K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

訃報 ベアテ・シロタ ゴードン

2013年1月5日(土)曇

3日付けの朝日新聞でベアテ・シロタ・ゴードンさんの死を知りました。ベアテさんに関しては1990年代後半くらいから知られるようにななりました。日本と深いかかわりをもつ女性ですが、多くの人には知られていないと思いますので、今日はベアテさんについて書きます。
ベアテさんはお父様のレオ・シロタ氏のピアノ・コンサートのために1929年にご一家で来日しました。ベアテさん5歳の時でした。レオ・シロタ氏はリストの再来と言われたピアニストでした。
1929年というと、アメリカでおこった恐慌が世界を巻き込んでしまった世界恐慌の始まりの年です。来日中に世界恐慌がはじまったので、レオ・シロタ氏のその後のヨーロッパでのコンサートがすべてキャンセルになってしまいました。それくわえ、ヒトラーのユダヤ人迫害がはじまっていました。シロタ氏はユダヤ系だったので、そのまま日本滞在にすることになってしまいました。それから10年後、ベアテさんは15歳の時に単身アメリカへ留学しました、大学に在学中に太平洋戦争が始まったので、日本在住のご両親との音信は途絶えてしまいました。そのため仕送りもなく、アルバイトをしながら大学を卒業し、タイム誌に入社しました。両親に会うために日本に帰りたいと思っても、日本は敗戦後の連合国軍の占領下だったので、一般の人が自由に日本に入国することはできませんでした。そこで、GHQのスタッフとなり1945年暮れに日本へ渡りました。ベアテさんは日本に帰国直後にレオ・シロタ氏が日比谷公会堂で演奏していると知り、会いに行ったのですが、ピアノ演奏後、すぐに軽井沢(戦争末期に日本在住の外国人は軽井沢へ強制疎開させられていた)戻ってしまい会えずじまいでした。ですが、このことで、両親の所在をつかみ、再会することができました。

GHQ最高司令官マッカーサーは1945年10月に幣原内閣に憲法改正を示唆しました。そこで松本烝治を委員長する憲法問題調査委員会が政府内に設置されました。しかし、なかなか改正案だできませんでした。(その年の暮には民間の憲法研究会が作成した「憲法草案要綱」は政府とGHQに提出されました。)しかし、憲法問題調査委員会での草案はでき上がらず、2月に入り毎日新聞が政府案(以下松本案と書きます)の一部をスクープしてしまいました。松本案は大日本帝国憲法に近いものだったので、密かにマッカーサーはGHQ民政局に日本国憲法の草案作成の命令を下しました。ベアテさんは民政局のスタッフとして人権条項を担当しました。東京中の図書館で世界中の憲法を集め(ワイマール憲法・ソ連憲法なども)、得意の語学力を生かし(7カ国語を駆使)それらを参考に(女性には人権が認められていない日本社会をよく知っていた)日本の女性に必要な項目を十分に盛り込んだ草案を作成しました。それが現在の憲法の第24条です。

第二四条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
• 1 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
• 2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
ベアテさんの長女のニコルさんによると、最期の言葉は日本国憲法に盛り込まれた平和条項と、女性の権利を守ってほしいと新聞は伝えていました。

最後に、ベアテさんが守ってほしい平和条項と女性の権利の条文の精神を今一度考えてみたいです。


DVD「私は男女平等を日本国憲法に書いた」・映画「シロタ家の人々」などを参考に書きました。
2013年1月3日付けの社説・天声人語にまとまって紹介されています。
(社説・天声人語と重複部分もありますが、そこには書かれてない部分を書きました)


お読みになってくださって、ありがとうございました



かなり前にベアテさんについて書きました。よろしかったらクリックしてください。

ベアテ・シロタ・ゴードン その4 

コメント一覧

K RAUM
http://yaplog.jp/kraumjp/
>ボリビア・カミナンド記さんコメントありがとうございます。
素晴らしいですね。ベアテさんにお会いになったんですね。
私は仕事上、年に1回はベアテさんのDVDを見ています。
その都度、内容の理解が深まっています。
日本国憲法を大事にしたいです。
ボリビア・カミナンド記
ベアテさん、亡くなられたのですね。寂しいことです。
新年早々忙しくて新聞、読んでいなかったのですが、K Raumさんの日記を見て3日の新聞を大急ぎで読みました。
K Raumさんは過去にもベアテさんのことをたくさん書いていらっしゃるのですね!

私の所属している平和部会では、2000年前後にベアテさんをお呼びして講演会を開き、後のお茶の会では直接お話も伺うことができました。
ベアテさんは日本のこと、特に女性の地位について心配していました。
そして日本の憲法が如何に民主的であるかを強調されたことを思い出します。
憲法を大切にしていかなければと強く感じました。
K Raumさん、情報を、ありがとうございました。

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