蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

松川村の弥勒菩薩

2008年10月23日 | 安曇野とその周辺

小説「失われた弥勒の手」はちひろ美術館の館長とその友人との共著。
ずばり安曇族はどこから来たのか?安曇野伝説である


歴史を掘り下げる新持論を、論文にせず小説の手法をとっているので、読者自身が歴史を旅しているような気分にさせる。作家の思惑にマンマとはまった感あり。
(郷土史はたいてい堅くて文字が小さくて読みにくいのよねぇ~)
国内では福岡県博多市・志賀島、長崎県対馬市、安曇野、松川村 松本などが主な舞台となる。
そして信州の小さな村、松川村・観松院にある弥勒菩薩の美しさは、朝鮮半島百済時代の渡来仏ではないか。
つまり安曇野の歴史と文化は、ヤマト朝廷に追われた九州の海の民安曇族とともにやってきた渡来人によってもたらされたというもの。
小説の舞台は韓国にも及ぶ。

キーワードは神話「綿津見」であり志賀海神社穂高神社、仏像「銅像 菩薩半跏像」
さらに有明山も絡むもんね。

ところがひとつ不可解な点がある。
本の表紙と勧松院の仏像の右手の指の形が違う。そこで読み進むうちに・・・

付録
勧松院は下記地図のど真ん中●印にある

鑑賞希望の相談は松川村教育委員会へ(月~金曜)。
1週間くらい前に申し込みし、土日が鑑賞可能となるそうです。

余談1
行きつけの美容院のスタッフに松川村出身の女性がいる。彼女に「弥勒菩薩」を聞くと、小学校高学年の時にクラスで観松院へ見学に行ったことがあり、30センチくらいの小さな仏像だった。
なぜ行ったのか経緯も感慨も覚えていないとのことだ

余談2
漆工芸の高橋節郎美術館にこんなロゴがある
館内販売グッズの包装紙に貼ってくれる封留めシール
 以前館員さんに理由をきくと
故高橋節郎氏が子どもの頃、有明山神社の近くでよく拾ってきた土器ややじりのかけらが好きだった。
自身でロゴのデザインをされたということです。
高橋節郎美術館のコンテンツボタンをクリック!してみよう。
後の漆芸作品に、化石のようなもの、埴輪、勾玉など古代への興味を反映した作品を見ることが出来る
コメント
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