K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

ベアテ・シロタ・ゴードン その3 ご両親と再会

前日の続きです。

アメリカの大学で学ぶベアテさんと日本在住のご両親とは太平洋戦争で連絡が途絶えてしまいました。もちろんベアテさんへの仕送りも届かなくなりました。このことでベアテさんは学びながらも日本語を英語に翻訳するアルバイトで経済的にも自立することになって大学を卒業しました。その後、アメリカ軍関係の情報局で対日プロパガンダ放送(日本人に降伏を呼びかける放送)の番組台本原稿作成の仕事などを2年ほど勤めたのち、ニューヨークのタイム誌に転職しました。
太平洋戦争が終わるとベアテさんは両親が住む日本に渡りたかったのですが、連合国軍の占領下の日本にはアメリカの軍人でなければ入国できません。幸い、6ヶ国語の言語能力をもつベアテさんはGHQの民間人要員(リサーチャー・調査専門官)に採用されました。そこで、ようやく1945年12月24日、日本の厚木飛行場に降り立つことができました。
お父様のレオ・シロタさんは戦争中に東京音楽大学を罷免され、他の外国人とともに強制的に軽井沢に移転させられていました。
ベアテさんはGHQ民政局(日比谷の第一生命ビル6階)に赴任した初日12月25日に、ご両親を探すために3日間の休暇をとりました。なかなか見つからなかったのですが、レオ・シロタさんがNHKでピアノを弾いたのを聴いた人が現れ、問い合わせたると、軽井沢に帰ったと知らされました。そこで、電報を打つことによって、その年の内にご両親との再会を果たしました。

続く
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