東北の被災地では余震の心配に加え、これからの本格的な梅雨や台風による土砂崩れ
にも警戒がいる。
幾重苦を経験するかもしれない住民の嘆きはいかばかりか?
「政府・国会議員よ、しっかりせんかい!」と大阪の街頭インタビューなら怒声が飛ぶところ。
ったく、嘆かわしい。
一人くらい「私が責任もって3倍速で復旧・復興に尽力します。今すぐ超党派で任命してください!」
と啖呵をきる猛者はおられまいか!
さて本題
日本三大崩れといわれる大惨事が大谷崩れ、鳶山崩れ、稗田山崩れ。
その「稗田山崩れ」の稗田山は、小谷村にある大きな山だった
しかし明治44年8月8日未明、突然何の前触れもなく標高1428mの稗田山の西北側半分が崩れたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/8c/0eeaf86a35d774632b28fce4ccfa018c.jpg)
5月初め、近くをトレッキング中に見つけた看板。左上の紫色表示が崩れた山
あとで見た北小谷駅の看板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/28/af306b57184d47f324b1ef91446b55be.jpg)
見比べると左上の稗田山が崩れ、浦川を土石流として流下し、手前の暴れ川姫川にぶつかり堰きとめた。
その間の地域一帯が、60メートル余の高さの土砂で埋まったといわれている。
看板の近くに幸田文さんの『歳月茫茫碑』もある。
この碑は平成7年7月11日の梅雨前線の豪雨で流され、翌年に再建されている
幸田文さんは幸田露伴の次女、文さんの長女が青木玉さん、そして孫の青木奈穂さんと文豪の流れをくむ家系。
この地になぜわざわざ幸田文さんの碑があるのか?その時は詳しく分からなかった
偶然「文藝春秋6月号」の巻頭エッセイ
立花 隆氏の『ひこばえ』にその経緯が掲載されていた。
文さんは「崩れ」なるものに関心を持ち、70歳を過ぎて全国の「崩れ現場」を訪れている。
雑誌「婦人の友」に連載していたエッセイが「崩れ」として1991年、単行本になっており安曇野の図書館が収蔵していた。
物見遊山でもなく、学術調査隊遠征記でもなく、大声で警告を発するでもなく・・・
自然への怖れ、そこに関わらざるを得なかった市町村と住民の悲劇。山河が崩壊してゆく不幸。
背負われてもなお奥へ奥へと現場へ向かう不屈の精神が、淡々と綴られている
私の脆弱な精神はここで終わってしまうが、幸田文さんに続く人がいた。
「崩れについて」
崩れについてはほんの一部のコーナーですが、「WILD-WIND」アウトドア派にはたまらないホームページですよ
余談
青木奈穂さんは2004年の中越地震にボランティアととして活動した経験を持ち、
祖母のたどった崩れ現場を再訪して「動くとき 動くもの」を2002年に講談社から刊行されている。
今東北はその粘り強さで、一人ひとりがひこばえのごとく個性的に連綿と活き続けているに違いない。
にも警戒がいる。
幾重苦を経験するかもしれない住民の嘆きはいかばかりか?
「政府・国会議員よ、しっかりせんかい!」と大阪の街頭インタビューなら怒声が飛ぶところ。
ったく、嘆かわしい。
一人くらい「私が責任もって3倍速で復旧・復興に尽力します。今すぐ超党派で任命してください!」
と啖呵をきる猛者はおられまいか!
さて本題
日本三大崩れといわれる大惨事が大谷崩れ、鳶山崩れ、稗田山崩れ。
その「稗田山崩れ」の稗田山は、小谷村にある大きな山だった
しかし明治44年8月8日未明、突然何の前触れもなく標高1428mの稗田山の西北側半分が崩れたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/8c/0eeaf86a35d774632b28fce4ccfa018c.jpg)
5月初め、近くをトレッキング中に見つけた看板。左上の紫色表示が崩れた山
あとで見た北小谷駅の看板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/28/af306b57184d47f324b1ef91446b55be.jpg)
見比べると左上の稗田山が崩れ、浦川を土石流として流下し、手前の暴れ川姫川にぶつかり堰きとめた。
その間の地域一帯が、60メートル余の高さの土砂で埋まったといわれている。
看板の近くに幸田文さんの『歳月茫茫碑』もある。
この碑は平成7年7月11日の梅雨前線の豪雨で流され、翌年に再建されている
幸田文さんは幸田露伴の次女、文さんの長女が青木玉さん、そして孫の青木奈穂さんと文豪の流れをくむ家系。
この地になぜわざわざ幸田文さんの碑があるのか?その時は詳しく分からなかった
偶然「文藝春秋6月号」の巻頭エッセイ
立花 隆氏の『ひこばえ』にその経緯が掲載されていた。
文さんは「崩れ」なるものに関心を持ち、70歳を過ぎて全国の「崩れ現場」を訪れている。
雑誌「婦人の友」に連載していたエッセイが「崩れ」として1991年、単行本になっており安曇野の図書館が収蔵していた。
物見遊山でもなく、学術調査隊遠征記でもなく、大声で警告を発するでもなく・・・
自然への怖れ、そこに関わらざるを得なかった市町村と住民の悲劇。山河が崩壊してゆく不幸。
背負われてもなお奥へ奥へと現場へ向かう不屈の精神が、淡々と綴られている
私の脆弱な精神はここで終わってしまうが、幸田文さんに続く人がいた。
「崩れについて」
崩れについてはほんの一部のコーナーですが、「WILD-WIND」アウトドア派にはたまらないホームページですよ
余談
青木奈穂さんは2004年の中越地震にボランティアととして活動した経験を持ち、
祖母のたどった崩れ現場を再訪して「動くとき 動くもの」を2002年に講談社から刊行されている。
今東北はその粘り強さで、一人ひとりがひこばえのごとく個性的に連綿と活き続けているに違いない。