『パタゴニア』で有名な紀行作家、 ブルース・チャトウィンが唯一残した長編小説 『黒ヶ丘の上で ON THE BLACK HILL』(栩木伸明訳・みすず書房 2014年)のこと、 少し書いておきましょう。。
チャトウィンの作品は もう20年近く前に 『どうして僕はこんなところに』、 それからだいぶ経って 『パタゴニア』と『パタゴニアふたたび』を、、 いずれも図書館で借りて読んだのだと思います (確か当時、絶版だった気がする…)
時系列に沿った紀行文というのではなくて、、 子供の頃の思い出や、 旅の記憶や、出会った人のエピソードや、、 いったいどこをどういうルートで旅して来たのか結局はよくわからない、 語られる作家や芸術の固有名詞についても若造だった自分にはよくわかっていない部分も多くて、読み込めたとは言えなかったのだけれど、、
紀行文というにはまとまりなく、でも豊富な知識やウィットに富んだ文章は魅力的で、、 (89年にすでに亡くなっていたけれど) ブルース・チャトウィンという存在のほうにより強く惹きつけられ、 また読み返したいな、、とずっと頭の片隅にあった人でした。
、、個人的には子供の頃から 沢木耕太郎さんや、 ケルアックや、 ロバート・ハリスさんの『エグザイルズ』や、 藤原新也さんや、、 《旅する作家たち》の本をたくさん読んできたし、 当時の私は すべての大陸を歩いて来たというようなバッグパッカーや、 ジャーナリストさんの友人とよく語らっていたので、 『どうして僕はこんなところに』なんていうタイトルがついてしまう作家には親密な感情もあったのでした。。
***
、、そういう 旅を書き、旅に生き、旅に去った作家チャトウィンが書いた、村から出ずに生涯を終える双子の兄弟の物語だという 『黒ヶ丘の上で』、、 物語の舞台は、 イングランドとウェールズの境界、ハードフォードシャーにある「Black Hill」
実際にある場所だそうです、、 (https://en.wikipedia.org/wiki/Black_Hill_(Herefordshire)
本の表紙の写真のような、、 少しさびしいけれども長閑にも見える丘陵地。 その村で20世紀と同時に生まれ、 80年の生涯をふたりで一つのベッドに眠り、 ともに結婚もせず子供も残さず、 農夫として村を離れることなく生涯を終える双子。 波乱は無いけれども自然の中で共に手を取り合って生きた穏やかな人生… などと、、最初に想像したものとは じつは全く違った作品でした。。
著者が舞台をイングランドとウェールズの境界に置いたように、、 イングランドとウェールズはそもそも異なる国、、 異なる宗教を持ち、 異なる価値観、 領主と小作、 富と貧、 旅立つ者ととどまる者、 そして二つの大戦、、 志願する者と忌避する者、、 崇められる者と蔑まれる者、、
小さな柵囲いの中の羊のように寄り添いながらも、 時代と世界の変遷は この小さな黒ケ丘の人間たちを引き裂く。。 愛し合って結婚した夫婦、双子の両親でさえ、 父親はこの村で生きる事しか知らない農夫、、 一方、 母親になるメアリーは牧師の娘として外国暮らしをして育ち、 たまたまこの村の教区に赴任した父が急逝した為に黒ケ丘で生きる事になった女性。 もともとは身分もそれなりで、 知性も教養も、 税や法律に対する才覚もあるような女性が農婦となって、、 夫婦のあいだでもまた、 育った環境や考えの違いから亀裂が生まれていく。
このような、 異なるふたつの背景を持った人間たちが その違いゆえに互いの関係に「裂け目」ができ、、 それでも共に生きていこうとしてなんとか「結び目」を繕おうとあがく姿は、 けなげではあるけれども 読んでいて苦しい部分は沢山ありました。
『黒ヶ丘の上で』の翻訳は、 アイルランド文学や アイルランドの現代詩を数多く訳された栩木伸明先生ですが、 アイルランド文学にも通じるところのある イングランドとの関係、 異なる宗教・宗派の問題、、 富や貧困や差別の問題、、等々。。 美しい自然のありがたさだけでは無い、 二つに裂かれながらも共に生きていかなければならない宿命のようなものを、『黒ヶ丘の上で』にも同様に感じたのでした。。 チャトウィンは はたしてその事を意識して、 舞台をこの境界の村にして、 主人公を「双子」にしたのだろうか、と。
その「双子」たち… 離れていても相手の危険を察知するくらい一心同体の部分もあり、 好みや性格も反対に育って、片方の欠如を片方が補って、 二人でひとつにぴったり合う「片割れ」ずつとして描かれているけれども、 それは「一人」ずつでは不完全なことも意味している。 本当は、 たった独りで別々に生きていきたいのかも… だけど、 自分を埋めてくれる存在は「二人でひとつ」の兄弟しかいないこともわかっている…
、、 読んでいて、もしかしたらこれは チャトウィン自身の「心の物語」なのかな… とちらっと頭を掠めた。。 双子の母メアリーはすでに世界を知っていて 知識も才覚も豊富。 一方でこの村には 「何も持たず何も求めず」自然と共にまるで原始の人間のように生きて逞しい生を終えていく人間もいる、、 そのような憧れもきっとチャトウィンのもの。 だけどどうしようもなく自分を補って一緒にいてくれる「片割れ」を求める淋しさ・孤独も、 それって、もしかしたら旅に生きていたチャトウィン自身の、 心の告白だったのかも…
***
、、などと思いつつ 読み終えた後で、 みすず書房のこちらの「トピックス」の記事を読んでちょっと驚いた事が…⤵
https://www.msz.co.jp/topics/07863/
チャトウィンの死因は何か感染症だという事しか知らなかったので、あらためて経歴を調べてみたら、、 ロバート・メープルソープとも繋がりのあった人だと。。 そのことは全く知らなかったし、 チャトウィンは英国人、 メープルソープは70~80年代のNYでの時代の寵児、、 どこで繋がりがあったのだろう…と思ったら、 メープルソープを一躍有名写真家にした写真集『LADY LISA LYON』のイントロダクションを チャトウィンが書いているのだそうです。
奇しくも二人は同じ年、1989年に亡くなっています。 その死因とかに関心を持っているのではありません、、 メープルソープが私にとって40年前から大切なフォトグラファーだったから、 彼とチャトウィンが繋がった事に 率直に驚きをおぼえているだけです。
メープルソープのフォトはかなりの作品を目にしているはずだけど、 ブルース・チャトウィンを撮影したものって記憶が無い。。 そう思って検索したら、 メープルソープによるチャトウィンの肖像が、 スコットランド・ナショナル・ギャラリーにありました⤵
https://www.nationalgalleries.org/art-and-artists/90864/bruce-chatwin
NYタイムスのこちらの記事にも チャトウィンの詳しい記事と、メープルソープによるフォトが載っています⤵
https://www.nytimes.com/2017/09/07/t-magazine/bruce-chatwin.html
パティ・スミスらと交流があった時代からメープルソープに関する雑誌や、 彼の死後に出された本などもいくつか見た記憶があるけど、 チャトウィンの事も、 こういう肖像写真の事も知らなかったな。。 メープルソープにしては構図もコントラストも、じつに自然体な、あまりアーティスティックではない肖像写真ですよね、、 作品としてでなく友達だからなのかな。。 それもまたちょっとした驚きでした。
、、 話が 『黒ケ丘』からだいぶ逸れてしまいましたが、、 チャトウィンも、 メープルソープも、 その後ずっと元気でいたら、、 どんな作品を生んでいったでしょう。。。 おそらく二人とも、 がらりとスタイルを変えた、 古典にも通じるような重厚さを持った傑作を生みだしていったような気がします。。
『黒ヶ丘の上で』はそんな予感も感じさせる深みある長編作品でした。 閉ざされた農村という小さな共同体の物語でありながら、 描かれているのは確実に「世界」だった。。 20世紀の激動の世界。。
これを読んでから、 いつかまた『パタゴニア』などの紀行文学に戻って読み返したら、 あらたな発見がまた出来そうな気がする。。 それはまたいつか…
あ、、 そのまえに最後の作品 『ソングライン』も読んでみたいな。。
カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』の後くらいがいいかな… なんとなく、、。 この世界で失われつつあるもの、 守ろうとするもの、、 そういう物語?
なんだか、そんな気がしている。
チャトウィンの作品は もう20年近く前に 『どうして僕はこんなところに』、 それからだいぶ経って 『パタゴニア』と『パタゴニアふたたび』を、、 いずれも図書館で借りて読んだのだと思います (確か当時、絶版だった気がする…)
時系列に沿った紀行文というのではなくて、、 子供の頃の思い出や、 旅の記憶や、出会った人のエピソードや、、 いったいどこをどういうルートで旅して来たのか結局はよくわからない、 語られる作家や芸術の固有名詞についても若造だった自分にはよくわかっていない部分も多くて、読み込めたとは言えなかったのだけれど、、
紀行文というにはまとまりなく、でも豊富な知識やウィットに富んだ文章は魅力的で、、 (89年にすでに亡くなっていたけれど) ブルース・チャトウィンという存在のほうにより強く惹きつけられ、 また読み返したいな、、とずっと頭の片隅にあった人でした。
、、個人的には子供の頃から 沢木耕太郎さんや、 ケルアックや、 ロバート・ハリスさんの『エグザイルズ』や、 藤原新也さんや、、 《旅する作家たち》の本をたくさん読んできたし、 当時の私は すべての大陸を歩いて来たというようなバッグパッカーや、 ジャーナリストさんの友人とよく語らっていたので、 『どうして僕はこんなところに』なんていうタイトルがついてしまう作家には親密な感情もあったのでした。。
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、、そういう 旅を書き、旅に生き、旅に去った作家チャトウィンが書いた、村から出ずに生涯を終える双子の兄弟の物語だという 『黒ヶ丘の上で』、、 物語の舞台は、 イングランドとウェールズの境界、ハードフォードシャーにある「Black Hill」
実際にある場所だそうです、、 (https://en.wikipedia.org/wiki/Black_Hill_(Herefordshire)
本の表紙の写真のような、、 少しさびしいけれども長閑にも見える丘陵地。 その村で20世紀と同時に生まれ、 80年の生涯をふたりで一つのベッドに眠り、 ともに結婚もせず子供も残さず、 農夫として村を離れることなく生涯を終える双子。 波乱は無いけれども自然の中で共に手を取り合って生きた穏やかな人生… などと、、最初に想像したものとは じつは全く違った作品でした。。
著者が舞台をイングランドとウェールズの境界に置いたように、、 イングランドとウェールズはそもそも異なる国、、 異なる宗教を持ち、 異なる価値観、 領主と小作、 富と貧、 旅立つ者ととどまる者、 そして二つの大戦、、 志願する者と忌避する者、、 崇められる者と蔑まれる者、、
小さな柵囲いの中の羊のように寄り添いながらも、 時代と世界の変遷は この小さな黒ケ丘の人間たちを引き裂く。。 愛し合って結婚した夫婦、双子の両親でさえ、 父親はこの村で生きる事しか知らない農夫、、 一方、 母親になるメアリーは牧師の娘として外国暮らしをして育ち、 たまたまこの村の教区に赴任した父が急逝した為に黒ケ丘で生きる事になった女性。 もともとは身分もそれなりで、 知性も教養も、 税や法律に対する才覚もあるような女性が農婦となって、、 夫婦のあいだでもまた、 育った環境や考えの違いから亀裂が生まれていく。
このような、 異なるふたつの背景を持った人間たちが その違いゆえに互いの関係に「裂け目」ができ、、 それでも共に生きていこうとしてなんとか「結び目」を繕おうとあがく姿は、 けなげではあるけれども 読んでいて苦しい部分は沢山ありました。
『黒ヶ丘の上で』の翻訳は、 アイルランド文学や アイルランドの現代詩を数多く訳された栩木伸明先生ですが、 アイルランド文学にも通じるところのある イングランドとの関係、 異なる宗教・宗派の問題、、 富や貧困や差別の問題、、等々。。 美しい自然のありがたさだけでは無い、 二つに裂かれながらも共に生きていかなければならない宿命のようなものを、『黒ヶ丘の上で』にも同様に感じたのでした。。 チャトウィンは はたしてその事を意識して、 舞台をこの境界の村にして、 主人公を「双子」にしたのだろうか、と。
その「双子」たち… 離れていても相手の危険を察知するくらい一心同体の部分もあり、 好みや性格も反対に育って、片方の欠如を片方が補って、 二人でひとつにぴったり合う「片割れ」ずつとして描かれているけれども、 それは「一人」ずつでは不完全なことも意味している。 本当は、 たった独りで別々に生きていきたいのかも… だけど、 自分を埋めてくれる存在は「二人でひとつ」の兄弟しかいないこともわかっている…
、、 読んでいて、もしかしたらこれは チャトウィン自身の「心の物語」なのかな… とちらっと頭を掠めた。。 双子の母メアリーはすでに世界を知っていて 知識も才覚も豊富。 一方でこの村には 「何も持たず何も求めず」自然と共にまるで原始の人間のように生きて逞しい生を終えていく人間もいる、、 そのような憧れもきっとチャトウィンのもの。 だけどどうしようもなく自分を補って一緒にいてくれる「片割れ」を求める淋しさ・孤独も、 それって、もしかしたら旅に生きていたチャトウィン自身の、 心の告白だったのかも…
***
、、などと思いつつ 読み終えた後で、 みすず書房のこちらの「トピックス」の記事を読んでちょっと驚いた事が…⤵
https://www.msz.co.jp/topics/07863/
チャトウィンの死因は何か感染症だという事しか知らなかったので、あらためて経歴を調べてみたら、、 ロバート・メープルソープとも繋がりのあった人だと。。 そのことは全く知らなかったし、 チャトウィンは英国人、 メープルソープは70~80年代のNYでの時代の寵児、、 どこで繋がりがあったのだろう…と思ったら、 メープルソープを一躍有名写真家にした写真集『LADY LISA LYON』のイントロダクションを チャトウィンが書いているのだそうです。
奇しくも二人は同じ年、1989年に亡くなっています。 その死因とかに関心を持っているのではありません、、 メープルソープが私にとって40年前から大切なフォトグラファーだったから、 彼とチャトウィンが繋がった事に 率直に驚きをおぼえているだけです。
メープルソープのフォトはかなりの作品を目にしているはずだけど、 ブルース・チャトウィンを撮影したものって記憶が無い。。 そう思って検索したら、 メープルソープによるチャトウィンの肖像が、 スコットランド・ナショナル・ギャラリーにありました⤵
https://www.nationalgalleries.org/art-and-artists/90864/bruce-chatwin
NYタイムスのこちらの記事にも チャトウィンの詳しい記事と、メープルソープによるフォトが載っています⤵
https://www.nytimes.com/2017/09/07/t-magazine/bruce-chatwin.html
パティ・スミスらと交流があった時代からメープルソープに関する雑誌や、 彼の死後に出された本などもいくつか見た記憶があるけど、 チャトウィンの事も、 こういう肖像写真の事も知らなかったな。。 メープルソープにしては構図もコントラストも、じつに自然体な、あまりアーティスティックではない肖像写真ですよね、、 作品としてでなく友達だからなのかな。。 それもまたちょっとした驚きでした。
、、 話が 『黒ケ丘』からだいぶ逸れてしまいましたが、、 チャトウィンも、 メープルソープも、 その後ずっと元気でいたら、、 どんな作品を生んでいったでしょう。。。 おそらく二人とも、 がらりとスタイルを変えた、 古典にも通じるような重厚さを持った傑作を生みだしていったような気がします。。
『黒ヶ丘の上で』はそんな予感も感じさせる深みある長編作品でした。 閉ざされた農村という小さな共同体の物語でありながら、 描かれているのは確実に「世界」だった。。 20世紀の激動の世界。。
これを読んでから、 いつかまた『パタゴニア』などの紀行文学に戻って読み返したら、 あらたな発見がまた出来そうな気がする。。 それはまたいつか…
あ、、 そのまえに最後の作品 『ソングライン』も読んでみたいな。。
カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』の後くらいがいいかな… なんとなく、、。 この世界で失われつつあるもの、 守ろうとするもの、、 そういう物語?
なんだか、そんな気がしている。