蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

節分祭

2010年02月07日 | 安曇野とその周辺
畑の師匠に声をかけていただき2月3日に「節分祭」を経験した。
松本市のレストラン「ヒカリヤ」

もう4年前くらいだろうか、たまたま通りかかりに新装開店前後のお店の中を見せていただいたことがある。
ほんの入り口近くだけだったが、由緒ありそうな重厚な古い建物と記憶している。
メニューをどうぞ、と頂いて帰ったが、高いなぁと・・・・その後すっかり忘れていた店だ。

さてお祭り
日本の古きよき伝統文化を継承してゆきたいとの趣旨で、今年は3年目だそうだ。

会場はヒガシの和食の間。上がり框の正面


式次第にそって
挨拶

新内節は人間国宝の鶴賀 若狭掾さんの浄瑠璃

乾杯
食事は恵方巻から始まった。今やコンビニも参入の海苔巻き。
一気にかぶりついたがあいにく撮影漏れ。
しかし大勢で同じ方向を向き海苔巻きを齧るという構図は、客観的に想像するに恥ずかしい。
巷間のあの太巻きでなく直径4センチ×長さ10センチほどの上品なものだった。

「歳徳神」と書かれた方角が今年の恵方の西南西


陰陽道(おんようどう)でその年の福徳を司るとされる神。この神のいる方角を、明きの方・恵方(えほう)といい、万事に吉という。

おすし屋さんの計略による関西発祥とよくいわれているが、れっきとした陰陽道が関わっているんだね。

七運盛り 
な”ん”きん き”ん”かん ぎ”ん”なん に”ん”じん い”ん”げん だ”い”こん れ”ん”こん 


寒造り。器に見える赤白はだいこんとにんじんの桂剥き。美味しくてパリパリ頂きました


福枡蕪

あれこれありましたが、食べるのに夢中で撮影できたのはこれだけ。

合間の独楽回しやお神楽のパフォーマンは、和力の加藤木 朗さんと息子さん。
獅子舞。加藤木さんの笑顔が忘れられません


神楽は、精悍なお顔の息子さん(高校生)の力強い舞いだった


『和力は、固定された集団ではありません。
自分の世界をうみ出す者が、独りでは出てこないものを追い求め、
互いに影響し合いながら創り出していく、空間と時間の名前です』
ということで、メンバーの一人加藤木さんの登場でした。

加藤木さんは南信州・阿智村にお住まいとのことで、和力のホームページはこちら

最後は大笑い
希望者の大の大人がぞろぞろと、豆をいっぱい入れた枡を先頭に、館内のあちらこちらを豆をまきながら練り歩く。
「鬼は~そと、福は~うち」実際に窓を開けた外へ、室内へと撒き散らすのだ。
店主も若女将も・・・・
 因みに左は女将さんではありません

厨房へも豆はまかないが、挨拶に


「豆は明日スタッフが拾いますから、ご自分の歳以上は召し上がらないように・・・・」
ハイチを思うと、この大量の豆の顛末は?・・・・ツライ

スタッフの男性は和服の女装を、女性は裃の男装。
おとなの、粋で上品な御茶屋遊びと言ったところかな?

宴が終わり、帰り際の上がり框の脇。こういうものを見ると日本に生まれてよかったと感心する


小雪舞う玄関を後に一路帰宅へ


17時半から21時半まで4時間たっぷり美味しく楽しませて頂きました。
今後、五大節句の 桃 端午 七夕 重陽 と続くそうです。

参考:
『重陽の節句の起源は、ほかの節句と同様古来中国にさかのぼることができます。中国では、奇数は縁起のよい陽の数とされ、一番大きな陽の数である九が重なる9月9日を、「重陽」として節句のひとつとしてきました』 
コメント (2)
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