日曜日、、 六本木のミッドタウンへ行く用事があったので、 ちょうど今 FUJIFILM SQUARE で開催されている 「昭和が生んだ写真・怪物 時代を語る林忠彦の仕事」写真展を見ました。
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、、私は文学部大学だったにもかかわらず 文壇の人物関係など全く疎いのですが、 この太宰治先生のフォトは有名ですね。 銀座の文壇バー「ルパン」でくつろぐ姿。 チラシでは分かりにくいですが、 瞳がきらきらしてて本当に楽し気に見えます。 太宰は《文壇》を愛した人だったのでしょうね。。
この写真は縦長にトリミングされていて、 元はこの右側の人物と語らっていたのですね、 そのオリジナル写真がありました。 その作家さんの姿も…
他に、 終戦後の昭和21年~25年くらいの東京を写した写真が何点もあって、 とても有名な写真ばかりですから 見覚えのあるものも沢山…
前に書いた、 椿實作品の中の 終戦直後の都会…、 椿も、 中井英夫も、 三島も、 安部公房も、 吉行淳之介も、、 皆ほとんど同年代で、、 終戦時にはたちそこそこ… という若き日をこの街で送っていたのだな、、 とあらためてそんな眼で写真を見ていました。
「戦争の記録というものが、そうした指導者たちの回顧やざんげ、もしくは反対に虐げられた兵士や難民の抵抗といった図式ばかりで積みあげられてゆくのも奇妙な話で、大部分の市民たちは、それらの戦史にもかかわりのない地点でただ濁流に押し流され、あらがっていた筈である。戦史には記されない戦争、いわばもうひとつの、まったく別な戦争を生きた人々がほとんどではないのか」
「…たとえば昭和十九年の八月には、銀座を桃色のワンピースに下駄ばきという女性が平気で闊歩していたし…」
(いずれも中井英夫「見知らぬ旗」より)
、、という文章を先日読んでいたばかりだったので(前回の日記)、、 林忠彦の写した戦後の街に、 少しそのような 「市民たち」の姿を思いました。 かといって、 その市民たちが「平気」に見えた生命力の逞しさの一方で、、 中井も、 椿も、 生涯「終戦時」の記憶が 筆を執る人生の核(マグマ)みたいなものであり続けたのでしょうから、、 大きな傷痕ではあった筈です。
ボリス・ヴィアンも戦争について語っていました。 1920年生まれのヴィアンは 1940年にはたち、 終戦時に25歳、、 「そのことの意味」についてインタビューで語っていたのを前に読んだ覚えがあります。 だから自分は「笑う(嗤う)」のだと、、 戦争が始まる前に笑っておかなければ、 戦争が起こってからでは笑えませんから… というような。。(今、本を参照してないので間違っていたらすみません)
***
フジフィルムスクエアが ミッドタウン六本木にあるので、 写真展のあと 緑あふれるガーデンの方を歩きました。 桜の花はすっかり若葉に変わりましたが、、 色とりどりに花が植えられた花壇、、 遊歩道のまわりの新緑、 高層ビルと青空と白い雲、、 みんなきらきらしていました。
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ガーデンの中ほどに、 オープンカフェがあって、、 大きな桜色の風船がいっぱいいっぱい浮んでいて 「何だろう…」と思ったら、 リッツカールトンと「モエ・エ・シャンドン」とのコラボレーションカフェだそうで、、 桜をイメージした素敵なスイーツや モエのロゼや 桜色のカクテルや、、
あまりにも綺麗なのでメニューボードに見とれていたら、、 ウェイターさんが丁寧に説明してくださるので つい誘われて、、 陽射しはありましたが少し風が冷たくて、、 歩いていたらちょっと体も冷えたので 「ホット桜カクテル」を頂きました。 シュークリームには中に大粒のチェリーが入っていてとても美味しかったです。 今度の日曜日までなのですって…
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、、 都会の中にも こんな緑の木々がいっぱいのオアシスがたくさんあります。。 それは人工楽園なのかもしれないけれど、、 ビルがひしめく 人々もひしめく都会で 心地良く散歩したり 子供たちが遊んだりできる場所、、 昔より確実に増えて来たと思って…
上野公園も 私が上京した頃には博物館へ行くのも独りでは怖いような場所でしたし、 西新宿もしかり… 、、 でも上野も噴水のまわりで いつも子供連れの家族がお昼を食べている風景に変わって、、
、、 私は東京が好きです。。 故郷の山々の美しさはずっと記憶にあるけれども、 たぶん生涯都会で暮らしていくと思う、、 私のようなひ弱な人間に生きられる場所は ここ都会なんです。。 人工楽園の中で、 半分 人造人間みたいなあっちこっち手を加えられた自分は 生きていけるんです…(笑
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、、 昭和十九年の八月に 桃色のワンピースで銀座を闊歩していた…
たぶん そのひとも都会を愛していたのでしょうね。。 そしてどんなときでも お洒落して今のその季節を生きていたいと…
ずっと ずっと これからも 此処で。。
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、、私は文学部大学だったにもかかわらず 文壇の人物関係など全く疎いのですが、 この太宰治先生のフォトは有名ですね。 銀座の文壇バー「ルパン」でくつろぐ姿。 チラシでは分かりにくいですが、 瞳がきらきらしてて本当に楽し気に見えます。 太宰は《文壇》を愛した人だったのでしょうね。。
この写真は縦長にトリミングされていて、 元はこの右側の人物と語らっていたのですね、 そのオリジナル写真がありました。 その作家さんの姿も…
他に、 終戦後の昭和21年~25年くらいの東京を写した写真が何点もあって、 とても有名な写真ばかりですから 見覚えのあるものも沢山…
前に書いた、 椿實作品の中の 終戦直後の都会…、 椿も、 中井英夫も、 三島も、 安部公房も、 吉行淳之介も、、 皆ほとんど同年代で、、 終戦時にはたちそこそこ… という若き日をこの街で送っていたのだな、、 とあらためてそんな眼で写真を見ていました。
「戦争の記録というものが、そうした指導者たちの回顧やざんげ、もしくは反対に虐げられた兵士や難民の抵抗といった図式ばかりで積みあげられてゆくのも奇妙な話で、大部分の市民たちは、それらの戦史にもかかわりのない地点でただ濁流に押し流され、あらがっていた筈である。戦史には記されない戦争、いわばもうひとつの、まったく別な戦争を生きた人々がほとんどではないのか」
「…たとえば昭和十九年の八月には、銀座を桃色のワンピースに下駄ばきという女性が平気で闊歩していたし…」
(いずれも中井英夫「見知らぬ旗」より)
、、という文章を先日読んでいたばかりだったので(前回の日記)、、 林忠彦の写した戦後の街に、 少しそのような 「市民たち」の姿を思いました。 かといって、 その市民たちが「平気」に見えた生命力の逞しさの一方で、、 中井も、 椿も、 生涯「終戦時」の記憶が 筆を執る人生の核(マグマ)みたいなものであり続けたのでしょうから、、 大きな傷痕ではあった筈です。
ボリス・ヴィアンも戦争について語っていました。 1920年生まれのヴィアンは 1940年にはたち、 終戦時に25歳、、 「そのことの意味」についてインタビューで語っていたのを前に読んだ覚えがあります。 だから自分は「笑う(嗤う)」のだと、、 戦争が始まる前に笑っておかなければ、 戦争が起こってからでは笑えませんから… というような。。(今、本を参照してないので間違っていたらすみません)
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フジフィルムスクエアが ミッドタウン六本木にあるので、 写真展のあと 緑あふれるガーデンの方を歩きました。 桜の花はすっかり若葉に変わりましたが、、 色とりどりに花が植えられた花壇、、 遊歩道のまわりの新緑、 高層ビルと青空と白い雲、、 みんなきらきらしていました。
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ガーデンの中ほどに、 オープンカフェがあって、、 大きな桜色の風船がいっぱいいっぱい浮んでいて 「何だろう…」と思ったら、 リッツカールトンと「モエ・エ・シャンドン」とのコラボレーションカフェだそうで、、 桜をイメージした素敵なスイーツや モエのロゼや 桜色のカクテルや、、
あまりにも綺麗なのでメニューボードに見とれていたら、、 ウェイターさんが丁寧に説明してくださるので つい誘われて、、 陽射しはありましたが少し風が冷たくて、、 歩いていたらちょっと体も冷えたので 「ホット桜カクテル」を頂きました。 シュークリームには中に大粒のチェリーが入っていてとても美味しかったです。 今度の日曜日までなのですって…
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、、 都会の中にも こんな緑の木々がいっぱいのオアシスがたくさんあります。。 それは人工楽園なのかもしれないけれど、、 ビルがひしめく 人々もひしめく都会で 心地良く散歩したり 子供たちが遊んだりできる場所、、 昔より確実に増えて来たと思って…
上野公園も 私が上京した頃には博物館へ行くのも独りでは怖いような場所でしたし、 西新宿もしかり… 、、 でも上野も噴水のまわりで いつも子供連れの家族がお昼を食べている風景に変わって、、
、、 私は東京が好きです。。 故郷の山々の美しさはずっと記憶にあるけれども、 たぶん生涯都会で暮らしていくと思う、、 私のようなひ弱な人間に生きられる場所は ここ都会なんです。。 人工楽園の中で、 半分 人造人間みたいなあっちこっち手を加えられた自分は 生きていけるんです…(笑
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、、 昭和十九年の八月に 桃色のワンピースで銀座を闊歩していた…
たぶん そのひとも都会を愛していたのでしょうね。。 そしてどんなときでも お洒落して今のその季節を生きていたいと…
ずっと ずっと これからも 此処で。。