このブログに読書記を書きはじめて20年ほどになります。
私の場合、 本との出会いは 誰かの紹介とか評判になっている本とかそういうのではなくて、 日頃の関心事のなかで検索したり、 読書を通じて新たな作家や書名を知ったりして、 そうやって次に読む本を選んできたものです。
心をとらえた作品については此処に書きのこしたりしてきましたが、 その中には、 絶版により入手困難だった本や古書を取り寄せて読んだ本もいくつかありました。 それらの本がのちになって、 新しく翻訳出版されたり、 あらためて復刊したり、、 そうやって読めるようになったことを知ると なんだか埋もれていた宝が知れ渡ったようで 嬉しくなったものでした。
たとえば、、
『椿實全作品』(読書記>>)は、 幻戯書房から2019年に 『メーゾン・ベルビウ地帯: 椿實初期作品』として復刊されましたし、
ノルウェーの作家シランパアの『若く逝きしもの』(>>)は、 フランス・エーミル・シッランパー 著 『若く逝きしもの』として2022年に 静風社から出版されました。
イエンス・ペーター・ヤコブセンの『ニイルス・リーネ』については何度か書きました。山室静さん訳の『死と愛』を読みおえたことまでは書きましたが(>>) その後、2021年にルリユール叢書『ニルス・リューネ』イェンス・ピータ・ヤコブセン著 奥山裕介・訳が幻戯書房から出版となりました。
漱石先生を通じて知った レオニード・アンドレーエフのことも何度か書きましたね。『悪魔の日記』(>>)は今も絶版のままだと思いますが、 2021年に未知谷から『イスカリオテのユダ L・N・アンドレーエフ作品集』岡田和也・訳 が出版され、 表題作のほかに「天使」「沈黙」「深淵」「歯痛」「ラザロ」が収録されています。
***
今年の読書の収穫を振り返ると、 シドニー=ガブリエル・コレットや、 イーディス・ウォートン、 エルザ・トリオレといった20世紀前半の女性作家の作品に出会ったことでした。 3人とも戦間期のパリに住んでいたという共通点で知っていったわけですけれども、 コレットは生粋のフランス人、 ウォートンはアメリカ生まれ、 トリオレはロシア生まれ、 とそれぞれの小説も全く雰囲気が違っていました。
とりわけイーディス・ウォートンの作品は、 女流作家とか女性作家という括りにとらわれない、 19世紀から20世紀にかけてのアメリカの社会や文化を 物語のなかに緻密に記録しているという力量を感じて、 特に、建造物の様式や美術品や調度品に関する知識、 ファッションの趨勢などにとても詳しいことにも驚きました。
イーディス・ウォートンは幼い時から両親とともにヨーロッバ各地をなんども旅行して暮らしたそうですけれども、 そうやって見聞を広めて文化芸術の知識を得て、 外側の世界から故郷のニューヨークそしてアメリカ社会を見るという独自の視野が備わったのでしょう、 彼女の作品にはつねに 「格差」とか「差異」といったものがテーマにあるように思います。
NYの上流社会を描いた『無垢の時代』では 過去と現在、NYの内側しか知らない者とヨーロッバ帰りの人との隔絶を描き、、 ニューイングランド辺境の村を舞台にした『夏』や『イーサン・フローム』(>>)では、 貧富の差や村の外の世界との格差、 そして主人公たちがその「格差」をなんとか乗り越えようともがき、 新しい世界を夢見、 打ち崩される…
その憧れや抗いの気持ちが 読んでいてとても胸にせまるのでした。
***
ほかにもイーディス・ウォートンの作品を読んでみたくて、 この本を取り寄せました⤵
『偽れる黎明・チャンピオン』イーディス・ウォートン, リング・ラードナー 著 皆河宗一, 大貫三郎, 菅沼舜治 訳 1981年 南雲堂
この本にはイーディス・ウォートンの3つの作品が載っています。 「偽れる黎明」(原題 False Dawn) 、「隠者と野性の女」( The Hermit and The Wild Woman) 、「芸術を売った絵」(The Pot-Boiler)
特に「偽れる黎明」は ウォートンの美術への知識が下敷きになっている作品でした。 絶版なので簡単にあらすじを書いてしまいますが、 NYのある上流階級の子息が2年間のヨーロッパへの見聞旅行に出ることになり、 父親は自分の美術館をもつという夢のために、古典絵画の名画を購入してくるように息子に言い渡す。 息子は周遊の途上でひとりの英国人と知り合い、 その人物をつうじて新たな絵画の美に開眼して、その助言と自分の審美眼を信じて得た絵画をアメリカに持ち帰る。 ところが息子の持ち帰った絵画は父親にはまったく受け入れ難いものだった。 その絵画とこの一族の顛末が描かれているのですが…
興味深いのは、 当時のNYとヨーロッパの美術史の事情がよくわかる点なのです。 これはウォートンの美術への知識がなければ書けなかったことでしょう。 簡単にいえば、 富豪の父親のもとめたのはラファエロに代表される古典主義の絵画で、 息子が出会った英国人というのがジョン・ラスキン。 息子はラスキン、 ハント、 ロセッティというラファエル前派の芸術家に出会って、当時はまったく評価されていなかったカラヴァッジョ、 フラ・アンジェリコ、 ジョットの作品を持ち帰ったというわけなのです。
その絵の顛末を読むと、、 えーーーー‼ となるのですが、 1840年代当時 カラヴァッジョとかが全く無名だったということにも驚きました。 アメリカの美術史の黎明期が「False」だったという、 タイトルにウォートンの皮肉が込められています。
解説によると、この「偽れる黎明」という作品は 「それぞれ一八四〇年代、五〇年代、六〇年代、七〇年代のニューヨークの生活を描いた中篇四つを集めた『古いニューヨーク』 Old New York (一九二四)所蔵の第一篇である」 ということなので、 そうなれば他の3作品、 50年代、60年代、70年代のNYも同時に読んでみたいものです、 ウォートンにはそれぞれの年代の「変遷」「差異」を記録することこそが主眼だったのでしょうから。。
それに、 この本の翻訳は60年も前のことで、 たくさんの画家のカタカナ表記も今とは違っていて 「カルパッチオ」などと書かれています。 出来たら新しい注釈と翻訳で復刊して欲しいものです。
そして とても心を打つ小説 上流社会ではなく貧しい村の暮らしと悲しい愛の物語『イーサン・フローム』なども、 ぜひ復刊されると良いなと思っているのです。
長くなってしまいました
もうひとりの女性作家 エルザ・トリオレのことはまた今度。。
私の場合、 本との出会いは 誰かの紹介とか評判になっている本とかそういうのではなくて、 日頃の関心事のなかで検索したり、 読書を通じて新たな作家や書名を知ったりして、 そうやって次に読む本を選んできたものです。
心をとらえた作品については此処に書きのこしたりしてきましたが、 その中には、 絶版により入手困難だった本や古書を取り寄せて読んだ本もいくつかありました。 それらの本がのちになって、 新しく翻訳出版されたり、 あらためて復刊したり、、 そうやって読めるようになったことを知ると なんだか埋もれていた宝が知れ渡ったようで 嬉しくなったものでした。
たとえば、、
『椿實全作品』(読書記>>)は、 幻戯書房から2019年に 『メーゾン・ベルビウ地帯: 椿實初期作品』として復刊されましたし、
ノルウェーの作家シランパアの『若く逝きしもの』(>>)は、 フランス・エーミル・シッランパー 著 『若く逝きしもの』として2022年に 静風社から出版されました。
イエンス・ペーター・ヤコブセンの『ニイルス・リーネ』については何度か書きました。山室静さん訳の『死と愛』を読みおえたことまでは書きましたが(>>) その後、2021年にルリユール叢書『ニルス・リューネ』イェンス・ピータ・ヤコブセン著 奥山裕介・訳が幻戯書房から出版となりました。
漱石先生を通じて知った レオニード・アンドレーエフのことも何度か書きましたね。『悪魔の日記』(>>)は今も絶版のままだと思いますが、 2021年に未知谷から『イスカリオテのユダ L・N・アンドレーエフ作品集』岡田和也・訳 が出版され、 表題作のほかに「天使」「沈黙」「深淵」「歯痛」「ラザロ」が収録されています。
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今年の読書の収穫を振り返ると、 シドニー=ガブリエル・コレットや、 イーディス・ウォートン、 エルザ・トリオレといった20世紀前半の女性作家の作品に出会ったことでした。 3人とも戦間期のパリに住んでいたという共通点で知っていったわけですけれども、 コレットは生粋のフランス人、 ウォートンはアメリカ生まれ、 トリオレはロシア生まれ、 とそれぞれの小説も全く雰囲気が違っていました。
とりわけイーディス・ウォートンの作品は、 女流作家とか女性作家という括りにとらわれない、 19世紀から20世紀にかけてのアメリカの社会や文化を 物語のなかに緻密に記録しているという力量を感じて、 特に、建造物の様式や美術品や調度品に関する知識、 ファッションの趨勢などにとても詳しいことにも驚きました。
イーディス・ウォートンは幼い時から両親とともにヨーロッバ各地をなんども旅行して暮らしたそうですけれども、 そうやって見聞を広めて文化芸術の知識を得て、 外側の世界から故郷のニューヨークそしてアメリカ社会を見るという独自の視野が備わったのでしょう、 彼女の作品にはつねに 「格差」とか「差異」といったものがテーマにあるように思います。
NYの上流社会を描いた『無垢の時代』では 過去と現在、NYの内側しか知らない者とヨーロッバ帰りの人との隔絶を描き、、 ニューイングランド辺境の村を舞台にした『夏』や『イーサン・フローム』(>>)では、 貧富の差や村の外の世界との格差、 そして主人公たちがその「格差」をなんとか乗り越えようともがき、 新しい世界を夢見、 打ち崩される…
その憧れや抗いの気持ちが 読んでいてとても胸にせまるのでした。
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ほかにもイーディス・ウォートンの作品を読んでみたくて、 この本を取り寄せました⤵
『偽れる黎明・チャンピオン』イーディス・ウォートン, リング・ラードナー 著 皆河宗一, 大貫三郎, 菅沼舜治 訳 1981年 南雲堂
この本にはイーディス・ウォートンの3つの作品が載っています。 「偽れる黎明」(原題 False Dawn) 、「隠者と野性の女」( The Hermit and The Wild Woman) 、「芸術を売った絵」(The Pot-Boiler)
特に「偽れる黎明」は ウォートンの美術への知識が下敷きになっている作品でした。 絶版なので簡単にあらすじを書いてしまいますが、 NYのある上流階級の子息が2年間のヨーロッパへの見聞旅行に出ることになり、 父親は自分の美術館をもつという夢のために、古典絵画の名画を購入してくるように息子に言い渡す。 息子は周遊の途上でひとりの英国人と知り合い、 その人物をつうじて新たな絵画の美に開眼して、その助言と自分の審美眼を信じて得た絵画をアメリカに持ち帰る。 ところが息子の持ち帰った絵画は父親にはまったく受け入れ難いものだった。 その絵画とこの一族の顛末が描かれているのですが…
興味深いのは、 当時のNYとヨーロッパの美術史の事情がよくわかる点なのです。 これはウォートンの美術への知識がなければ書けなかったことでしょう。 簡単にいえば、 富豪の父親のもとめたのはラファエロに代表される古典主義の絵画で、 息子が出会った英国人というのがジョン・ラスキン。 息子はラスキン、 ハント、 ロセッティというラファエル前派の芸術家に出会って、当時はまったく評価されていなかったカラヴァッジョ、 フラ・アンジェリコ、 ジョットの作品を持ち帰ったというわけなのです。
その絵の顛末を読むと、、 えーーーー‼ となるのですが、 1840年代当時 カラヴァッジョとかが全く無名だったということにも驚きました。 アメリカの美術史の黎明期が「False」だったという、 タイトルにウォートンの皮肉が込められています。
解説によると、この「偽れる黎明」という作品は 「それぞれ一八四〇年代、五〇年代、六〇年代、七〇年代のニューヨークの生活を描いた中篇四つを集めた『古いニューヨーク』 Old New York (一九二四)所蔵の第一篇である」 ということなので、 そうなれば他の3作品、 50年代、60年代、70年代のNYも同時に読んでみたいものです、 ウォートンにはそれぞれの年代の「変遷」「差異」を記録することこそが主眼だったのでしょうから。。
それに、 この本の翻訳は60年も前のことで、 たくさんの画家のカタカナ表記も今とは違っていて 「カルパッチオ」などと書かれています。 出来たら新しい注釈と翻訳で復刊して欲しいものです。
そして とても心を打つ小説 上流社会ではなく貧しい村の暮らしと悲しい愛の物語『イーサン・フローム』なども、 ぜひ復刊されると良いなと思っているのです。
長くなってしまいました
もうひとりの女性作家 エルザ・トリオレのことはまた今度。。