蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

焼額山

2009年08月18日 | 安曇野を離れて
今朝はやや冷えた。午前6時の外気温16℃。西北の室内が20℃。朝日が差し込むリビングでも23℃。
まぁ、日中は30度ちかくまで上がるだろうけど・・・・

北信州の志賀高原にある山で「やけびたいやま」と読む。
読み方がわからないので、確認するため15日(土)奥志賀高原に入る手前で寄り道。

スキーやスノボーを楽しむ人にはお馴染みらしい。
プリンスホテル西館のフロントで、ゴンドラの割引券を頂き、第1ゴンドラ乗り場へ。

大人往復1300円が1000円に。プリンスの太っ腹。
下山は歩きたかったが奥志賀高原のコンサートが気になるので、往復ゴンドラ乗籠?とした。


9分で頂上へ。標高2009メートル・・・・今年は何年?




花の見ごろは終っているせいか人はまばら



ご褒美は稚児池の水面


晴天なら北アルプスが見えるという

終戦記念日の午後12時。平和のありがたさをかみしめながら、姨捨サービスエリアの”どら弁”をいただいた
姨捨山の『田毎の月』をイメージした評判のお弁当。
栗おこわ、山菜おこわ、信州サーモン味噌漬焼き、松代地鶏の照り焼き、信州エリンギフライ、野沢菜漬
杏のシロップ漬ほか全12品目(のピンボケ弁当)・・・おしながきから転載
 
デジカメの電池が切れて携帯カメラで応急処置

お茶を持って出るのを忘れて、不本意ながら山裾のホテル内自動販売機にて調達。

おまけ
今年はシラビソの球果が大豊作。ゴンドラのガラス越しではうまく撮影できず、下車後、案内看板写真を拝借。

これもピンボケ球果(ふくろうが止まっているのではない)

写真はピンボケでも車の運転はピントばっちりで、無事奥志賀高原に到着した。
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森の音楽会

2009年08月17日 | 安曇野を離れて
初めて訪れた北信州の奥志賀高原。
CO2がどうだこうだと言いながら、1000円の魅力に乗っかった奥志賀行き。

煩雑な看板や広告類、自動販売機がなくスッキリしたエリアである。
周辺ペンションやカフェの標識は同じデザインに統一し、下部にオリジナル書体で施設名が表記してある。

音楽堂を持つ奥志賀高原ホテル正面


サイトウ・キネン・フェスティバルのプログラムに「若い人のための『サイトウキネン室内楽勉強会』」がある。
小澤さんが力をいれている若い人の音楽教育のひとつ。
音楽を学ぶ学生から選出した若手音楽家を、奥志賀高原で指導する合宿である。

その成果の演奏会が「森の音楽堂」であり、15日の夕方に鑑賞した。


前半は声楽とピアノ。後半は弦楽オーケストラ。
自由席のみだから、早くから観客が並ぶ
弦楽に興味があったので「チャイコフスキー:弦楽セレナーデハ長調」を楽しみに、背後の席を選んだ。
つまり小澤征爾さんの指揮を5~6メートル正面から眺めようという算段である。

迫力満点。小澤さんのブレスが聞こえ、額の汗まで見える。
ヴァイオリン11人、ヴィオラ5人、チェロ5人、コントラバス1人の陣容。

音響がよいとされるホール内の天井。
収容人員400人だそうだが、300人でゆったりがよいだろうけど、経費との兼ね合いもあることだし。


第3楽章が始まってまもなく、チェリストの一人の頭がぐらっと揺れた。
ついでチェロを抱えたままゆっくりと右へ傾き、床に倒れた。左手の指は弦を押さえていたそのままの形で動かなくなった。

コントラバスの音色がとてもよかったのと、大きなホールでは単独に聞き分けるチャンスはあまりないのでじ~っと見ていた。その手前の視線上に飛び込んできたものだから、驚いた。

室内は暑かった。一瞬酸欠かと思った。

標高1600メートルくらいの高原なので冷房は要らない。周りのガラス戸は開放され網がかかっていた。

休憩タイムにそばを通った折、近くの席の人々が寒いと言ってガラス戸を閉めていた。

チェリストは緊張と暑さのため、また数日間の合宿練習の過労もあったのかもしれない。
緊急休憩のあとガラス戸を開放し、第3楽章第4楽章を終えた。素晴らしい演奏に何度も呼び出された若者達に惜しみない拍手が送られたが、仲間のトラブルにショックもあったろう、疲れただろう。早く終ってあげればいいのに・・・

サイトウ・キネン・フェスティバル松本での本番発表会は、18日午後7時から「あがたの森文化会館講堂」で始まる。

結局疲労と過呼吸が原因のようだ、と報告された。
このトラブルが彼女の将来に暗い影とならないことを切に祈るのみ・・・

チケットは、奥志賀高原ホテルとその周辺ホテル・ペンションにて
 滞在とセットで購入する仕組みである
地元の宿泊施設やボランティアは小澤さんを”先生”と親しみを込めて応援している。

ケチ蔵はとても奥志賀高原ホテルには泊まれない。周辺「プチホテルEpi」へ。
午後9時過ぎ、広い部屋で気持ちよく眠りについた-------------
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大糸線駅舎の改修

2009年08月14日 | 駅&鉄道
過日の市民タイムスの記事では、JR東日本が大糸線のいくつかの駅舎を改修するという。

まずは
豊科駅と穂高駅と有明駅が今年度中の計画だそうだ。
豊科駅改修後、147号線シャッター通りの新装開店に繋がるか?
駅正面の二宮金次郎像は生き残れるだろうか?寒くなると赤い毛糸の帽子とマフラーを着せてもらっている。
現在の駅

↓ こんなお洒落な洋風駅舎に。市民タイムス記事イメージ図から転載

送迎用の駐車場や鉄道利用者のための駐車場も用意されるのかな?

穂高駅。穂高神社がある駅だから今より由緒ありそうな駅に改装されるらしい。
駅前通りのレンタサイクルS店の、観光穂高にとってあまり芳しくない路上営業&客引きはなくなるだろうか?
現在の駅。写真右は駅前ロータリーにある親子のたくましい像

開業当時はザック担いだ登山客で賑わったという有明駅。北アルプス表銀座の最寄駅だから山をイメージした駅舎になると思う。
石積みは残して欲しい。
人気の燕岳登山口でもある中房温泉方面行き「路線バス」は、季節限定でも運行の予定はあるのだろうか?
西山に聳える有明山(信濃富士)の登山道が整備され、もちっと楽な日帰り登山コースができるかな?
  現在の駅
ハードだけでなくソフト面の新規開拓・整備が欲しいところだ

続いて
信濃松川、信濃大町、南小谷駅(北陸への導入口)も予定されているらしい。

2010年秋以降大糸線を走る新型リゾートトレイン(2両配備予定)とのリンク計画なのだろう。

参考:JR東日本リゾートトレイン

国営アルプス「あづみの公園 大町松川」はこの夏オープンした。

観光・安曇野ふたたびよ----の狙い目は当たるかな?
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雪山賛歌の生まれた温泉宿

2009年08月11日 | 温泉へ行こう
中信州の東北寄り、群馬県吾妻郡の湯の丸高原に鹿沢温泉がある。

7月ある日の思い出話
ここには「雪山賛歌発祥の宿」と「百体観音」がある

鹿沢温泉・一軒宿の紅葉館は、ここに滞在した西堀栄三郎ほかのメンバーが、
大雪に閉じ込められた時『いとしのクレメンタイン(アメリカ民謡)のメロディーに
山男の心情を歌詞にこめた』雪山賛歌の生まれた宿として有名。


日本秘湯を守る会の宿だ。日帰り入浴可。500円
浴室の中にはシャワーも蛇口もない。あるのは桶だけ。露天風呂もない。
暗い浴室はまるで水牢のような雰囲気。掛け流しの湯で湯船の木枠も床も茶褐色だ

木造2階建ての懐かしい泊まってみたい宿で、通には嬉しい建物だろう。
私は一人ではちょっと怖いかも?


紅葉館の向い側に「雪山賛歌のおこり」標識。宿の中にもゆかりの品がある


この街道筋に番号札のある100体の観音さまが鎮座している
浅間サンライン側から1番~湯の丸地蔵峠を越え~紅葉館脇に100番。馬頭観音、千手観音、聖観音など。今は車でとおりすぎるが、昔は湯治場だったのだろう。
静かにたたずむ

ワイルド過ぎる像


付近の森林も神秘的である

清楚な玉だれの滝

名前のわからない花


改めて画像をみると、手軽な散歩が出来る緑したたるいい街道だった
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スローステップ運動

2009年08月08日 | 暮らしの積み木
『福岡大学スポーツ科学部教授田中宏暁先生が開発した
半畳ほどのスペースがあれば行える運動方法』だそうだ

先日の市民健康診断の結果のうち、体重・腹囲がえら~く増加している。
これはイカンなと思っている所へ、たまたまNHKの”ためしてガッテン”に遭遇。
うんこれなら出来るかも・・・・

踏み台は通販でも購入できるが、買うんじゃなく自宅にあるもので調達・・・・

■高さは無理なく。20センチで、不安があれば10センチ~でもよいそうだ。
■1回:10分(または80ステップ) 1日:2~3回がいいそうだが、私はまずは1日2回から。
■台の上では両足が伸びきるように

ステップ順は、多分この方法がリズミカルで安全だと思う。
①~⑤は右足からスタート、①~⑤は左足からスタ-トさせ、昇降を繰り返す
 イメージ図

さてさて続くかな?

効能書きが良すぎるので、まずは話半分でトライしよう。
効果ありと自慢できれば、我が家流踏み台を披露することにする。
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槍の穂先へ Part3

2009年08月07日 | トレッキング
2日目夕方、槍ケ岳山荘前から槍沢カールを見下ろす


中央の赤い屋根はこの日ランチを摂った殺生小屋。
我々はこの小屋から雨の中を標高差200メートルを登って山荘についたのだが、午後8時頃信じられない光景を見た。

私の傍で男性が韓国語で下に向って大声で叫んでいるのだ。
暗い中をランプをチラチラさせながら数人が登ってくる。つまり殺生小屋から夜間登山なのだ。
ぎりぎりの日程なのだろうか?それとも体調を崩した人を遅れて伴登してきたのか?
事情は分からないが、山小屋の対応も大変だ。

最近韓国や台湾からの団体登山者が増え、夜10時頃に到着する登山者もいるという。
しかも中には薄い白ビニールの雨具で、危険だと思うのだが。
このところの「槍ケ岳人気」で、今夜は韓国から200人の宿泊者だと夕食前にスタッフが話していた。

さて8月3日(3日目)
槍ケ岳頂上から戻り朝食を済ませた後、リュックを外に置き「もっと槍を綺麗に見よう」と
小屋を南に少し下った突起部に立ち寄る

角度を変えると山容が大きく変わる

背中に朝日が射し向いの石壁に影を作る。中央奥の帽子を被る人影が私


さあ殺生小屋へ向け下山開始
下山歩行は早足なのでなかなか写真を撮るチャンスがない。
ここは梓川源流地域だそうで、岩の左横から流れ落ちている


樹林帯の梓川


そして上高地から松本方面へ流れて犀川~千曲川~信濃川となり、日本海に注ぐ。長い旅だ

槍ヶ岳を開山した播隆上人が寝泊りしたという岩小屋。
小屋というより大きな岩と岩の間の空間スペースといったところ。
今は播隆窟(ばんりゅうくつ) とも呼ぶ。小さなお地蔵さんが見えた


結局3日目は槍ケ岳登頂と下山行でひたすら歩き、実に10時間をかけ上高地に4時半着。
クールダウン・ストレッチ、タクシー分乗、沢渡駐車場から集合場所の松本まで分乗、解散は午後6時となった。
先生はじめメンバーの方々に感謝感謝。

6日の昼頃までふくらはぎと太腿の筋肉痛にイタタタタ!!

おまけ1
2日間雨のためと晴天でも時間のなかった下山とで花の撮影は極端に少ない。
横目で見た花々は
今年当たり年のコバイケイソウ、イワツメグサ、ミヤマダイコンソウ、シナノキンバイ、
ゴゼンタチバナ、マイズルソウ、キバナシャクナゲ、ヨツバシオガマ、サンカヨウ、シャジンなど

ギボウシを小休憩時に


上高地で見かけたトリカブト


おまけ2
車にペタリと張り紙。松本合同庁舎の土日は駐車場として開放しているが、月曜日はアウト。ナンバー控えられただろうな。呼び出しや罰金請求の掲載はなかった。
自宅からだと上高地沢渡の駐車場で合流の方が便利なのはわかっていたが、疲労困憊で事故をおこしてはと配慮し、ベテランメンバーの車に分乗させてもらった。

おまけ3
乗せてもらった車は「MITSUOKA」えらい高級+マイナーな車でございました。

終り良ければすべて良し。お後がよろしいようで・・・・
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槍の穂先へ Part2

2009年08月06日 | トレッキング
8月2日(2日目)の夕刻。がんばったご褒美に天候が答えてくれた

午後7時、残照を背に槍ケ岳そびえる

左の瘤は孫槍、中央の針付近がひ孫槍(記憶違いがあればゴメンナサイ)右が大槍。
子槍はこの方角からは見えない。

山荘正面の右前方に穂高連峰


残照の中の常念岳▲も見える


天候回復に喜びの人々が影絵を作る。登頂者ではなく近くの尾根に並ぶ人


歓迎の花はハクサンイチゲ


左:イワベンケイと名前のわからない花

そして朧の月


星も出た。ヘッドライトを点けた登山者も山頂を目指す


この夜、理事長先生の星座観察会で、天の川は見えなったが”夏の大三角””北斗七星””ヘルクレスの真ん中オレンジ星”を確認できた。
明日はさぞかしさぞかし・・・・・

8月3日(3日目)午前4時45分、朝陽を浴びながら登頂開始、おそらく気温8度くらい。
登頂シーンは全く撮影不可だった
5日の朝NHKで槍ケ岳山頂liveがあり、記者の最後の鉄梯子(登頂)を放映していた。
もちろん私自身のアタック画像はないのでテレビ画面を拝借する。

赤い屋根は槍ケ岳山荘で標高3060メートルの槍の肩に建っている。
つまり120メートルの標高差を、岩を掴み、ささやかな足場を確認しながら靴を載せ、えいやっ!と重いお尻を上昇させる。頂上近く鉄梯子を3回昇って・・・

理事長先生の「おめでとう」握手を受ける
祠の前で登頂の記念撮影。思わずホロリと小粒の雨が・・・落ちた
右の彼は今回の青年参加者の亮君、高校2年生


そしてもう一人の少年参加者・浩君(右)は小学6年生

亮君には私の前に後ろにといくつものサポートを頂いた。実に気持ちのいい青年だった。切れ長の目が涼しく「役者の早乙女ソウタ君に似ている」と、ファンであるおばさまが山小屋で話す。
そして浩君も黙って手を添えてくれる頼もしい少年
二人を抱きしめたい衝動に駆られるほど嬉しかった。

長雨と大雪山遭難事故の影響だったのか?もっとたくさんの青少年参加があればよかったと思う。

頂上は狭く30人ばかりしか滞在できない。次々と登ってくるため20分ほどで下山する。
下りは、登りとは殆ど別ルートで降りる。鉄梯子に加えクサリ場が何度も登場し、もう二度と来ることはないだろうゴツゴツとした山肌の感触を味わった。

そんなこんなの山頂での画像は
山荘側からは見えない子槍が朝陽を受けて、黄金色に輝く。
♪「アルプス1万尺 子槍の上で アルペン踊りを さあ踊りましょ」
踊るのは無理だし、第一登れそうにない


常念岳の目線が近くなり、より大きく見える。


昨夕は富士山がかすかに見えたが、今朝はなし

向いの山並みに槍の影が映る。ベテランTさんが急ぎ撮影してくださった。
これが笠ケ岳なのか?または稜線の奥に笠ケ岳があるのか?聞き忘れた


『槍ケ岳開山の祖として知られる播隆上人(ばんりゅうしょうにん)は、
1823年はじめて笠ケ岳山頂から眺める槍ケ岳の素晴らしさに、槍ケ岳の開山を決意し、1828年登頂に成功する』
参考資料:
新田次郎著「槍ケ岳開山」・・・図書館から借りたが文字が小さくて途中で挫折
穂刈貞雄(槍ケ岳山荘当主の父)・・・播隆上人の足あと平成8年NHK教育(こころの時代)の対談記録

その播隆上人像をまつっている食堂で、下山後朝食を頂いた。今朝も勝負食の味噌汁を2杯

さぁて、予定から1時間遅れの下山は最後の正念場だ。

余談
北アルプスブロードバンドネットワークは北アルプス南部18の山小屋が集まって運営するNPO法人。
会員登録(無料、自由なIDとパスワード)をすると各山の気温や天気予報やなど気象情報が閲覧できる。
家族はこのサイトでしめしめ登頂したんだな!・・・と、帰宅後の反応は味も素っ気もない。
しかし参考にはなるし、予定もたてやすい。サイトで行ったつもりの山遊びも出来る。
最近のジジババ登山から、かつての若者登山の復活を期待できるかも・・・・

②頂上の祠の屋根は木の釘で留めてあり、昔の雷よけだったそうだ。---5日のNHK取材から---

③いつも陽気なベテランTさんに「足元不安定なので、ぶつかったらごめんなさい」
「僕は精神不安定だから・・・」
「えぇ、いきなり抱きつかれるのは困るなぁ」

④事務局の若いサブリーダーYさん。彼女にはいつもサポートしてもらっている。
頂上を目指す時「もし私が滑って落ちかけても、助けようとして心中する必要なんかないからね」と他人のいる前で宣言しておいた。

■槍に立つ 思い叶えど 修行かな 
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槍の穂先へ Part1

2009年08月05日 | トレッキング
おそらく登頂出来ないだろうけど、憧れの山だった「槍ケ岳」
2007年7月初めて常念岳の曇天に見えた槍


2008年年7月燕岳ではコマクサのはるか彼方に望めた槍


桜の頃、東山の光城山頂上から見えた穂先・・・と思い出がある

チャンス到来!標高3180メートルを総勢16名(青少年2名、男性8名、女性6名)で目指す

終わってみればこんな行程だった 

所要時間は小休憩(5分)・大休憩(10分)・ランチタイムを含む

8月1日上高地から出発
いきなりテントショップが。国定公園の観光地にこの自由さは西洋人の発想ならでは・・・・

絵画の小品などがあったが、ところでこれってOK?

横尾まではなだらかな道をハイキング気分で歩く  
地質に詳しいMさんから
この道は花崗岩が風化し砕けた細かい砂利道であり、山側にある大きな岩と同じだと言われても信じられない。
そして
およそ176万年前の花崗岩だそうで、向い側にある「W・ウエストン碑」を埋め込んだ花崗岩が、
一番新しい花崗岩であることが、後の調査で分かったと歩きながら話を聞く。

ランチを摂った横尾は涸沢方面と槍方面への分岐点のため大混雑。

橋を渡って涸沢方面へ6割対槍方面へ4割だそうだ。最近は韓国での『槍ケ岳人気』が非常に高いという。
上高地から11キロ、槍ケ岳まで11キロ・・・・やれやれ平地と高山

とうとう雨具の出番となり、ひたすら岩の上を滑らないよう歩き続ける。
石の配置が密で高さが比較的小さいので、短足の私には嬉しい。

青少年登山と名打った槍ケ岳登山なので、初日の山荘到着は2時半頃と、ゆったりしていた。
左:槍澤ロッヂ。改築しても表札は当時のものを掛けているのだろうか
右:明日と明後日の天気予報掲示板。うわっ!絶望的

雨具や衣服を乾燥する部室は満艦飾だ

講座・ミーティングのあとはいつもの車座宴会、17時の夕食と続く。
20時半には消灯。なんもすることないのでふとんにもぐり込むと、バタンキューだった。宿泊者は多いと思ったが、ひとつの布団でゆっくり寝られた。
明け方3時頃か、雨音に目覚め窓に稲光が映る。もう出発準備のパーティの作業音が聞こえる。

さあ我らも出発準備。充実の朝食にみそ汁は必ず2杯飲むべし!。この塩分が登山にいいらしい。
梓川の轟音水流を覗く。7月の降雨量は半端じゃなかった

一瞬樹間に槍ケ岳が顔を出す


2日目は急登コースにつき、気を引き締める。高山病は体調次第では3000メートル以下でも起きるからだ。
きつかった。
グリーンベルト(ハイマツの樹林帯)・東鎌尾根付近は風が冷たく体温を奪われるから1枚を増着。
東鎌尾根は燕岳方面からの表銀座コース尾根で、少しでも体験をと組まれた行程だった。晴天なら絶景なのにと残念がる。

雪渓をいくつか通過


女性の一人がふくらはぎと太腿をつったが、早い通告と的確な処置でまもなく収まった。

2日目のランチを殺生小屋にて。
槍沢ロッヂで調達のばら寿司に、うどんを仲間と半分づつ頂き心と体を暖める。
しこしこの手打ちうどん風だ。
「殺生小屋」の命名由来を調べたが、未だ判明せず。山は猟師の聖域だったから供養だったのかな?


急登箇所をクリアし、ほどなく2泊目の槍ケ岳山荘へ12時半頃だったかに到着
やれやれと嬉しくて疲れて山荘の写真を撮り忘れていたことに今気づく。

当初の予定は山荘到着後穂先へアタックだったが、天候不良にギリギリまで思案。
理事長先生やサポート・スタッフやベテラン・メンバーで協議の上、よっしゃ明日早朝に登ろう・・・に決定。

夕焼けがほのかに窓に映り、それっと飛び出す


余談
北アルプスには”やり三本”
①槍ケ岳3180メートル・・・・・ただいま挑戦中
②鹿島槍ケ岳2889メートル・・・2008年8月4日登頂
③白馬鑓ケ岳2903メートル・・・ムムム
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