全ての道はローマに通じる」と言われたほどにローマ帝国内を網羅した街道網でした。

 塩野さんは「古代において街道は情報と物が行き交う、現代の高速道路であり情報通信網だった」と喝破しておられますが、まさにそのとおりでしょう。

 ローマの街道網の整備については塩野七生さんが全十五巻の予定で書き続けておられる「ローマ人の物語」シリーズの中で第十巻の一冊を費やして、ローマ人達のインフラに対する思いを愛情こめて記されていますので、インフラづくりに携わる方には是非ご一読をお勧めします。


 最近はインターネットなどの情報通信網が発達した事で、もう道路は要らないし、もっと通信網を整備すべきなどという論調も目立つようになりました。しかしそういう方だって手近なところで食材や衣料品を求めるはずです。

 情報を食べて情報を身にまとうだけで生活出来るはずもなく、目の前に誰かがこれだけ豊かな食材を運んできてくれているからこそ経済の恩恵を被る事ができるのです。そしてそうした実物の経済がある故に、土地だとか距離といった実物が影響してくるのです。

 今日インターネットで情報を取得するのには地理的なハンデをほとんど感じなくても良い社会になりつつあります。

 映画が映像と音声情報でよいのならネットで取得する事も出来るでしょうが、ネット上で買い求めた商品を届けてくれるのは物流という社会のシステムです。

 災害で一本の道路が寸断されるだけで経済にどれだけ影響が出るのか、それを誰がどのようにして維持し続けているのかということにも目を向けたいものです。

 
 さて日中韓会合まであと十日となりました。参加するスタッフの移動手段や宿泊先、行動の詳細などのロジを組まなくてはなりません。ロジこそ事業をこなす最大の裏方作業なのです。
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幸せへの道筋は見えている

2006-06-19 23:00:39 | Weblog
 雲が多くてやはり気温が低い一日でした。窓を開けていると職場の中が寒いくらいです。
 
【心から感謝する】
 ある知人Aさんの話です。

 彼はよりよく生きるにはどうしたらよいか、ということを考えるようになり、いろいろな本を読んだりたくさんの人から教えを受けたのだそうです。

 そうしてある考えに至りました。それは「なにか一つの事を続けてみよう」ということでした。

 彼は靴を脱ぐときに必ずきれいに揃えて、靴に感謝をする事にしました。そうしてしばらく時が過ぎたのですが、自分の回りの事がより良くなったという感じがしなかったのだそうです。

 そうしてある勉強会で講師の先生に「先生、私は何か一つの事を続けてみたら、より良い生き方が出来るのではないかと靴を揃えることを続けてみました。しかしそのことで何かが変わったという気がしないのです。これはどういうことでしょうか」

 するとそう訊かれた先生はじっと考えて、「Aさん、あなたは靴を揃える事を続けているとおっしゃいましたが、それは楽しい事ですか?義務感によるのではなくてそのことを楽しんで、本当に靴に感謝してありがたいと思っておられるのでしょうか?」と言われたそうです。

 Aさんはそのときに自分が今までしてきた事が義務感には基づいていたものの、靴を揃えられる事の楽しさやありがたさを感じていたわけではない、と言う事に気がついたのだそうです。

 人から言われて嫌々するのはもちろん、自分自身が決めた事でさえも楽しくやれないのであれば、幸せに生きているという事にはならないのです。

 本当に幸せに生きるという事は、そんな小さな悦びに気づく事なのかも知れません。

 謙虚な気持ちで感謝の心を自然に持てるようになる。そんなことを誰が教えてくれるのでしょうか。教えてくれても自分の事にならない人も多いのです。

 宝はそんな一言の中にあります。みんな見ているはずなのに宝に気付かないでいる人のなんと多い事でしょうか。

 さて、世の中で幸せにたどり着く道にもうそろそろ気付いてもよろしいのではありませんか?
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夕張の破産

2006-06-18 23:20:44 | Weblog
 天気予報は今日も雨、日中ときどき強く降るいやな雨。すっきりしてほしいものですが。 
 
【夕張が財政再建団体に】
 かつて炭坑で栄えた夕張市が財政再建団体の指定を国に申請するという考え方が示された、と新聞が報じました。

 過疎や人口減少に悩む他の道内市町村にとっては「来るべきものが来たか」という印象です。

 新聞の論調は、「90年代のバブル経済崩壊以降に、観光によるまちづくりが行き詰まり、人口減少などで地方交付税が減る中、財政悪化を覆い隠そうと複雑な資金操作を行った事が負債を雪だるま式に膨らませた(北海道新聞6月18日朝刊)」というものです。

 ある意味では炭坑というエネルギー政策によるバブルによって成長した大きな町にとっての経済環境の激変の歴史なのだと思います。

 病院や住宅など、かつては民間が所有していた地域サービスインフラを行政が買い取る形で維持してきたことも、地方交付税の激減と共に限界が急速に近づいたのでしょう。

 今の社会の論調は行政の借金が多い事をひたすら『悪である』と捉えがちですし、その結果は全て非効率的な官による運営の結果ということにされがちです。

 しかし経済の大きな循環を考えたときに、不況期には全く動かない民間資金に対してお金の流動性を高める事は決して無駄な政策ではありませんし、その結果は当然行政のその時点での赤字として残ります。

 しかしそのことは、好況期で民間によるお金の流動性が高まっているときには返済するということとの組み合わせでなくてはいけません。

 行政による民間資金流動性の補完的な役割は十分に考える事が必要で、経済環境の変化に対応した機動的な財政運営が望ましいのでしょう。

 しかしそれとても、夕張のように地域全体が疲弊してしまっているところでは地域だけでその役割を果たす事は出来ません。本来その上の広域行政としての都道府県や国がその役割を果たさなくてはならないのです。

 国も都道府県も、徴税権を行使してでも財政均衡を果たして地域を救うのがより広域な行政の役割なのではないでしょうか。
 
 そのような役割を忘れてしまって、「これからは地域の事は地域でやりましょう」などという面ばかりが強調されるような行政ではいけないのです。

 夕張を救えなかったのは地域の問題なのか、広域行政の問題なのかをもう一度考えてみる必要があるのではありませんか?

 そしてそのときの広域とはどの範囲なのでしょうか?それを考えなくては道州制を肌で感じる事は出来ないでしょう。夕張の事は他人事ではないのです。

    *   *   *   * 

 ワールドカップサッカー第二戦の対クロアチア戦は残念ながら引き分け。守護神川口のPKセーブもありましたが後半は押され気味。

 勝って欲しかったけれど次につなげてくれて良かったです。次、頑張ろう。


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詩人 茨木のり子さんのこと

2006-06-17 23:21:42 | Weblog
 天気予報は今日も雨、日中ときどき強く降るいやな雨。すっきりしてほしいものですが。 
 
【詩人 茨木のり子さん】
 ある事業を経営している友人から、「経営者に対する朝セミナーをしているんだけど、聴きに来ないか?」と誘われたので行ってきました。

 集合時間は朝5時45分で、6時からの一時間をセミナーに充てて、その後は朝食を食べて出勤というわけです。こんなセミナーを一ヶ月に一度開催して、倫理観溢れる経営とは何かということを勉強しているというのですから、優秀な経営者は心構えが違うものだと感心しました。

 今日のセミナーはいろいろな行事が重なって参加者は少し寂しかったですが、朝礼の後で会の歌を歌い、気持ちを整えます。会の進行も型や形を実に大事にしています。
 
 今日の講師の方は東京の方なのだそうですが、冒頭で前回北海道の函館に来たときの印象を話されました。

「実は私が前回2月に函館を訪れたときの事ですが、函館空港に降りたって地元の新聞を買い求めました。私はいつも地方を訪ねたときは地元の新聞を買う事にしているのです。そうしましたところ、一面の下の方に書かれているコラム欄に、東京で読んだ新聞と同じネタに基づく記事を見つけたので大変印象が深かったのです」
  

「その記事とは、詩人の茨木(いばらぎ)のり子さんが亡くなったという記事でした」

 私は知らなかったのですが、茨木のり子さんは1926年生まれで戦中・戦後を通じて日本の詩の世界をリードした代表的な女性詩人であり、童話作家、脚本家だったのだそうです。そこで講師の先生は代表的な詩を二つ引用してくださいました。


   寄りかからず     
         茨木のり子

   もはや
   できあいの思想には寄りかかりたくない

   もはや
   できあいの宗教には寄りかかりたくない

   もはや
   できあいの学問には寄りかかりたくない

   もはや
   いかなる権威にも寄りかかりたくない

   ながく生きて
   心底学んだのはそれくらい

   じぶんの耳目
   じぶんの二本足のみで立っていて
   なに不都合のことやある

   寄りかかるとすれば
   それは
   椅子の背もたれだけ

 茨木さんの関連資料をネット上で読んでみると、やはり戦時中に一億総玉砕を叫んでいた多くの人たちが戦後はころっと民主主義だ、あの戦争は間違っていたんだ、と言い出すということを目の当たりにして、自分自身の違和感を大事にするということの意味を強く問いただす内容になっています。

 これはこれで直接的な言葉を使わずに軟弱な世間に対する強烈な批判なのかも知れません。


 そしてさらにもう一つご紹介しましょう。

   自分の感受性くらい
            茨木 のり子

   ぱさぱさにかわいていく心を
   ひとのせいにはするな
   みずから水やりを怠っておいて

   気難しくなってきたのを
   友人のせいにはするな
   しなやかさを失ったのはどちらなのか

   苛立つのを
   近親のせいにはするな
   何もかもへたくそだったのはわたくし

   初心消えかかるのを
   暮らしのせいにはするな
   そもそもが ひよわな志にすぎなかった

   駄目なことの一切を
   時代のせいにはするな
   わずかに光る尊厳の放棄

   自分の感受性くらい
   自分で守れ
   ばかものよ

 最後の「ばかものよ」に作者はどのような思いをこめているのでしょうか。そしてこういう詩や言葉に出会ったときに私たちはそれを読み流すのか、それともそこから何かを得るのか、という態度の違いの積み重ねが自分たちの成長の差になって現れるのではないでしょうか。

 本屋さんで茨木さんの詩集を探してみてはいかがでしょうか。

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心のアンテナ

2006-06-16 23:47:46 | Weblog
 今日も朝から雨続き。週末には小学校によっては時期の遅い運動会があるとか。難しいかなあ。

【これも出会い】
 歯医者をしている友人から「これ面白いよ、実践的経営哲学としてきわめて優秀だと思うんだ」とある団体の冊子を渡されました。

 知人はずっとこの団体に属して、勉強会への参加や送られてくる冊子を読むことで仕事をすることの社会貢献の意味や、ともに働く従業員とともに良好な職場環境づくりと職員一人ひとりの資質の向上に努力しているといいます。

 渡された本を読んでいると、大阪ミナミ千日前にお好み焼き専門店「千房」を開店し、お好み焼きの味を世界にまで広めたと言われる中井政嗣社長の話が載っていました。

 中井社長は店の繁盛に大事なことはその「味」にある、と言いますが、その味には「前味」「中味」「後味」の三種類が必要だと考えているのだそうです。

「『前味』とはお客様がお店に入ってきた瞬間に五感で感じるその店の第一印象です。『中味』とは料理そのものの味、そして『後味』は、帰られるときの余韻であり、この三つが揃ってこそ初めて自分の店の味になる」と言うのです。

 食べ物であれば料理の味さえ良ければ売れる、人気が出る、と考えがちです。しかし料理の味だけではだめで、お客様に「感じの良い店だな」「おいしいな」「また来よう」と思ってもらえることが大事で、そのために徹底した社員教育をしたのだとも言います。

 われとわが身を振り返って、職場を訪ねてきてくださる方が「入りやすいな」「相談してよかった」「また訪ねて来たいな」と思ってもらえるような環境にあるかどうかを考えてしまいました。

 ちょっとした口のききかたや態度などで、来客が快感にも不快にも感じることでしょう。どうせなら、気持ちよく帰っていただくほうが良いことは言うまでもありません。

 自分自身は悩んでいてもそれを表に出さずに笑顔で対応ができているでしょうか。

 書物を読んでいるとときどきそんな反省をさせてくれる文章に出くわします。そんな文章に出会う心のアンテナの高さと、常に反省材料にできる心の柔軟性を持ち続けたいものです。

 
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エレベーターの論理

2006-06-15 23:27:27 | Weblog
 神宮のお祭りは雨で大変そうです。ライラックが盛りを過ぎました。これでニセアカシアの花が咲くようになるともう季節は夏の彩です。
 
【エレベーターの論理】
 シンドラー社製のエレベーターによる死亡事故が発生してからというもの、エレベーターに乗るたびに「メーカーはどこだろう?」と見てしまう人が増えたのではないでしょうか。はい、私もその一人です。

 職場の建物が、省エネを本格的に進めるというので五基あるエレベーターを朝夕の繁忙時間帯を除いて日中は一基を休ませ、エレベーターホールも蛍光灯の数を減らして薄暗くするなどの対応を春から始めました。

 「省エネに努めましょう」などという掛け声だけでは実績が上がるはずもなく、こうして目に見える形で実践を行うほうが心に響くというものです。こういうことを他人事と思わず自分のこととして感じられる感性を持ちたいものですね。

   *     *     *     *

 混んだ電車が来たときに、列に並んでいてなんとか自分だけは乗り込みたいと思うものですが、その自分が乗り込むことに成功したときには「もう入れないから押すな!」と思いがちです。

 乗ってしまった後は自分の後ろの人のことを考えて「もっと詰めてください」と言いたいものですが、しばしばそういうことはせずに「もう乗れない、自分が最後だ」と思ってしまうのです。

 これを私は「満員電車の論理」と名づけています。いつも自分だけが最後においしい目に会いたいと思う心理構造です。

 これと似たようなことで「エレベーターの論理」というものもあって、上のほうから下に向かって降りるときに、自分より後に乗り込んできて自分よりも先に下りるという人を見ると不快に感じませんか?
 ましてそれが、たった一階や二階だけをエレベーターで降りるような人に出くわすと、「おいおい、階段で降りてよ」と思いがちなのです。

 いざ自分自身が後から乗って先に下りるときにはそのようなことは考えないものですが、立場が変わると不快に思うというのも大人気なかったり情けなかったりするものです。

 どんなに自分が急いでいるときでも、自分ひとりだけで生きている社会ではない、ということを思う余裕があれば良いのですが。

   *     *     *     *

 シンドラー社から全国でのシンドラー社製エレベーターの納入リストが公開されたそうで、全国で8千箇所以上にのぼるそうです。

 エレベーターメーカーが悪いのか、系列から切り離されたメンテナンス専門メーカーが悪いのかはまだ調べがついていないようですが、自分達が企業活動で社会に貢献しようと思う気持ちが薄れているような気がするのは私だけでしょうか。

 シンドラー社からのリストを「シンドラーのリスト」といった知人がいますが、これってパニック映画ではなく感動映画だったはずなのですがねえ。
 
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北海道神宮のお祭り

2006-06-14 23:25:40 | Weblog
 今日から土曜日までは初夏の札幌の恒例である、北海道神宮のお祭りです。中島公園の露天にも行きたいなあ。
 
【札幌のお祭り】
 北海道神宮に何度かお参りに行っていることから、神宮から一通のご案内をいただきました。

 内容は六月三十日の大祓(おおはらえ)の神事に参加出来ない方のために、人形によるご参加をお勧めします、というものです。我々の身に付く災難を形代(かたしろ)に託してこれを流すという神事です。

 古来より日本では六月の晦日と十二月の大晦日には大祓えがあります。大祓えは元々は「祓え」ではなく「禊ぎ」だったのではないか、と考えている学者さんもいるようです。

 「禊ぎ」は汚れを祓って神様を迎える準備をするということですが、六月と十二月にそのような意味が見て取れそうです。

 古来からの日本各地の行事を見ていると、六月と十二月を境にして一年を折半してそれぞれの六ヶ月の間に似たような行事をしていたらしい、と歩く民俗学者宮本常一さんは言います。

 それをシナからの暦の概念が四季として入ってくる以前の日本の古来の記憶と言ってしまうと言い過ぎかもしれません。

 しかし目を遠く南方の島国に移すと、そこには雨季と乾季のような大きな二つの季節で一年を分けているようなところもあって、それがどれくらい関係するか、といったことは民俗学と歴史のロマンの分野かも知れません。

    *   *   *   * 

 北海道神宮から送られてきた奉納行事一覧表を見ていると、今日の十四日の夜七時過ぎから、平岸天神ソーラン踊り保存会によるヨサコイ・ソーランの奉納の舞が予定されていました。

 平岸天神は今年のヨサコイでは二位にランクされていました。古豪復活と言われていましたが、こういうチームには是非とも強くなって欲しいものです。このような地道な活動で、ヨサコイにも親近感が湧く人が増えるのではないでしょうか。

 優勝だったらもっと良かったのですがね。

 
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道州制とは何か~最後は住民?

2006-06-13 23:35:03 | Weblog
 今日の職場は朝からどんよりした雰囲気。みんな夕べのサッカーを見ていたのが分かります。
 一方外は少し気温が上がって、クールビズの似合うお天気でした。北海道の一年の中で最も穏やかで清々しい季節です。
 
【道州制勉強会】
 技術士の集まりで地域のあり方についてときどき勉強会を開いているのですが、今日は道庁から道州制の担当者にお越しいただいて説明をしていただきました。

 その後、道州制とは何か、何を求めているのか、道州制でこれからの行政はどのように変わるのか、などについて意見交換をしましたが、改めて北海道が唱える道州制について考える良い機会となりました。

 道州制というのは、全国の47都道府県をいくつかのブロックにわけて道州と呼ばれる広域の地方自治体を作り、地方分権を大胆に進めようという行政のあり方を示す言葉です。

 現状の問題点は、国が事細かな法律と財政によって全国を一律に縛っていて、自由な発想や活動ができないために閉塞状態に陥っているというものです。確かに国にしてみれば「言われてみればそんな法律になっていたなあ」という事があるかも知れませんが、それを臨機応変に変える事が難しいのも今の中央省庁や国会の現状です。

 とすれば、それを地域の問題意識によって地方議会が責任を持って変えられる社会の方が自由で活力が増すのではないか、というのが道州制の議論の根本的な問題意識です。

 少子高齢化の進展によって危機に瀕する地域作りのためにも、この運動は加速させなくてはならない、とも添えられています。

 そこでは組織論がいかにあるべきか、ではなく、地域や地方自治体はこれから何を責任を持って担わなくてはならないのか、ということの方が大事になります。しかしその結果としては、国の権限の大幅な道州への移譲と、現在の都道府県からの市町村への権限移譲が大幅に増加する事になります。

 イメージ図を見ると、国の権限が道州に移行する分よりも多くの権限が都道府県から地方自治体に移って行くように見えます。

 いわばこれは国対地方の権力闘争と言っても良いものですが、奪われる国と押しつけられる市町村との間で、道州という存在が一体どういう意味を持って行くのかがなかなか分かりませんでした。

 私の問題意識は、①国も地方を縛ろうとするばかりではなく高い専門性と高度な調整能力で次から次へとわき起こる新しい社会問題に対して立法という形で問題点を切り出し一定の解決方法を示す重要な存在なのではないか。

 ②国(あるいは中央集権体制)という、全国で一つしかないところが効率的に問題点を切り出して制度的道筋を立てて先導的な役割を果たす事で、あまり表に出ずに多くは見えない部分で多くの地方自治体にとっては余計な苦労をせずに行政に専念出来ているのではないか。

 ③財政調整能力は多くの権能を持つところの方が効率的に行えるのではないか。そもそも国の財政調整能力によって現在の北海道開発予算が担保されているのであって、道州同士の財政調整は行えるのかどうか。

 ④現在の道州制の議論が市町村から起きているのではないこと。すなわち、多くの市町村にとっての不満は都道府県によるもので、現在の都道府県制度下でもできることはまだまだ多くあるはずだ、という思い。

 結局は中間組織の道が自らの行政遂行能力の限界を自ら示してしまっているのではないか。そこでは権能が結局は道にとって軽くなるだけで、一番のしわ寄せは市町村と市町村の住民に向けられていると思われる事です。

 なるほど、こうして意見交換をしてみる事で問題の本質が少しずつ分かってきました。

 しかし結局国が今のような財政構造のままでは立ちゆかないと判断すればこうした流れが強まってくるに違いありません。地方自治体もいつまでも今までのような楽な行政運営が難しくなるのかもしれません。

 これからはそうした時に向けた地方自治行政の体質改善を強化しておくべきであることは間違いなさそうです。
 
 皆さんも道州制について一度しっかりと勉強をしておく事をお薦めします。
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ジーコジャパン、初戦敗退!

2006-06-12 23:03:08 | Weblog
 爽やかな一日です。クールビズが似合う一日です。
 
【ワールドカップ日本登場】
 サッカーワールドカップのグループFで日本登場。前半早い時間帯に中村のフリーキックから一点をもぎ取って、試合を優位に進めてくれました。

 しかし、後半のチャンスを逃しているうちに中盤を支配されてきて、残り10分ほどでディフェンスが乱れなんとそこから連続して3点を献上。なんとも残念な一敗です。

 前半はスーパーセーブの連続だった川口も、最後は力尽きてしまいました。

 うーん、なんとも残念な結果です。せっかくオーストラリアワインを買い込んで飲み干してやろうと思ったのに、飲み残してしまいました。

 もう頭を切り換えて、次のクロアチア戦に挑んで欲しいものです。なかなか決定的なチャンスというものも作れませんねえ。

 残念!

 
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ブレイクスルーと品性の間

2006-06-11 23:23:51 | Weblog
 やっと朝から清々しい晴天が広がりました。久しぶりの晴れ間で気持ちも明るくなります。
 今日はヨサコイの最終日です。まちなかは賑やかになりそうです。
 
【YOSAKOI】
 ヨサコイはいつもテレビで見るだけなのですが、今年のYOSAKOIソーラン大賞は新琴似天舞龍神が3連覇を果たしました。

 夜遅くまで民放各局が特番を組むほどの盛り上がりを見せるヨサコイは、よくぞここまで盛り上げたものだと感心するばかりです。

 私の娘は今回第4位に入ったVOGUE038(『ヴォーグまるみや』と読むのだそうです)に友達がいるとかで、土曜日はおっかけになり、電話投票も依頼してきました。

 この手の電話投票がどのようにして最終的な順位に反映されるのかよく分かりませんが、いずれにしても多くの人が関わるような仕掛けがなされているところがポイントでしょう。

 チーム名が自分の所属であるのは当然として、スポンサー名もつけたチームも多く、そのあたりに商売っ気を感じて眉をひそめる人がいるのも事実かも知れません。

 しかし、このような活動にお金を出しても良いという企業やスポンサーがいて、立派な経済活動になっているという事実は、どのようなことにならお金を出す気になるか、という経済原理がよく分かって面白いものです。

    *   *   *   * 

 先週村上ファンドの村上世彰社長が逮捕前に記者会見をしているシーンがテレビで放映されていました。その際に村上氏が「金儲け、悪いですか?僕、むちゃくちゃ儲けました。でも法律の範囲で儲けて何が悪いんだろう?」という趣旨でした。

 今回は法律の範囲を超えて儲けてしまったのが悪かった、というオチなのですが、法律だけが世の中のきまりごとの全てだと言い切ってしまったところに多くの人が品のなさを感じてしまった事でしょう。

 法律で判断される前に、自ら律して踏み込まない常識や良心の一線があって、苦しくてもその一線の前で踏みとどまっているところに日本人の好む「品性」や「美学」があると思うのです。

 もちろん品性や美学、常識などは成文化されるべきものではありませんので、時と場合と状況によって変わりうるものであるという理解も必要です。

 しかし常識は誰が基準になるのでもなく、多くの人がなんとなく感じている一線を超えるか超えないかこそが基準になるということでしょう。

 もちろん法律それ自体は抜け穴を塞ぐようなメンテナンスが常に必要ですが、法律に書かれる手前にある良識を軽々と平気超えてしまう人がいるという冷徹な事実や、しかしそれでも「自分だけはそうなるまい」と自らを律する人が多いという事実こそが世間の現実と理解すべきなのでしょう。

 もっとも、社会の閉塞感をブレイクスルーする大きな活躍はこうした常識を逸脱してあまりある人の中から登場するという事も、歴史を眺めていて良く伺えることなのです。

 YOSAKOIが世の中をブレイクスルーするイベントと思うか、品がないと思うかは皆さんの自由です。あなたはどちらですか。

 
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