6月になりました。。 きょうは暑かったですね。
前々回、 「5月はミステリの月①」ということで、 アン・クリーヴスさんの作品を紹介し(>>) そのほかに5月中に読んだミステリ小説のことも書いておきたいのですけど、、 結構いろいろな予定が…
(明日もお友だちとお出かけするし…)
、、 というわけで五月雨のミステリ読書記は 梅雨入り後に書けたら…(笑) ということで、、 今日はその番外編、、 ミステリ作家さんの児童文学。
良かったんです、、これが。。
***
『少年のはるかな海』 ヘニング・マンケル著 偕成社 1996年
ヘニング・マンケルさんは ↑右の『殺人者の顔』の刑事ヴァランダー シリーズのミステリ作家。
先に、 『殺人者の顔』を以前、読もうとしたのですが、、 冒頭の殺害発見のシーンが凄惨で、、 (猟奇ものとかダメなんです…) 、、で、 読むのやめようかなぁと思いつつ、、 ミステリ好きの友に (これ残酷?)と尋ねたら、、 その後はそうでもなくて事件を追う《おっさん刑事》がいい味を出してる、と。。 女房には逃げられ、 見た目も冴えず、 生活ダメダメだし、、 老親の介護も抱え、、 それが《おっさん刑事ヴァランダー》との出会いでした。。
、、で ヴァランダーシリーズについては またにしますが…
そのヘニング・マンケルさんの著書を検索していたら児童小説があって、、 なんだか読んでみたくなったのです。。
***
11歳のヨエルはお父さんと二人暮らし。。 ヨエルはお母さんを憶えていない、、
お父さんは以前は船乗りだったけれど、 今は海の全然見えない町に住み、森で木を切る生活をしている。。 ヨエルは学校から帰るとすぐに 薪のオーブンに火をつけて 父さんが帰るまでにじゃがいもをゆでておく。 パンやじゃがいもや父さんが飲むコーヒー粉を買いに行くのもヨエルの仕事、、 母さんがいないから、、
「こんな日は気をつけなければいけない。ドアをバタンとしめないこと。 どうでもいいことを質問しないこと。 ただ、だまってテーブルに皿をならべ、じゃがいもをよそい、父さんが焼いた肉を静かに食べること。 そして、すぐに自分のへやへ消えること。
ヨエルには、父さんのふきげんの理由がつかめないし、どうすることもできない。
でも、心の中で思っている。 うちに母さんがいて、そばに海があれば、父さんはきっとふきげんにはならないと。父さんがすてた海と、父さんをすてた母さん……」
―― ここ読んで 泣いちゃいました、、、 父さんも辛いのかもしれないけれど、、 子供にこんな風に気を遣わせてしまうのは切ない、、 余りにも切ない。。 でも子供って本当に敏感に、 大人の様子をうかがって、 子供なりの神経を擦り減らして 親に気を遣っているものなんです。。 それがすごく実感できるから その心の繊細さに泣けてきてしまう… (それと同時に、、 ヴァランダー刑事のダメダメさが、、 同じ人が書いているという事が なんだかわかる気がした…)
大人だって ダメなときがあるんだ。。
父さんは、 母さんのことや 海をすてた理由を、 ヨエルには話してくれない。。 もう少しおおきくなってから、、 と。 だからヨエルは理由もわからずに我慢しなければならない。
、、 そんな或る晩、 窓の外を見ていると 灰色の犬がヨエルを見て、、 それから走っていった、、 ヨエルはあの犬を見つけなくちゃ、と思う。。 その晩から、 父さんが寝静まった深夜 ヨエルは家を抜け出して町を彷徨う。。
***
夜の時間を知り始める11歳の少年。。 父さんには言えない秘密の時間がだんだんに増えていく、、 淋しさと苛立ちと 何も教えてくれない父さんへの不信と、、
この小説、、 児童文学ではあるのですが、、 これを日本の同じ11歳の子が読んでだいじょうぶなのかな… 小学校の図書館とかに置けるのかな… と、 ちょっと思ってしまった理由は、、 父さんの「大人の事情」についても結構あからさまに書かれているからなのです。。 ヨエルが寝ている事を見計らって父さんも夜でかけていく、、 女の人の所へ…。 寝たふりをしているヨエルだから、 そのことも知ってしまう。 父さんの行った後をつける…
、、 この作品が スウェーデンのニルス・ホルゲション賞、ドイツ児童文学賞受賞 とのことなので、 あちらではそんな「大人側の事情」も子供向けの作品で描かれるのですね。 両親が離婚したり、 新しいパートナーがいたり、、 様々な家庭、家族のあり方が当たり前の現実になっている国々。。
***
傷ついたり、 葛藤したり、 怒りをおぼえたりする少年の心。。 でも、 この作品の救いは その傷ついた心をちゃんと受け止めてくれる べつの大人たちに出会える事なんですね。。 その人たち自身も 心に傷を負ったことのある、 他者から余計者と見なされたことのある大人、、 でも ヨエルとちゃんと向き合って 大事なこと 話してくれる。
、、 そして お父さんも、、
結局は ヨエルとちゃんと向き合って、 自分の弱さも、 心の中のことも、 話してくれる。。
(日本流の子供との絆を深める という親密さを重視する向き合い方というよりも、 親子の絆の上に立ち、 親も一人の個人だし、 ヨエルも大人になりつつある個人、というそんな向き合い方、、)
・・・ 余談ながら、、
あとがきを読んでいたら、 著者のヘニング・マンケルさんは子供時代 父子家庭だったそう。。 だからヨエルの淋しい心の様子がこんなによくわかってあげられるのかな、、。 だから刑事ヴァランダーのダメダメなところも書けるのかな、、と。 大人も淋しいんだし、、 子供はもっと傷つきやすい、、 他者から排除されたアウトサイダーの苦しさも、尊厳も、、 愛するものを失ってなお生き続けていかなければならない悲しさも、、
そういうものがわかっているから、 (解って欲しいから) ミステリを書くのかな、、とも。。
***
ところで、、
ヨエル少年が 最初に探そうと思った 「星に向かって走っていった犬」、、
なぜ ヨエルはその犬を探し出そうとしたのかな… その犬ってほんとうは何をしていたのかな… ほんとうにいたのかな… それとも、 何かの象徴だったのかな…
もしも、 子供と(子供でなくても) この本を読んだ誰かと話をするとしたら、、 その犬の意味を考えてみたいな、、。
きっとこの『少年のはるかな海』は、 ヘニング・マンケルさんがどうしても書きたかった、 児童文学という形でしか言えなかった 自分にとって大切な告白、、 そんなふうに読めました。。
前々回、 「5月はミステリの月①」ということで、 アン・クリーヴスさんの作品を紹介し(>>) そのほかに5月中に読んだミステリ小説のことも書いておきたいのですけど、、 結構いろいろな予定が…
(明日もお友だちとお出かけするし…)
、、 というわけで五月雨のミステリ読書記は 梅雨入り後に書けたら…(笑) ということで、、 今日はその番外編、、 ミステリ作家さんの児童文学。
良かったんです、、これが。。
***
『少年のはるかな海』 ヘニング・マンケル著 偕成社 1996年
ヘニング・マンケルさんは ↑右の『殺人者の顔』の刑事ヴァランダー シリーズのミステリ作家。
先に、 『殺人者の顔』を以前、読もうとしたのですが、、 冒頭の殺害発見のシーンが凄惨で、、 (猟奇ものとかダメなんです…) 、、で、 読むのやめようかなぁと思いつつ、、 ミステリ好きの友に (これ残酷?)と尋ねたら、、 その後はそうでもなくて事件を追う《おっさん刑事》がいい味を出してる、と。。 女房には逃げられ、 見た目も冴えず、 生活ダメダメだし、、 老親の介護も抱え、、 それが《おっさん刑事ヴァランダー》との出会いでした。。
、、で ヴァランダーシリーズについては またにしますが…
そのヘニング・マンケルさんの著書を検索していたら児童小説があって、、 なんだか読んでみたくなったのです。。
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11歳のヨエルはお父さんと二人暮らし。。 ヨエルはお母さんを憶えていない、、
お父さんは以前は船乗りだったけれど、 今は海の全然見えない町に住み、森で木を切る生活をしている。。 ヨエルは学校から帰るとすぐに 薪のオーブンに火をつけて 父さんが帰るまでにじゃがいもをゆでておく。 パンやじゃがいもや父さんが飲むコーヒー粉を買いに行くのもヨエルの仕事、、 母さんがいないから、、
「こんな日は気をつけなければいけない。ドアをバタンとしめないこと。 どうでもいいことを質問しないこと。 ただ、だまってテーブルに皿をならべ、じゃがいもをよそい、父さんが焼いた肉を静かに食べること。 そして、すぐに自分のへやへ消えること。
ヨエルには、父さんのふきげんの理由がつかめないし、どうすることもできない。
でも、心の中で思っている。 うちに母さんがいて、そばに海があれば、父さんはきっとふきげんにはならないと。父さんがすてた海と、父さんをすてた母さん……」
―― ここ読んで 泣いちゃいました、、、 父さんも辛いのかもしれないけれど、、 子供にこんな風に気を遣わせてしまうのは切ない、、 余りにも切ない。。 でも子供って本当に敏感に、 大人の様子をうかがって、 子供なりの神経を擦り減らして 親に気を遣っているものなんです。。 それがすごく実感できるから その心の繊細さに泣けてきてしまう… (それと同時に、、 ヴァランダー刑事のダメダメさが、、 同じ人が書いているという事が なんだかわかる気がした…)
大人だって ダメなときがあるんだ。。
父さんは、 母さんのことや 海をすてた理由を、 ヨエルには話してくれない。。 もう少しおおきくなってから、、 と。 だからヨエルは理由もわからずに我慢しなければならない。
、、 そんな或る晩、 窓の外を見ていると 灰色の犬がヨエルを見て、、 それから走っていった、、 ヨエルはあの犬を見つけなくちゃ、と思う。。 その晩から、 父さんが寝静まった深夜 ヨエルは家を抜け出して町を彷徨う。。
***
夜の時間を知り始める11歳の少年。。 父さんには言えない秘密の時間がだんだんに増えていく、、 淋しさと苛立ちと 何も教えてくれない父さんへの不信と、、
この小説、、 児童文学ではあるのですが、、 これを日本の同じ11歳の子が読んでだいじょうぶなのかな… 小学校の図書館とかに置けるのかな… と、 ちょっと思ってしまった理由は、、 父さんの「大人の事情」についても結構あからさまに書かれているからなのです。。 ヨエルが寝ている事を見計らって父さんも夜でかけていく、、 女の人の所へ…。 寝たふりをしているヨエルだから、 そのことも知ってしまう。 父さんの行った後をつける…
、、 この作品が スウェーデンのニルス・ホルゲション賞、ドイツ児童文学賞受賞 とのことなので、 あちらではそんな「大人側の事情」も子供向けの作品で描かれるのですね。 両親が離婚したり、 新しいパートナーがいたり、、 様々な家庭、家族のあり方が当たり前の現実になっている国々。。
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傷ついたり、 葛藤したり、 怒りをおぼえたりする少年の心。。 でも、 この作品の救いは その傷ついた心をちゃんと受け止めてくれる べつの大人たちに出会える事なんですね。。 その人たち自身も 心に傷を負ったことのある、 他者から余計者と見なされたことのある大人、、 でも ヨエルとちゃんと向き合って 大事なこと 話してくれる。
、、 そして お父さんも、、
結局は ヨエルとちゃんと向き合って、 自分の弱さも、 心の中のことも、 話してくれる。。
(日本流の子供との絆を深める という親密さを重視する向き合い方というよりも、 親子の絆の上に立ち、 親も一人の個人だし、 ヨエルも大人になりつつある個人、というそんな向き合い方、、)
・・・ 余談ながら、、
あとがきを読んでいたら、 著者のヘニング・マンケルさんは子供時代 父子家庭だったそう。。 だからヨエルの淋しい心の様子がこんなによくわかってあげられるのかな、、。 だから刑事ヴァランダーのダメダメなところも書けるのかな、、と。 大人も淋しいんだし、、 子供はもっと傷つきやすい、、 他者から排除されたアウトサイダーの苦しさも、尊厳も、、 愛するものを失ってなお生き続けていかなければならない悲しさも、、
そういうものがわかっているから、 (解って欲しいから) ミステリを書くのかな、、とも。。
***
ところで、、
ヨエル少年が 最初に探そうと思った 「星に向かって走っていった犬」、、
なぜ ヨエルはその犬を探し出そうとしたのかな… その犬ってほんとうは何をしていたのかな… ほんとうにいたのかな… それとも、 何かの象徴だったのかな…
もしも、 子供と(子供でなくても) この本を読んだ誰かと話をするとしたら、、 その犬の意味を考えてみたいな、、。
きっとこの『少年のはるかな海』は、 ヘニング・マンケルさんがどうしても書きたかった、 児童文学という形でしか言えなかった 自分にとって大切な告白、、 そんなふうに読めました。。