星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
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ギュスターヴ・クールベとバイロン卿

2005-06-01 | アートにまつわるあれこれ
会期終了間近の『クールベ美術館展』を
観に行ってきました。

何に惹かれるのかわからないけれど
最も好きな画家。

スイス国境に近いフランスの<オルナン>が彼の故郷で、その生家が現在「クールベ美術館」になっているのだそう。三鷹駅南口のギャラリーに入ると、生家の内部、テーブルとか暖炉を実物大くらいに写した大きな写真に出迎えられて、あたかも、オルナンの生家に立ち寄ったかのような印象を与えてくれる。
しかし、クールベ自身は、パリ・コミューンの先頭に立った罪から亡命生活を送り、この生家へ戻ってくることは実際は無かったのです。

クールベと言えば<写実主義>!とどんな教科書、どんな美術書にも書かれてますが、私に知識が無いためか、余りそういう眼で観た事が無い。クールベの絵は、文字通りの写真そっくりに描いた絵ではないもの。クールベの精神は、多分にロマン主義的な熱情が始まりにはあろうとずっと思っています。初期の自画像や、恋人たちの絵も、狩人として鹿や狐の動きをとらえた絵も、権力に逆らってありのままの民衆の(美的でない)姿を描いたものも、、、すべては、圧力に屈せず本質を見据えようとし、その力が自分にはあると信じきる熱情を通過して生まれたものと思えるから。
リアリズムを<ありのまま>と解するからいけないのよね、<本質>が描けてこその、リアリズム。
(またおとといの論にもどってしまう・・・)

レマン湖のほとりに建つ「シヨン城」の絵(写真)。
カタログの解説に「バイロンがけっして捨て去ることのなかったロマン派の高揚した気持ちを、他のどの画家よりもみごとに捉えている」とあって、本当にそう! と頷きました。

 ***

   澄みきって静かなレマンの湖よ、その水を
   わが住む荒々しい人の世とくらべるとき
   その静けさは、悩ましい世の浪をすてよ
   澄んだ泉にかえれよ、と、いましめる。
   このしずかな帆は、音もない翼に似て
   わが心を、悶えのそとに吹きおくる
   かつての日、私は荒ぶる大洋の咆哮を愛したが
   いまこのやわらかなさざめきは、懐しい姉の声に似て
   烈しい快楽に心うごかしたこの身をたしなめる。

        (バイロン『澄明、静謐のレマン湖』冒頭部分 阿部知ニ訳)

 ***

シヨン城を詠った詩もバイロンにはあるそうですが、みあたらないのでレマン湖の詩を。
バイロンも、愛と青春の放浪生活のあと、ひとたびこのレマン湖で静かな時を過ごしたようですが、でも彼の熱情は再び燃えて、もう女も、故郷も、名声も、何も彼を惹きつけるものは無く、自由のため?それとも英雄的死を求めて? ギリシャ独立軍を助けに奔るのです。最期の有様はちがうけれど、バイロンの激情を理解できたのは、やはりクールベなのだと思います。

   青春を悔いるならば、なにゆえに命を永えるか
   栄光の死をとぐべき国がここにある
   起って、戦場に馳せてゆき
   おまえの生命をささげつくせ。
          (バイロン『この日、三十六歳を終る』より 9)

『魅惑の17-19世紀フランス絵画展』 損保ジャパン東郷青児美術館(~7/15)
ここにもクールベ作品が来ています。(こんにちわ、クールベさん。←いつ見ても偉そうね。笑)