遅い夏休みがとれたお友だちと東京国立博物館で丸一日すごしました。
***
午前中は 伝説の風狂僧と 横尾さん描く現代の風狂人たちに心を解き放たれ…
東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ― >>
「横尾忠則 寒山百得」展 >>
・・・私、 寒山拾得のふたりについて何で知ったのか全く記憶がなくて、、 ただ いつも一緒のなんだか楽しそうな二人。。 それ以上の知識はまったく無く… 巻物を持っている方が寒山で、 竹箒を持っている方が拾得だというのも 一緒に行った美術好きのお友だちに教えてもらいました。
行く前に、 もしかして漱石先生も寒山拾得のこと何か書いていたかしら… と検索したら、 漱石について書いた芥川龍之介の小品が出てきて、、 それは、 漱石の「夢十夜」をモチーフに 龍之介が漱石先生への想いや懐かしさを綴ったエッセイのような夢日記のような、 とても良い文章でした。
青空文庫 芥川龍之介「寒山拾得」>>
この芥川の文章がいつ書かれたものかよくわからないのだが、 一読して漱石死後のことだろうというのは想像できます(運慶が仁王を刻んでいるのを見て来た話を漱石が龍之介にするはずがないから)。 もうこの世にいない先生と話をして、 その帰り道にもうこの世にいないはずの寒山拾得を飯田橋で見かける。 嬉しくなった龍之介は 革命の悲惨を描いたロシア文学をわすれて寒山拾得の話を(この世にいない)漱石としたくなる…
「この忙しい世の中」での龍之介の心の疲弊や、 亡き人への思慕がせつなくなるように感じられる おそらく龍之介の晩年の作品だと思います…
さて、 横尾忠則さんの描く現代の「寒山拾得」は、 じつに楽しかったです。
ふたりの必須アイテムの巻物と竹箒が、 横尾さんの絵では トイレットペーパーとクイックルワイパーになっていたり(笑)、、 描いている時期にオリンピックがあったからか 寒山拾得が競技に参加していたり…
私のお気に入りは、 拾得が寒山の肩(?)の上にのぼって竹箒を寒山の顔にかぶせているやつ。。 竹ぼうきの中から寒山の眼だけ見えてるの。。 もうほとんど中学生男子のイタズラと一緒… 笑。 じつは寒山拾得の(画家や作家たちが憧れる)本質は、 中学生男子レベルの仲良しわちゃわちゃにこそあるのだと思います。 構いたいし 構われたい…
だから生きるのに疲れた龍之介は漱石先生にかまわれたいんだし、 その漱石先生も子規や、 寺田寅彦とわちゃわちゃするのが好きだった。 龍之介と内田百閒のコンビもまるで寒山拾得だし、、 横山大観が菱田春草といっしょに描いた「寒山拾得」も 一緒にインドやアメリカを旅して(けっこうな滅茶苦茶もやった)二人そのものを表しているよう。。
そういう 一緒にわちゃわちゃも滅茶苦茶も共に出来る間柄に 男のひとは年をとってもいつまでも憧れるんだろうなぁ… (性差で括るのは昨今批判も多いけれど わちゃわちゃ滅茶苦茶への憧れは男のコ的としか言いようが無い…)
横尾さんの描く自由な現代の「寒山拾得」を見ていたら、 前回の日記にも書いた最近の世間や自分の近視眼的なこだわりがふ~~っと抜けて、 ほんとうに心が解き放たれました。。 本家の「寒山拾得図」もふくめて とてもお薦めです。
***
午後は 法隆寺宝物館で(とっても見たかった)飛鳥・奈良時代の観音菩薩像や伎楽面を拝見して 古代の都人に想いを馳せました…
法隆寺宝物館 >>
今回、 お友だちとどこの美術展に行くか事前に決めてなかったのですが、 私が数日前に白洲正子さんの『かくれ里』という本を読んでいて、 そこに京都・奈良・滋賀のかくれ里にある古寺やお仏像のことが書かれていて、 こんな鄙びたお寺にひっそりとあるお仏像など観てみたいなぁ… と思って、、 それでふいに国立博物館にもたくさんのお仏像があることを思い出したのでした。 しかも法隆寺宝物館で展示されているのはいちばん好きな飛鳥・奈良の時代のもの。。
e国宝のサイト 法隆寺献納宝物 画像と解説 >>
法隆寺宝物館ははじめて入りました。 建物はじつに現代的な無機質な外観で、 ここが法隆寺の宝物館でいいのかしら… と一瞬迷ったほど。。 展示室のなかは 仏像保護のためたいへんに照明が暗くて、 そこに何十体もの小さな観音像や如来像がひとつひとつガラス箱におさめられて整然とひっそりと立ち並んでいました。 その様子は… なんだか喩えが悪くて申し訳ないのですけど、 宇宙をさまようスペースシップの中で眠るエイリアンの卵、みたいな…
喩えがわるくて本当スミマセン。。 でも、 それぞれが30センチほどのフィギュアのような飛鳥仏さまたちも、 1400年の時を超えて このような暗く無機質な建物のガラスの中に陳列されようとは… 本当にタイムカプセルのなかで眠る宇宙人のようなお心持ではないかしら…と。。
でも、 それそれのお仏像にちかづいてみると、 それは美しい、 しなやかさとやさしさと、 大陸渡来のエキゾチックさも残したひとつひとつ個性あるお仏像なのでした。 こんなにたくさんのお仏像がそれぞれの個人から法隆寺に献納されたということは、 このようなお仏像を専門でつくるなりわいというか商いがすでに盛んであったということでしょう。 本当に現代のフィギュアやアクスタのような大きさで、 ひとびとは祈りやお守りの為に 自分だけのお仏像が出来上がるのを楽しみに待ったことでしょう。
会場ではわからなかったのですが、 帰ってからe国宝のサイトで見ると、 それぞれのお仏像の台座に 誰それが亡くなった夫人のために造立した… とか刻まれていることがわかりました。 この美しいアーモンド形の瞼や柔らかな頬は亡き夫人に似せているのだろうか… そう思ったら 大伽藍のなかにある立派なお仏像にもおとらない、 1400年前のどなたかの祈りが感じられるのでした。
e国宝のサイト 銅造如来半跏像(法隆寺献納)東京国立博物館 N-156 画像と解説 >>
法隆寺宝物館でのもうひとつの目的は、 金・土にのみ公開の「伎楽面」を見ること。 さきほど書いた白洲正子さんの『かくれ里』に、 ちょうど伎楽面のことが書かれていたのでした。 これはもう見に行きなさいというお告げであろうと…。
伎楽はおそらくギリシャから西域を経て、中国に渡り、朝鮮経由で、七世紀の頃、日本に将来された芸能だが、外国では滅びてしまったその伝統が、日本の片田舎にこうして生き残っていることに私は、不思議な宿命を感じた。そういう意味では、日本の国そのものが、世界のかくれ里的存在といえるのではないだろうか。
(白洲正子『かくれ里』講談社文芸文庫 より)
e国宝のサイト 伎楽面(ぎがくめん) 画像と解説 >>
文化財活用センターブログ 「よみがえった飛鳥の伎楽面!!―前編―」>>
法隆寺、といえば まさにこの数日前、 法隆寺の駐車場の植え込みがじつは古墳だった、というニュースがあったばかり。。 どうやら6世紀後半の古墳が見つかったようですが、 そのこともすごいことだけれども、 法隆寺のこの木製の伎楽面や、 色鮮やかな絹織物の残り布など、 こんなにも沢山たいせつに大切に保管され 時を超えて受け継がれてきたこともとてもすごいことだと感じます。 7日の日記に書きましたが「日本の文化は不幸を受け入れることで成り立ってきた」というような外国のかたの感想、、 よそから見れば不幸としかみえない大災害に何度も襲われながらも、 だけど法隆寺の献納宝物のようなこまごました物がこうして今まで受け継がれてきたという奇跡。 この奇跡的な「かくれ里」のたからものをこれからもたいせつにしなきゃ… としみじみ思うのでした。
そして この飛鳥・奈良の時代のみやこにはたくさんの歌や舞や楽の音があふれていて、 ひとびとは色鮮やかな衣を着て通りを行き交い 生き生きと暮らしていたのだな、、と 宇宙のはてのスペースシップのような博物館のなかから 遠い地球に想いを馳せるような (私の好きな高橋虫麻呂さんが詠じた浦島子のような) そんな気持ちになったのでした。
トーハクでは 来春「本阿弥光悦の大宇宙」展なども開催とのこと。。 光悦もずっと以前から気になっている異能の人です。 また行きたいです 東博。
ああ 楽しかった。
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午前中は 伝説の風狂僧と 横尾さん描く現代の風狂人たちに心を解き放たれ…
東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ― >>
「横尾忠則 寒山百得」展 >>
・・・私、 寒山拾得のふたりについて何で知ったのか全く記憶がなくて、、 ただ いつも一緒のなんだか楽しそうな二人。。 それ以上の知識はまったく無く… 巻物を持っている方が寒山で、 竹箒を持っている方が拾得だというのも 一緒に行った美術好きのお友だちに教えてもらいました。
行く前に、 もしかして漱石先生も寒山拾得のこと何か書いていたかしら… と検索したら、 漱石について書いた芥川龍之介の小品が出てきて、、 それは、 漱石の「夢十夜」をモチーフに 龍之介が漱石先生への想いや懐かしさを綴ったエッセイのような夢日記のような、 とても良い文章でした。
青空文庫 芥川龍之介「寒山拾得」>>
この芥川の文章がいつ書かれたものかよくわからないのだが、 一読して漱石死後のことだろうというのは想像できます(運慶が仁王を刻んでいるのを見て来た話を漱石が龍之介にするはずがないから)。 もうこの世にいない先生と話をして、 その帰り道にもうこの世にいないはずの寒山拾得を飯田橋で見かける。 嬉しくなった龍之介は 革命の悲惨を描いたロシア文学をわすれて寒山拾得の話を(この世にいない)漱石としたくなる…
「この忙しい世の中」での龍之介の心の疲弊や、 亡き人への思慕がせつなくなるように感じられる おそらく龍之介の晩年の作品だと思います…
さて、 横尾忠則さんの描く現代の「寒山拾得」は、 じつに楽しかったです。
ふたりの必須アイテムの巻物と竹箒が、 横尾さんの絵では トイレットペーパーとクイックルワイパーになっていたり(笑)、、 描いている時期にオリンピックがあったからか 寒山拾得が競技に参加していたり…
私のお気に入りは、 拾得が寒山の肩(?)の上にのぼって竹箒を寒山の顔にかぶせているやつ。。 竹ぼうきの中から寒山の眼だけ見えてるの。。 もうほとんど中学生男子のイタズラと一緒… 笑。 じつは寒山拾得の(画家や作家たちが憧れる)本質は、 中学生男子レベルの仲良しわちゃわちゃにこそあるのだと思います。 構いたいし 構われたい…
だから生きるのに疲れた龍之介は漱石先生にかまわれたいんだし、 その漱石先生も子規や、 寺田寅彦とわちゃわちゃするのが好きだった。 龍之介と内田百閒のコンビもまるで寒山拾得だし、、 横山大観が菱田春草といっしょに描いた「寒山拾得」も 一緒にインドやアメリカを旅して(けっこうな滅茶苦茶もやった)二人そのものを表しているよう。。
そういう 一緒にわちゃわちゃも滅茶苦茶も共に出来る間柄に 男のひとは年をとってもいつまでも憧れるんだろうなぁ… (性差で括るのは昨今批判も多いけれど わちゃわちゃ滅茶苦茶への憧れは男のコ的としか言いようが無い…)
横尾さんの描く自由な現代の「寒山拾得」を見ていたら、 前回の日記にも書いた最近の世間や自分の近視眼的なこだわりがふ~~っと抜けて、 ほんとうに心が解き放たれました。。 本家の「寒山拾得図」もふくめて とてもお薦めです。
***
午後は 法隆寺宝物館で(とっても見たかった)飛鳥・奈良時代の観音菩薩像や伎楽面を拝見して 古代の都人に想いを馳せました…
法隆寺宝物館 >>
今回、 お友だちとどこの美術展に行くか事前に決めてなかったのですが、 私が数日前に白洲正子さんの『かくれ里』という本を読んでいて、 そこに京都・奈良・滋賀のかくれ里にある古寺やお仏像のことが書かれていて、 こんな鄙びたお寺にひっそりとあるお仏像など観てみたいなぁ… と思って、、 それでふいに国立博物館にもたくさんのお仏像があることを思い出したのでした。 しかも法隆寺宝物館で展示されているのはいちばん好きな飛鳥・奈良の時代のもの。。
e国宝のサイト 法隆寺献納宝物 画像と解説 >>
法隆寺宝物館ははじめて入りました。 建物はじつに現代的な無機質な外観で、 ここが法隆寺の宝物館でいいのかしら… と一瞬迷ったほど。。 展示室のなかは 仏像保護のためたいへんに照明が暗くて、 そこに何十体もの小さな観音像や如来像がひとつひとつガラス箱におさめられて整然とひっそりと立ち並んでいました。 その様子は… なんだか喩えが悪くて申し訳ないのですけど、 宇宙をさまようスペースシップの中で眠るエイリアンの卵、みたいな…
喩えがわるくて本当スミマセン。。 でも、 それぞれが30センチほどのフィギュアのような飛鳥仏さまたちも、 1400年の時を超えて このような暗く無機質な建物のガラスの中に陳列されようとは… 本当にタイムカプセルのなかで眠る宇宙人のようなお心持ではないかしら…と。。
でも、 それそれのお仏像にちかづいてみると、 それは美しい、 しなやかさとやさしさと、 大陸渡来のエキゾチックさも残したひとつひとつ個性あるお仏像なのでした。 こんなにたくさんのお仏像がそれぞれの個人から法隆寺に献納されたということは、 このようなお仏像を専門でつくるなりわいというか商いがすでに盛んであったということでしょう。 本当に現代のフィギュアやアクスタのような大きさで、 ひとびとは祈りやお守りの為に 自分だけのお仏像が出来上がるのを楽しみに待ったことでしょう。
会場ではわからなかったのですが、 帰ってからe国宝のサイトで見ると、 それぞれのお仏像の台座に 誰それが亡くなった夫人のために造立した… とか刻まれていることがわかりました。 この美しいアーモンド形の瞼や柔らかな頬は亡き夫人に似せているのだろうか… そう思ったら 大伽藍のなかにある立派なお仏像にもおとらない、 1400年前のどなたかの祈りが感じられるのでした。
e国宝のサイト 銅造如来半跏像(法隆寺献納)東京国立博物館 N-156 画像と解説 >>
法隆寺宝物館でのもうひとつの目的は、 金・土にのみ公開の「伎楽面」を見ること。 さきほど書いた白洲正子さんの『かくれ里』に、 ちょうど伎楽面のことが書かれていたのでした。 これはもう見に行きなさいというお告げであろうと…。
伎楽はおそらくギリシャから西域を経て、中国に渡り、朝鮮経由で、七世紀の頃、日本に将来された芸能だが、外国では滅びてしまったその伝統が、日本の片田舎にこうして生き残っていることに私は、不思議な宿命を感じた。そういう意味では、日本の国そのものが、世界のかくれ里的存在といえるのではないだろうか。
(白洲正子『かくれ里』講談社文芸文庫 より)
e国宝のサイト 伎楽面(ぎがくめん) 画像と解説 >>
文化財活用センターブログ 「よみがえった飛鳥の伎楽面!!―前編―」>>
法隆寺、といえば まさにこの数日前、 法隆寺の駐車場の植え込みがじつは古墳だった、というニュースがあったばかり。。 どうやら6世紀後半の古墳が見つかったようですが、 そのこともすごいことだけれども、 法隆寺のこの木製の伎楽面や、 色鮮やかな絹織物の残り布など、 こんなにも沢山たいせつに大切に保管され 時を超えて受け継がれてきたこともとてもすごいことだと感じます。 7日の日記に書きましたが「日本の文化は不幸を受け入れることで成り立ってきた」というような外国のかたの感想、、 よそから見れば不幸としかみえない大災害に何度も襲われながらも、 だけど法隆寺の献納宝物のようなこまごました物がこうして今まで受け継がれてきたという奇跡。 この奇跡的な「かくれ里」のたからものをこれからもたいせつにしなきゃ… としみじみ思うのでした。
そして この飛鳥・奈良の時代のみやこにはたくさんの歌や舞や楽の音があふれていて、 ひとびとは色鮮やかな衣を着て通りを行き交い 生き生きと暮らしていたのだな、、と 宇宙のはてのスペースシップのような博物館のなかから 遠い地球に想いを馳せるような (私の好きな高橋虫麻呂さんが詠じた浦島子のような) そんな気持ちになったのでした。
トーハクでは 来春「本阿弥光悦の大宇宙」展なども開催とのこと。。 光悦もずっと以前から気になっている異能の人です。 また行きたいです 東博。
ああ 楽しかった。