星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

見えますか、、? 胸のうちの焔。。

2006-10-03 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
、、そういえば、、
あれはどうなったんだろう、、、と。。

「あれ」というのは、昨年耳にした漱石作品の映画化「ユメ十夜」。
検索したら、公式サイトの入口だけ出来ていました(>>)。

「夢十夜」については前にも勝手な独り言を書きましたけれど(>>
私はこの作品、、、文字通り、漱石が「こんな夢を見た」のでは無いんだろうな、と思っています。

夢の中では、「他者」はほんとうの「他者」でしょうか?
夢の中の「他者」は、ほんとうは「自分」だったりしません?
この先は、ちょっと誤魔化してしまいますけれど、「夢十夜」には、私、、いろんな漱石が見え隠れしている気がします。ずいぶんと無防備な、、。そこが面白いと思って。

映画の「ユメ十夜」の前に、ちょっと漱石の「夢十夜」を手にしてみようかな、、というときにお薦めかしら、と思うのが、金井田英津子さんの挿画のついた大人の絵本のような『夢十夜』(写真)。
表紙になっている画は、「焔(ほむら)」ですが、十の夜の作品の奥にみえるものは、、「夢」の中でさえ猛り狂う胸のうちの「焔」、、。その思い。
そして、もうひとつこの作品群をつらぬくキーワードに、「遺棄(いき)」というものがあるように感じます。つまり、、〈棄て措かれた身〉、、、。
その身が受けなければならない思いというものも、決して文豪漱石のものなどではなくて、、現在のここかしこにいる〈わたし〉たちにも在るものかもしれませんね。

漱石の第一作といえば、『吾輩は猫である』、、、。あの〈猫〉さんも、「棄てられた」猫さん、、、しかも、、未だ名前も無い、、。自分が誰だかわからない、、。わからないまま、世の中を一生懸命、見てる。。
そんな捨て猫さんの眼差しの中にも、、、ちっちゃな〈焔〉が見えるでしょうか、、?

今度は、同じ金井田さんの絵本で、『猫町』を読んでみることにします。

『夢十夜』/ 夏目 漱石 (著)/ 金井田 英津子(画) パロル舎