有明山の
麓の田園に
1977年に旧穂高町が旧国鉄から譲り受け「あづみのD51483保存会」が管理・補修を受け持つ
D51型蒸気機関車がいる。
保存会では毎年、ボランティアが清掃しているという。
このD51型蒸気機関車は1940年に製造。1976年廃車。
たどった道は、
建造当初は熊本で活躍
昭和20年アメリカの原子爆弾投下時、広島にいたため、原爆の灰を浴びている。
戦後北海道に渡り、主に貨物輸送に活躍。地域に大きな貢献をしたが、昭和51年廃車となった。
その間、なんと地球を63.8周走行したという。
安曇野へやってきたのは、臼井吉見氏の小説「安曇野」により、全国に知名度がひろがったのを契機に
町興しの担い手になったから
この雪景色にD51君は北海道を思い出しているかもしれない。
ポツンと置かれた機関車は、この地に似合うような似合わないような寂しげな風情である。
時々散歩に通りかかるが、子ども達が遊んでいるのを見かけたこともない。
地域の大人でも、その存在を知らない人が多いのでは?と思うのだが、どうだろう。
だからって華やかなイベントに借りだされるのも本意ではないだろう・・・きっと
麓の田園に
1977年に旧穂高町が旧国鉄から譲り受け「あづみのD51483保存会」が管理・補修を受け持つ
D51型蒸気機関車がいる。
保存会では毎年、ボランティアが清掃しているという。
このD51型蒸気機関車は1940年に製造。1976年廃車。
たどった道は、
建造当初は熊本で活躍
昭和20年アメリカの原子爆弾投下時、広島にいたため、原爆の灰を浴びている。
戦後北海道に渡り、主に貨物輸送に活躍。地域に大きな貢献をしたが、昭和51年廃車となった。
その間、なんと地球を63.8周走行したという。
安曇野へやってきたのは、臼井吉見氏の小説「安曇野」により、全国に知名度がひろがったのを契機に
町興しの担い手になったから
この雪景色にD51君は北海道を思い出しているかもしれない。
ポツンと置かれた機関車は、この地に似合うような似合わないような寂しげな風情である。
時々散歩に通りかかるが、子ども達が遊んでいるのを見かけたこともない。
地域の大人でも、その存在を知らない人が多いのでは?と思うのだが、どうだろう。
だからって華やかなイベントに借りだされるのも本意ではないだろう・・・きっと