蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

熱海から遠周り

2010年02月17日 | 暮らしの積み木
大阪から熱海へバス旅行に行った友人が、「安曇野の冬景色を見たいなぁ」と、
13日途中下車し、身延線経由で2回目の安曇野へやってきた。
右手の車窓から見える大きな富士山を見逃さないで・・・曇天で見えなかったそうだ。

安曇野では運良く天候に恵まれ、雪の常念岳の頭を長峰荘付近から


田んぼのコハクチョウ


御宝田のコハクチョウを表敬訪問。パンダ柄のカモは「キンクロハジロ」


カモに詳しい彼女は「こんな近くで見られるなんて」と喜んでくれた
 ヒドリガモ

2月14日現在、安曇野の白鳥は305羽

国営アルプスあづみの公園大町・松川地区の夕景も散策する
日が暮れるまで土日のイベントで遊ばせてもらった

チョコレートフォンデュ体験は、イチゴ・バナナ・マシュマロ(50円/皿)にホワイトとカカオのチョコ


長い串に材料を刺し、たら~りと流れ落ちるチョコレートにかざして、パクッ


別棟では焼きマシュマロ。さっと炙るとヌガーのようになる。空いているせいか、いくつでも食べてと客を呼ぶ声


残念だったのは、夕方までならスノーシューやそりやストックが無料で借りられて、園内を散策出来たのに


やっと日暮れ始めて






今やってきて遊ぶ坊やは正しい


日暮れ時間が予想より遅かったので、暗闇を待たずに『すずむし荘』で体を温め帰宅した。


小雪ちらつく15日の午後、穂高駅から大阪へ帰って行った
用意した衣類は、3泊4日旅の割には荷物が大きい。寒さを心配したのだろう

自然観察会のグリーン・サポーターを勤める彼女は、植物や花に詳しく
新緑の頃ならその威力をもっと発揮できのだが・・・

しかしちょうどいい加減の雪体験だった

余談
信州では見かけることが少ないだろうと
先日、関西の里山で見つけた「ムクロジ」の実を送ってくれた。
枝つきで採集できるのは珍しいそうだ


振るとカラカラと乾いた音がする
殻を破ると・・・これなーんだ!
お正月の羽根つきの羽の元にある玉になる

先人の知恵にまた驚かされる

敷いている裂き織テーブルセンターも然り
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田園のD51

2010年02月15日 | 安曇野とその周辺
有明山の


麓の田園に
1977年に旧穂高町が旧国鉄から譲り受け「あづみのD51483保存会」が管理・補修を受け持つ
D51型蒸気機関車がいる。



保存会では毎年、ボランティアが清掃しているという。

このD51型蒸気機関車は1940年に製造。1976年廃車。
たどった道は、
建造当初は熊本で活躍
昭和20年アメリカの原子爆弾投下時、広島にいたため、原爆の灰を浴びている。
戦後北海道に渡り、主に貨物輸送に活躍。地域に大きな貢献をしたが、昭和51年廃車となった。
その間、なんと地球を63.8周走行したという。


安曇野へやってきたのは、臼井吉見氏の小説「安曇野」により、全国に知名度がひろがったのを契機に
町興しの担い手になったから

この雪景色にD51君は北海道を思い出しているかもしれない。

ポツンと置かれた機関車は、この地に似合うような似合わないような寂しげな風情である。
時々散歩に通りかかるが、子ども達が遊んでいるのを見かけたこともない。
地域の大人でも、その存在を知らない人が多いのでは?と思うのだが、どうだろう。

だからって華やかなイベントに借りだされるのも本意ではないだろう・・・きっと
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪遊び

2010年02月11日 | つれづれ思うに
6日~7日、たっぷりの雪を目指し、まもなく消えるかもしれない高速1000円を利用して息子一家(3人と1匹)がやってきた。

ちょっと楽しみなイベントが吹き飛んだが、しかしそれを越える喜びを運んできた。

久しぶりに雪だるまを作る。子どもより大人のほうがきゃっきゃと騒ぐ


寒がりの変な犬が本性を見せ、雪に同化している


粉雪でなかなか丸くならないが、はい出来上がり!
まずは雪ウサギ、そして伝統の雪だるま


目は胡桃、口はニンジン、帽子は野菜苗のポット、髪は松の枝、マフラーは包装紙。
なんか物足りない・・・・

お嫁さんがひょいと補足し、優しいハンサム君の誕生


主役の孫娘は近所からお借りしたそりでお楽しみ


さいわい自宅横に坂道があるので、苦もなく楽しめ・・・安・楽・近

雪もだるまも、翌日の晴天であえなく消滅

彼らが帰途に着いたあと、考え込んでしまった。
今のところたいした心配もなく成長する孫娘を見るにつけ、世界中には今ひと口の食べ物を待つ子どもが大勢いるのだ。
つらい

余談
13日から、大阪の友人が冬の安曇野体験にやって来るが、待望の雪やいかに
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

節分祭

2010年02月07日 | 安曇野とその周辺
畑の師匠に声をかけていただき2月3日に「節分祭」を経験した。
松本市のレストラン「ヒカリヤ」

もう4年前くらいだろうか、たまたま通りかかりに新装開店前後のお店の中を見せていただいたことがある。
ほんの入り口近くだけだったが、由緒ありそうな重厚な古い建物と記憶している。
メニューをどうぞ、と頂いて帰ったが、高いなぁと・・・・その後すっかり忘れていた店だ。

さてお祭り
日本の古きよき伝統文化を継承してゆきたいとの趣旨で、今年は3年目だそうだ。

会場はヒガシの和食の間。上がり框の正面


式次第にそって
挨拶

新内節は人間国宝の鶴賀 若狭掾さんの浄瑠璃

乾杯
食事は恵方巻から始まった。今やコンビニも参入の海苔巻き。
一気にかぶりついたがあいにく撮影漏れ。
しかし大勢で同じ方向を向き海苔巻きを齧るという構図は、客観的に想像するに恥ずかしい。
巷間のあの太巻きでなく直径4センチ×長さ10センチほどの上品なものだった。

「歳徳神」と書かれた方角が今年の恵方の西南西


陰陽道(おんようどう)でその年の福徳を司るとされる神。この神のいる方角を、明きの方・恵方(えほう)といい、万事に吉という。

おすし屋さんの計略による関西発祥とよくいわれているが、れっきとした陰陽道が関わっているんだね。

七運盛り 
な”ん”きん き”ん”かん ぎ”ん”なん に”ん”じん い”ん”げん だ”い”こん れ”ん”こん 


寒造り。器に見える赤白はだいこんとにんじんの桂剥き。美味しくてパリパリ頂きました


福枡蕪

あれこれありましたが、食べるのに夢中で撮影できたのはこれだけ。

合間の独楽回しやお神楽のパフォーマンは、和力の加藤木 朗さんと息子さん。
獅子舞。加藤木さんの笑顔が忘れられません


神楽は、精悍なお顔の息子さん(高校生)の力強い舞いだった


『和力は、固定された集団ではありません。
自分の世界をうみ出す者が、独りでは出てこないものを追い求め、
互いに影響し合いながら創り出していく、空間と時間の名前です』
ということで、メンバーの一人加藤木さんの登場でした。

加藤木さんは南信州・阿智村にお住まいとのことで、和力のホームページはこちら

最後は大笑い
希望者の大の大人がぞろぞろと、豆をいっぱい入れた枡を先頭に、館内のあちらこちらを豆をまきながら練り歩く。
「鬼は~そと、福は~うち」実際に窓を開けた外へ、室内へと撒き散らすのだ。
店主も若女将も・・・・
 因みに左は女将さんではありません

厨房へも豆はまかないが、挨拶に


「豆は明日スタッフが拾いますから、ご自分の歳以上は召し上がらないように・・・・」
ハイチを思うと、この大量の豆の顛末は?・・・・ツライ

スタッフの男性は和服の女装を、女性は裃の男装。
おとなの、粋で上品な御茶屋遊びと言ったところかな?

宴が終わり、帰り際の上がり框の脇。こういうものを見ると日本に生まれてよかったと感心する


小雪舞う玄関を後に一路帰宅へ


17時半から21時半まで4時間たっぷり美味しく楽しませて頂きました。
今後、五大節句の 桃 端午 七夕 重陽 と続くそうです。

参考:
『重陽の節句の起源は、ほかの節句と同様古来中国にさかのぼることができます。中国では、奇数は縁起のよい陽の数とされ、一番大きな陽の数である九が重なる9月9日を、「重陽」として節句のひとつとしてきました』 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早朝の雪景色

2010年02月02日 | 庭まわり
今朝5時に除雪車が来た。
積雪6~7センチに早朝からありがとうさん

除雪車が来るたびにカメラを向けるおばさん・・・仲間内では「変なおばさん」と噂になっとらんか?



バイバイ気をつけて・・・次の道へ


夜が明けてきた




巣箱の上にも


べっぴん?イケメン?カツラの樹形


枯葉が小鳥だったら


雪が降り積もると歓喜するのは、大雪に苦労の地方の方々に、悪いなぁ~













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレーが食べたくて

2010年02月01日 | 安曇野とその周辺
先日久しぶり松本へ出る
穂高駅から常念岳がすっきり見えた


cafe matkaという店の紹介を読んだので、探し探し道をうろつく。
だめだ。歩き疲れお腹もすいてきたので、ちょうど目の前の小振りなイタリアンにしむらに入った
こりゃこりゃ美味しかったです。可愛い店だが、メニュー板には、聞いたこともないカタカナがびっしり。
ランチメニューの中から”菜の花とじゃこのパスタ トマトソース”
前菜には野菜サラダに小さなキュッシュも。

出る間際に「すいません、カフェ・マトカはこのあたりですか? 探しています」
食事の後にカレーの店を尋ねるのは、結構恥ずかしい。

1筋西へ、数分北へさらに西入る、と随分離れていた。やれやれ
沖縄料理の島屋を越えて角のタバコ屋を南へ西側だった。


トイレ内の張り紙『屋根の上をねこがとおります。大目にみてやってください』
カタンコトン音がしても驚かないで・・・と注意書き

コーヒーを頂き、さて駅へ向う

そうそうウイルキンソンのジンジャーエールがメニューの下の方にあったっけ。
次回はこれとカレーだね

角の電柱に


大好きな年代ものの建物に「生あん 中村屋」の張り紙
店には見えないけど・・・・「ごめんください」


餡を煮る店で、菓子店や飲食店に卸しているという。
ついでにつぶ餡500グラムを315円だったかで買う。安くて申し訳ない。

おぜんざいにも、お餅にのせても、パンにでも応用できそうな重宝餡だ。

広い通りに出た角に、新しく美しい店舗だが暖簾は古い「飯田屋」。
ガラス越しに棚を見ると白い飴が並ぶ。


帰宅後Webで確認するとやはり由緒あるだった
松本あめ市ではさぞかし賑わったことだろう

ロゴがいいな(飯田屋のホームページから拝借)


広い通りから遠くに常念岳が見える。電線だらけだ


結局cafe matkaへの道順は、松本駅東口を北へ、女鳥羽橋を越え、
飴の飯田屋の先を東入る→おかしな電柱張り紙を左折してまもなく左手(西側)

あの美味しかったイタリアンの店「にしむら」へは、どうやって行くんだっけ?
ったく、厄介な方向オンチだ。帰って来た道をたどるか

余談1
豊科駅前の藤森プロパン商会のガスタンクに描かれたイラスト
「仲良くしましょう!」登山好きの代表がプロパンを背負ってる?走り始めた車内から


余談2
役に立てない
血液のO型とAB型が不足していると献血できる事務所前の看板


私はB型だが、いつどこで試しても比重が軽いと却下される。
比重が低いとは命に関わることではないのかな?と思いつつ調べるでもなく・・・・

今日こそ確認すると、
命に関わることではないが
『比重検査は、献血により貧血になる事を避けるため事前検査を行なう。
献血を断られたのは、ヘモグロビン値が12g/dLなかったため』
だそうだ。

日本赤十字社の献血できる条件
深読みすると、結局65歳までに献血実績がないともうアカンということだ

せっかくの健康体が役に立たない
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする