prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「オーシャンズ12」

2005年03月01日 | 映画
もともとオリジナルの「オーシャンと11人の仲間」はフランク・シナトラ一家が集まって身内の楽しみでこしらえたみたいな映画でリメーク不可能。
その強引なリメークの、そのまた続編なのだから無謀な話。

ジュリア・ロバーツの役がジュリア・ロバーツ当人を演じて似ているの似ていないのというくだりなど、「キャノンボール」のロジャー・ムーアほどイヤミではないがくどくて一向に洒落っ気がない。某大スターのカメオ出演もそう。ワンシーンだけ顔出してひっこめばいいのに、くどくど出てきて、かといって何か面白いことをするわけでもない。
作っている方だけ楽しんでいるのならまだしもで、みんな何となくお仕事やってますという感じ。

ムダに時制を交錯させて、結果がわかってからプロセスを見せたりするものだから、泥棒がうまくいくかどうかといったハラハラも全然ない。
娯楽映画のツボをわざと外しまくった、何をスカしてるのかと思わせる演出。
イタリアロケのみ見もの。
(☆☆★)



アカデミー&ラジー賞

2005年03月01日 | 映画
オスカー授賞式をちらちらとだが、字幕版でもう一度見る。

アメリカ式ジョークって、耳で聞いても字幕で読んでもなかなかピンとこない。
映画館の客に向かって、作品賞候補作のどれかを見たかどうかを聞いたら誰も見ていないという取材(?)映像は気がきいている。こういう真似は日本ではできない。

ルメットのスピーチで感謝した監督たちの中で、ジャン・ヴィゴとカール・ドライヤーは字幕に出なかったと思う。

字幕でHalle Berryのことをハル・ベリーではなくちゃんとハリー・ベリーと表記していた。はっきりハリーと発音しているものね。

ラジー賞(サイテー映画賞)を「キャット・ウーマン」で受賞したベリーが授賞式に出席。出席者はポール・バーホーベンなどに続き4人目。
「子供の時、母に言われた。よく敗者になることができなければ、よき勝者になることもできない」とスピーチしたとのこと。うまい切り返しですねえ。


「ブラックアウト」(1)

2005年03月01日 | ブラックアウト(小説)
プロローグ

「おい、起きろよ」
 肩をつかまれ、揺すられた。
 背中が冷たい。固いものに押しつけられていて、あちこちすれたような痛みを感じる。
「起きろって」
 真っ暗だった。目をつぶっているかららしい。粘りつくような瞼を上げて、目を開いた。
 上から丸まっこい塊が下がっている、と見えたのは制帽をかぶった警官の顔だった。後ろにはまだ暗い、青みがかった空が広がっている。
 ぼくは頭をもたげた。警官が、ぼくの肩の下に手を入れ、起き上がらせてくれた。
「こんなところで寝て。風邪ひくぞ」
 そう言われたとたん、身体の芯まで冷えているのに気付き、鼻をすすった。
「立てるか?」
「はい」
 声を出してみると、問題なく出た。喉も痛くなく、声もかれていないようだ。
 警官が貸す手から逃げるように、ぼくはできるだけ急いで立ち上がった。少しふらついたが、立っていられる。
「あまり若いうちから飲み過ぎるな」
「はい」
 神妙に答えた。
「帰れるか?」
「大丈夫です。帰れます」
 言うより早く歩き出していた。警官が追ってくる気配はない。よくあることなのだろう。
 ぼくは肩をすぼめて掌で二の腕をこすった。今はいつごろの季節なのだろう。朝だから冷えるが、それほど寒い時期ではないようだ。
 と、思ってから、いま何月なのか覚えていないのか、と妙な気がした。確かに記憶がすっとんでいるらしい。飲み過ぎて前後不覚になるとはよく聞くが、それが自分に起こるとは思わなかった。
 歩きながら、今見えている街の記憶を探した。朝のひと気のない時の青みがかった光景なのでだいぶ印象が違うが、見覚えのある街角だ。
 家までバスで5つか6つくらい離れた盛り場なのが、ほどなくわかった。何度か来たことがある。探すと、少し迷ったが、バス停はすぐ見つかった。もう運行しているのだろうか。
 朝早いことは確かだが、いま何時なのか、わからなかった。私は腕時計を持っていない。部屋の中にいればいつでも時計を見ることができるので、必要ない。とにかく、バスが来るまで待つことにした。小銭があるか心配になり、ポケットを探ると、鍵のついた財布が出て来た。中を覗くと、千円と小銭が少し。いくらなのかよく覚えていなかったが、片道なら足りるだろう。
 それほど待たずにバスが来た。乗り込むと、もう三人の先客がいた。
 バスが走り出すと、ぼくはもっぱら流れて行く窓の外を見ていた。ぽつりぽつりとまだ閉まっている店が通り過ぎるほかは何もない。自動販売機の明かりだけが、まだこうこうと点いている。
 そんな単調な繰り返しを見ているうち、きのう何があったのか、考えるともなく考えていた。 
 こうやって外に出たのは何日ぶりだろう。隣街まで足を伸ばしたとなると、何ヶ月、いや何年ぶりかになるかもしれない。
 もしかすると、中学の時から七年かたこの路線のバスには乗っていなかていのかもしれない。高校に通う路線は別のものだったし、それも一年足らずで辞めてしまったのだから。
 高校の同級生のことは何も覚えていない。ほとんど通わなかったし、行っても一切口も聞かなければ、目も合わさないようにしていた。
 中学の…、そう中学の同級生のことはよく覚えている。何しろ、きのう会ったばかりだ。
 会ったというより、会わされたというべきだろう。なぜ姉はあんなにむきになって同窓会に出ることを要求したのだろうか。わざわざ酒を飲んだこともないぼくをひっぱって、居酒屋で開かれた会に連れて行ったのだ。ショック療法のつもりだったのだろうか。
 だとしたら、ショックが強すぎたらしい。どれくらい飲んだのかも、いつ店を出たのかも、どこをどうほっつき歩いていたのかも覚えていない。
 誰とどんな話をしたのかも…いや、その記憶はこびりつくようにかすかに残っていた。だが、何か膜がその上に張られているように、輪郭がぼんやりしている。
 急に、今が五月なのに気付いた。
 東京の大学に行っていた連中が帰ってきて一息ついた時期に合わせたのだろう。奴らは大学には行っていないはずだ。高校を出て、就職したのかぶらぶらしているのか。時間を過ぎても姿を見せないので、一安心したところで、まるで見透かしたように姿を現わした。
 奴ら? って、誰だ?
 わかっているはずなのだが、まだ頭の中に膜が張ってあるような感触はなくならない。
 その時、降りる停留所が近いことに気がつき、ぼくはボタンを押して降車のサインを出した。
 バスを降りると、見覚えのある風景が目の前に広がった。
 家のすぐそばなのだから見覚えがあって当然なのだが、なぜかデジャ・ヴというのか見たことのないのに見覚えのある風景を見ているような違和感がある。
 ぼくはいちいち道を確かめるように歩き出した。
 バスを降りて、通りを横切って横道に入り、最初の十字路を右に曲がり、茶色い壁の分譲マンションのある角で左に曲がる。
 ほどなく、ぼくが、いやぼくたちが住んでいるローズハイツが見えてきた。名前はもっともらしいが、昔でいうなら長家みたいな古ぼけたアパートだ。
 急ぎかけて、石畳に少し蹴つまずいた。頭が振れ、全身がひやっとした感覚に包まれた。
 気付くと、またぼくは道に倒れていた。
(またか)
 石畳といっても、それらしく見せかけたタイルをセメントで道に貼付けただけのもので、近くで見るといいかげんに施行したのか、少し波打っているのがわかる。
 腹がたちかけたが、とにかく立ち上がった。特にけがはないようだ。すがるようにとにかく部屋に急いだ。
 鉄製の外付けの階段を登り、204号室の扉を探し、財布についていた鍵を鍵穴に入れて、回す。錠が外れる感触がした。チェーンはかかっていない。おそるおそるドアを開いて覗くと、白い先の尖ったハイヒールが見えた。
 姉がきのう、ぼくについてきた、いやぼくを連れていった時にはいていた靴だ。
 起きているのだろうか。音をたてないようにそっとドアを身体が通るぎりぎりだけ開き、素早く中に滑り込んだ。
 部屋の中はしんとしていた。そっと靴を脱ぎ、足音を忍ばせて玄関に隣接してあるキッチンに上がった。テーブルの上に、姉が買って来たヒヤシンスの花びらが散っていた。
 姉の寝室の襖は閉まっている。並びにぼくの部屋がある。そっとぼくの部屋の襖を開けようとしたら、
「守?」
 姉の声がした。
 しばらく、いや、実際はごく短い時間だったのだろうが、ぼくはそのまま硬直したように動けなくなった。
「守なの?」
「ああ」
 襖が開き、姉の郁美が姿を現わした。赤いブラウスにグレーのスラックスという、きのうの服装のままだ。
 急にどっと疲れが襲って来て、また軽くめまいがした。
「とにかく、休ませて」
 それ以上何か言われるのを遮って、ぼくは部屋に入った。ベッドに潜り込むと、シーツを頭の上までかぶって目をつぶった。幸い、それ以上小言を言ってくることはなかった。実際、疲れていたのだろう、そのまますぐ意識が遠くなった。

 目をさましても、真っ暗だった。
 そのまま、きのう何があったのを思い出していた。
 居酒屋に着くまでに、どこでどうやって調べたのか、ぼくの同級生の近況を事細かに話して聞かせた。店には、一番乗りだった。姉は少し離れたところで、ぼくを見張っていた。
 だから、ほとんど七年ぶりの元同級生たちがぼくを見てどう反応するか、一人一人観察できた。まったく気がつかない者、不思議そうな顔をして見返す者、それから…それだけだった。まともに挨拶をしてくる者はまったくいなかった。こっちから挨拶すれば返してくるのは良い方だ。実をいうと、ぼくの方でもかなり顔を忘れてしまい、貸し切りだから部外者は入ってくるまいと、とにかく誰か入って来たら挨拶するようにしていたのだ。

(2)に続く


「ブラックアウト」(2)

2005年03月01日 | ブラックアウト(小説)
(1)より続き

いてもいなくても同じ。ぼくはいちいち気にしなかった。いつものことだ。むしろ変に話しかけられて相手させられるより、大勢の中でも一人でいられるのを望んでいたのかもしれない。
 とにかく、飲みつけない酒をちびちびやり、適当につまみを食べ、早く時間が経って解放されることだけを考えていた。かつて彼らと一緒に学校にいる時間が過ぎるのをただひたすら待っていたように。姉はその様子を見て、少し安心したようだった。
 ぼくがここ五年くらい、ほとんど部屋から出ないでいるものだから、人づきあいがまったくできないのではないかとしきりと心配して、同窓会を口実に無理に外に連れ出したのだが、何、ごく短い間表面的につきあって喧嘩しないで別れるのだったらお手のものなのだ。
 始まってかなり経ってから橋本がやってきた。彼はぼくを呼び出す時の使い走りをしたり、奴がぼくを殴る時に腕を押さえたり、ついでに後ろから膝蹴りを入れたりはしたが、主犯ではない。居酒屋にきょろきょろしながら入って来て、ぼくと目が合った時も、はっと気付いたあと、忘れたようなふりをして通り過ぎた。高校を出る時、あちこちの会社を受けたが全部落ち、結局親の会社に入って小さくなって四年経つうちに、びくびくしているのが習い性になったようだ。
 それから、木口もやってきた。こっちはぼくの顔を見ても反応を見せず、こっちが会釈すると反射的に会釈を返した。長いことあちこちのコンビニを渡り歩いているうちに、相手の顔に目を向けていても見ずにすませて機械的に挨拶する癖だけは身についたようだ。
 橋本と木口はお互いのことを明らかに気付いていたが、知らぬふりをして離れた所に座った。中学の時はあれだけ意味もなくつるんで歩いたくせに。
 だが、奴が…清川が来た時は様子が違った。
 意外なことに、奴の顔を見ても最初はわからなかった。のばし放題にのばした鬚、ばさばさの髪の毛、そしてどろんと濁った目の色。明らかに店に来る前から泥酔していた。もしかしたら、酒以外のものも入っていたのかもしれない。足元もおぼつかなく、そのくせ服だけは不思議と身綺麗なものをつけていた。
 橋本も木口も、最初は清川に気付かなかったらしい。最初に気付いたのは誰なのか、よくわからない。ほとんど示し合わせたように、三人同時に気付いたようだ。
 他の同級生たちには、ついに奴が同級生だとわからなかった者もいたのではないか。ホームレスが間違えて紛れ込んだような反応だった。それとわかった後も、
「誰だ、あんなの呼んだのは」
というささやきが、確かに聞こえた。
 清川はどこに座ろうかとぐるりを見渡した。橋本と木口は、明らかに敬遠するように隣の同級生に話しかけだした。しかし、清川は委細構わず、まず橋本の横に割り込むように座った。明らかに橋本は迷惑そうに一方的に話しかける清川の言葉にただ機械的にうなずいていた。と、清川の方でもそれに気付いたらしく、橋本の頭をはたいて立ち上がった。気軽に軽くはたいたつもりなのかもしれないが、明らかに橋本の顔が酒だけのせいでなく赤くなった。
 続けて、木口のもとに清川がふらふらと寄っていった。木口はさっきまでの表面的な愛想の良さをかなぐり捨てて、あくまで無表情に清川の口が回り続けるのを、ただ見ていた。話している内容はわからなかったが、素面の時でもまともな話ができなかった男だ、まして酔っぱらっているのだから聞くに耐えまい、と思っていると、かつての子分たち(清川の方で勝手にそう扱っただけの気がするが)のつれない素振りに不満なのか、案の定、清川はぼくの方にやってきた。
 何をするつもりだろう。中学生の時の再現とすると、ゴキブリをビールに入れて飲ませるつもりか、舌でトイレの床を掃除させるつもりか。それとも裸で踊らせるか。裸踊りは、大人がやったらかえってただの無礼講になる気もするが。
 ちらと姉の方をうかがうと、プロ野球のベンチの監督よろしくどっかと座って動かないでいる。自分でなんとかしろ、というつもりなのだろう。
 清川が手を上げて来た。ぼくは素早く手を上げ、ぼくの頭をはたこうとした奴の手をブロックした。
 濁った目が驚いたように見開かれた。ぼくはじっと奴の目を睨み付けた。また、あの症状が起こらないか不安だったが、奴が他の誰からも相手にされないさまを見て、一種の勇気、というより侮る気分が生まれてきていた。おそらく、それまでちびちびではあっても絶え間なく飲み続けていたアルコールのせいもあっただろう。と、奴は余裕を見せたつもりなのなのかもしれないが、不敵なつもりらしい下手な笑みを見せて、ぼくの正面の席に座った。
「よう、しばらくぶり。どうしたい、ちっとも噂聞かないけど」
 それはそうだろう。ここ五年間、とにかく人目にたたないように過ごして来たのだから。
「そっちこそどうした」
 ぼくはわざと荒っぽく聞き返した。
「ん…まあ、ぼちぼちだ」
 おとなしく見せているが、情緒は安定していない。明らかに今、奴は羽振りが悪い。そう見てとると、ぼくは急に借りを返してやりたくなった。
 しばらく、奴はぺらぺらとつまらない、退屈なだけでなく、不愉快なホラがかった自慢を並べていた。うんざりしたぼくはそれを遮った。
「相変わらず、誰かいじめてるのか」
 清川は口に運びかけていた酒の入ったグラスを中途で止め、それから改めて一気に飲み干した。また作り笑いを浮かべながら、
「いやだな、いつまでもそんなことするもんか」
 おちゃらけたような言い方に、ぼくはさらに追い討ちをかけた。
「それとも今じゃ、いじめられている方か」
 濁った目がぎろっと動いた。赤みがかっていた顔色がすうっと青白くなる。清川が立ち上がった。突然、罵声が轟いた。
「生意気言うんじゃねえぞ、この野郎」
 あたりのざわめきが、潮が引くように引いて行った。姉の表情が変わったのが、視界の隅に写る。 
「表に出ろっ」
 ぼくはグラスを口に運びながら、立ち上がらないでいた。ぼく以外に同じテーブルについていた同級生は、すでに席を外している。
 姉がしきりと首を横に振っているのが見えた、というより感じていた。
 突然、ぼくの中に奴と同調して禍々しく恨みがましい怒りが生じ、何かにはねあげられたように立ち上がると、奴の顔が目の前に迫っていた。姉が割って入ろうとした。
「誰だ、おまえ」
 清川は血走った目で姉に食ってかかった。
「弟が、何か言いましたか」
 清川はふらふらしながら、ぼそっと言った。
「弟の喧嘩に、姉ちゃんが出るのか」
「もうやめたらいかがです」
 卑しい笑いが奴の顔に広がった。
「弟なんか放っておいて、男と楽しめよ」
 と、顔を姉の目と鼻の先に近付けた。平手うちの音が響いた。
「この野郎っ」
 奴が姉につかみかかる前に、ぼくは奴に組み付いていた、と思ったら組み付かれていたのはぼくの方だった。
 見ていると、橋本が清川を抑えてテーブルから引き離していた。振り返ると、至近距離にぼくを羽交い締めにしている木口の顔が間近に見えた。腹たちまぎれに、ぼくは後頭部を木口の顔面に叩き付けた。木口が手を離した。
「今になって、正義の味方面するなっ」
 怒鳴ってから、しばらくぼくと木口はにらみ合っていた。こいつが俺にやったことに、どれくらい清川と違うというのか。子細らしい顔してるんじゃねえっ。頭の中にそんな言葉ががんがん鳴り響いていた。もしかしたら、口に出していたかもしれない。
 ぼくは立って荒い息をつきながら、ふと引き立てられて行く清川の姿を見た。と、隣のテーブルのそばまで引きずられた清川は、突然その上にあったまだ三分くらい残っているビール瓶を握ると、テーブルの角に打ち付けた。瓶が割れ、破片と泡立った中身があたりに飛び散った。
「ぶっ殺してやる」
 あちこちから悲鳴が上がった。姉の声が響いた。
「逃げなさい」
 ぼくは出口に向かい、すぐそばまで来てから急に振り返った。
 清川が罵声を浴びせているのは、今ではぼくではなく、割って入ったかつての子分の橋本と木口にすり代わっていた。姉が手振りで、行け、行けと指示している。
 ぼくは改めて出口に向かい、外に出た。
(酒だけじゃないな)
 という声が聞こえた。あるいは自分でそう思っただけなのかもしれない。
(3)に続く




「ブラックアウト」(3)

2005年03月01日 | ブラックアウト(小説)
(2)から続き

盛り場に一人で出た時、勘定を済ませていないことに気付いた。まあ、いいだろう。姉が払ってくれるはずだ。そう思うと、呑み代だけでなく生活費すべてが親がかりならぬ姉がかりという自分の身分に、改めて言い様のない恥ずかしさを覚えた。
 言い訳はできる程度の努力はしてみた。短期長期を問わず、いくつものアルバイトの募集に履歴書を送ってはいた。しかし、高校中退で職歴も資格らしい資格もない人間と面接してくれる雇い主は少なかったし、いざ面接となると例外なく断られた。自分は人に好意を持たれることはない、という妙な自信があった。
 パソコンでやっているデータ入力の内職というのをまたやってみたらどうか、と姉に勧められたこともある。しかし、一度やってみたが、手間ひまの割に支払いが悪く、一度など振込に失敗したからといって支払わない上に失敗したのはこちらの連絡ミスだと手数料を請求さえしてきた。
 苦情を言おうにも、メールを打っても、木で鼻をくくったような返事があるだけで、責任者の所在もたらいまわしにしてわからないようにしているので、市役所や国民生活センターに訴えて、どうにか支払いにはこぎつけたが、いやがらせのように手数料はしぶとく引いてあった。そこまでの支払いを求めるのには、いいかげん嫌気がさしていたし、そのまた手数料を請求されかねないと、あきらめた。
 人間は嫌だ。こっちが顔を出せば陰にこもり、出さなければかさにかかって悪意を向ける。そういうぼくに、姉は強いて反論しなかった。するのも面倒なみたいだ。

 働かず、家に金を入れていない代わり、ぼくは労働奉仕というわけではないが、家事一式は取り仕切った。
 朝早く起き、朝食と姉の弁当を作る。毎日弁当を持って行くので、会社で姉は、今どき珍しくいいお嫁さんになるよ、などと言われているらしい。
 自分一人の昼は簡単に済ませる。といっても、コンビニ弁当やカップラーメンの類は避け、卵を主体に必ず蛋白質をとり、残り物の煮野菜を掃除するような献立ですませる、といった簡単で安上がりで食べ過ぎないですむような献立だ。そういう工夫をするのが、ぼくは好きなのだ。
 もちろん、夜は二人分作る。よほど遅くなっても、食べてくることは少ない。三食自炊となると、費用や栄養価はずいぶん違うはずだ。ぼくが言うのではなく、姉が言うのだが、本心かどうかはわからない。仲間のOLと話題の店のランチを食べに行きたいことだってあるのではないかとも思うが、その手の話題に乗って来たことはない。だいたい、会社の同僚や上司がどんな人なのか、ぼくはまったく知らない。姉は何か高校を出てから独学でいくつも資格を持っていて、収入は25歳にしては割と良かった。
 ぼくが出かけるのは、夜になってからの食料品その他の買い出しのほかは、土日に近くの図書館に行くくらいだった。毎日が日曜日のようなものなのだから、いつ行ってもいいのだが、ウィークデーでいい若い者(!)が表をうろうろしていると何を言われるかわからない。何も言ってないかもしれないが、どうしてもそういう気がしてしまう。図書館には、ひたすら本を読み続けている常連が何人かいた。行くたびに顔を合わせる、というより顔を合わせないままその存在を感じる(ということは、相手は毎日来ているのだろう)ので、あくまで見て見ぬふりを通し、それ以上は決して踏み込まなかった。
 一日家にいても、テレビはあまり見なかった。見ないばかりか、普段は電源からコードを抜いておいた。待機電気がもったいないのと(本当に一円たりともムダ金は使うまいと決めていた)、テレビを見ているとイライラしてくるからだ。携帯はもちろん持っていない。どこに持っていくというのか。誰にかける、あるいは誰からかかってくるというのか。
 辛うじて、パソコンであちこちのサイトを見てまわるか、ゲームをするか、本を読むか。考えてみると、まったく仕事を持ちない主婦だって、家事の時間以外をなんとかして潰しているのだろう。それは大変なのだろうか。それなりのやりがいのあることを見つけているのだろうか。ぼくの場合は、なんともいえない。ただ、時間だけは潰れる。いやでも潰れてしまう。
 そんな五年間の生活に、姉はつきあっていた。あまり口やかましくはないが、当然ときどき意見するし、涙入りに近くなることもある。たいていはぴたりと無表情で、とりつくしまもない。話しかければ、きちんと受け答えするが、それ以外の余計なことはしない。それこそ、ぼくの望む態度だった。
 だが、ぼくがたまに無理して外部と接触すると必ず失敗した。きのうは特にひどい。テレビの評論家だったら、ぼくが“ひきこもり”になったのは、“中学でのいじめ”が原因だといとも簡単にレッテルを貼るだろう。別にそれは否定しない。それだけではない、のだが。
 大げさではなく、文字通りぼくはそれだけの存在ではないのだ。
 だから、姉がわざわざ同窓会に連れ出していこうとした時、これほど弟の学校生活を知らなかったのかと逆に驚いた。だが、強いて逆らおうとはしなかった。姉がなんとかせずにいられない気持ちはバカでもなければ、もちろんわかる。
 行ったからといってうまくいかないのはわかっていたのだし、そうしたらぼくが全面に立って責められる。一応出て行ってうまくいかなければ、言い訳もきく。そう思ったのだが、思った以上にひどいことになった。姉はどう思っているだろう。そろそろ確かめてみないと、とシーツの中で目を開いた。

 シーツを剥ぐと、陽は赤みがかっていた。
 起きて、キッチンに出て行くと、姉がテーブルについていた。気まずかったが、黙ったままだとますます気まずいので、無理に声をかけた。
「会社、休んだの?」
「今日は、土曜。休み」
「ああ、そうか」
「ずっと家にいると、曜日の感覚がなくなるみたいね」
 さっそく棘のある言葉が飛んで来た。
 座ってと言われる前にぼくは姉の斜向かいの席についていた。
「紅茶、飲む?」
「うん」
 ティーバッグを入れたカップにジャーから湯を注いだだけの紅茶のカップが、ヒヤシンスの花瓶のそばに置かれた。
 ぼくは砂糖もミルクも入れず、いれたての紅茶を吹きながら口をつけた。
「きのう、店を出てからどこにいたの?」
「よく、覚えていない」
「やっぱり、いきなり外に連れて行ったのは失敗だったかなあ」
 内心、(そうだよ)と呟いたが黙って紅茶をすすってから聞いた。
「あれから、どうなった?」
「あんたにからんでた人のこと?」
「他も、全部」
「どうもこうも。何あれ。ビール瓶なんて割っちゃって、危うく傷害沙汰よ。それから店員も手伝って店の外に引きずり出したら、しばらく『殺してやる』って喚きまわって、怖がって酔っぱらいがよけて通ってた。あんなのが同級生にいたの?」
「いたのって、知らなかった?」
「知らないわよ、あんたの友だちに酒乱がいるなんて」
「友だちじゃないよ。第一、中学の時から呑んでるかよ」
「あの分だと、どうだか」
 ぼくはカップを受け皿に置いた。まだふらふらする。もっと水を飲むか、と立ち上がって蛇口に向かった途端、めまいがした。
 立ちくらみか、と初め思ったが、それとは違う、しかし覚えのある感覚だった。ぼくは立ちすくんだまま、動けなくなった。姉が怪訝な顔をしてぼくを見ている。その顔に不安の色がみるみる広がった。耳もとや喉もとに脂汗が撫でるように流れているのが、自分でもわかった。
「どうしたの?」
 姉の声が、ひどく遠くに聞こえる。
 また、あの発作が来た。
 目はその姿を含めて部屋の中を見ているのだが、頭の中には別の像が結ばれていた。
(中古のマンションが、次第に近付いてくる)
 姉が立ち上がり、ぼくの肩をつかんだ。
(マンションに入っていく)
 誰が? 誰だ? 今、俺が見ているものを見ている奴は。
 視界は明るくなったり暗くなったりして、昼なのか夜なのかもはっきりしない。
(歩いている)
 廊下を。管理人室は空だ。
(エレベーターに乗り込む)
 姉がぼくを椅子に座らせた。
(4階のボタンを押す)
 上って行く感覚のないまま、4階でドアは開いた。ここまで来るのに、誰にも会っていない。
(一室に近付く)
(ドアホンを押す)
 耳鳴りのような音、というより鼓膜が突っ張ったような感覚だけがあって、具体的な音はまるでわからない。
「だいじょうぶ? あたしの言ってることが聞こえる?」
 と、耳もとで姉が出しているらしい大声に、ぼくは辛うじてうなずいた。
(ドアが開いた)
 ちらと表札が見える。
 その名前の主…木口が顔を出した。驚いたような表情。その顔に妙なものが突き付けられた。
 一瞬、それは鳥の一種のように思えた。左右に広がり、端がすぼまった形状、真ん中に飛び出た鋭利な尖端。すぐにそれが矢をつがえた弓を乗せたボウガンであることに気付いた。気付くとともに、その引き絞った弓を放つ引き金にかけた指の感触を感じた。
 背後でドアが閉まる。
 木口が何か喚き、手を泳ぐようにばたつかせた。
 指と、それにつながる腕の筋肉が収縮し、次いで弛緩する。
 木口の開かれた口から、細い棒が飛び出したように見えた。口の中を通って喉に矢が刺さっている。
 木口は喉をかきむしるようにし、狭い部屋を右往左往してあちこちにぶつかり、大きくのけぞるようにベッドの上に大の字に倒れこんだ。矢を抜こうにも、触るだけで強いショックを感じるらしく、ベッドの上ではねまわるように激しく上下していた。
 しかし悲鳴も、物がぶつかったりはたき落とされたりする音も聞こえない。
 彼の動きが次第に治まるのを見ながらじっと待っている。
 やがて力が尽きてくるのを待って、再び矢が木口の顔面に向けられた。
(ぼくは、悲鳴をあげた)
 喉にもう一本の矢が突っ立った。口から血の泡がこぼれてくる。
 やがて、苦痛による身悶えとは別の痙攣が木口の全身をとらえた。
(矢に毒が塗ってあるのか?)
 長いようで短い断末魔の痙攣が頂点に達し、木口の身体はベッドの上で不自然なポーズのまま硬直し、それからゆっくり弛緩した。
 手袋をはめた手が、彼の首筋、頸動脈のあたりを押さえて、脈が止まっているのを確かめる。さらに鼻の下に手をかざして息が止まっているのを確かめる。
(近付くと、瞳孔が開いているのがぼくにもわかった)
 突然、部屋の中がぐるぐる回りだした。
 何が起こったのか、しばらくわからなかった。
(部屋中を小躍りしてまわっているのだ)
 首尾よく木口を殺せた、一種毒々しい喜びを眼前に押しつけられた気がして、また吐き気とめまいを覚えた。
 ぐるぐる回っていた部屋が止まると、姉がじっと覗き込んでいる。
「どうしたの?」
 まだ網膜に今の光景がありありと写っていた。めまいと吐き気がまだ治まらない。
「どうしたのよ」
 ぼくが答えられないでいるのを見て、
「前にもこんなことなかった?」
「ないよ」
 やっと言葉が出た。
「嘘。子供の時、よくあったでしょ。ひきつけだと思ってたけど」
「なんでもない」
「普通じゃなかったよ」
「慣れない酒呑んだから、まだ残ってるんだろ」
「医者に行ったら?」
「いい」
「だけど」
 うっとうしくなってきていたぼくは、はたと思い付いた。
「出かける」
「どこに」
「きのうの同窓会の名簿、持ってる?」
「あるけど」
「見せて」
「なんで」
「いいから」
 姉は、くしゃくしゃに折り畳んだ名簿の紙をバッグから出し、ぼくは急いでそれに目を通した。
「行ってくる」
「どこに」
「木口のところ」
「木口って、誰」
 すでにぼくは玄関に向かっていた。
「待ちなさい。財布も持ってないじゃない」
 姉がバッグを持って追ってきた。
 ドアに鍵をかけている気配を後ろに感じていたが、ぼくは歩調を緩めずに通りに向かった。
 もっとも急いでも意味はないので、どっちにしてもバスを待たなくてはならないのだが、これ以上あれこれ詮索されるのは避けたかった。
 バス停に立っていると、すぐに姉が追いついてきた。 
「木口って、誰。きのうの会に来ていた人?」
「そう」
「あの暴れていた?」
「違う。暴れているのを止めていた方」
「その人がどうしたの」
 ぼくは、口をつぐんだ。いつもそうしていた。その「いつ」がいつ来るのかも、誰が相手なのかも、ぼくにはわからない。ただ、まったく見ず知らずに相手からの“中継”を受けることはなかった。そしてやりきれないことに、悪意と敵意、怒りと憎しみに満ちた相手の負の念ほど届くことが多いのだ。禍々しい感情ほどパワーがあるということなのだろうか。ぼくにできたのは、できるだけ見知っている人間を増やさないようにすることだけだ。
 姉はいつもの不満そうな、しかしあきらめたような表情で話すのをやめた。
 しばらく待っていると、バスが来た。姉が先に乗り、二人分の料金を払った。
(4)に続く


「ブラックアウト」(4)

2005年03月01日 | ブラックアウト(小説)
(3)より続き

バスに乗っている間も、ぼくたちは話をしなかった。外を見ていても、単調な風景が流れて行くだけだ。
 目当ての停留所が迫ってきたので、ぼくは降車ボタンに手を伸ばしかけた。と、その前にプーッという音がして、バス中のボタンの上の赤ランプがついた。ぼくは、むっとして先に押した姉を睨んだ。(こんなことあったぞ)。気のせいではなく、小学生の時、同じようなことがあった。気をきかせているつもりなのか、姉が先回りしてボタンを押してしまい、赤いランプが一斉につくのを楽しみにしていたぼくを泣かせたのだった。
 バスを降りて、名簿の住所と照らし合わせながら、木口の住処を探した。長いこと街を歩いていないせいか、どこをどう見てどう進めばいいのか、一向に見当がつかない。業を煮やした姉は、ぼくから名簿を取り上げると、勝手に歩き出した。
 ちゃんと姉がわかっているのか不安だったが、いくらも歩かないうちにざわめきが近付いて来た。野次馬が増え、パトカーが停まっている。見覚えのある建物が見えてきた。だが、記憶にあるのとは違い、青いシートがそこかしこにかけられ、玄関のまわりが立ち入り禁止になっている。
「何があったんです?」
 姉が手近な野次馬に聞いた。
「殺人ですよ。このアパートの住人が殺されたそうで」
「まあ、こわい。なんて人です?」
「さて、木口さんって言いましたっけ」
 ぼくは、それ以上進まず、立ったまま整理の警官や右往左往する捜査官をしばらく見ていた。ストレッチャーに乗せられて布を被せられた人間が通るのが、人垣越しに見えた。
 それ以上確かめる必要はなかった。部屋には当分近付けないだろう。これ以上いてもむだだと思い、ぼくはその場を離れた。
 姉が小走りに追いついて来て、
「どういうこと?」
 と聞いた。
「また、発作が出た」
「発作? 何の発作」
 ぼくは答えず、歩き続けた。
「言いなさいよ」
「言ったって、信じてもらえないよ」
「いいから」
 ぼくは、機先を制することにした。
「まさか、ぼくがやったって思ってるんじゃないだろうね」
「中学の時、お父さんが学校に呼び出されたことがあったわね」
「あった」
「気を失って、うわごとのように、鳥に矢が刺さったって言い続けてたらしい。それで呼び出されたんだ」
「そう」
 父、という言葉を聞いて頭の隅のどこかが疼く感じがした。
「で、調べてみたら、学校の屋上で飼われてた鳩に矢が刺さって死んでいた」
「そうだった」
「ぼくが真っ先に疑われたよ。証明はできなかったけどね」
「やってないんでしょ」
「証明できなかったんだから、そうなんだろ」
 姉はむっとしたような顔になり、声に力を入れた。
「やってないんでしょ」
「誰の仕業だか、わからなかった」
 声が大きくなった。
「ないんでしょ」
 ぼくは面倒になり、「ああ」と答えた。実際覚えはなかったが、どっちにしてもぼくが決められることじゃない。
「それから、やはりうわごとで不良グループの名前を言っていたらしい」
「誰だったの?」
「うわごとで言っただけだったからね」
「不良っていうと」
「きのう、店をごたごた起こしてた連中だよ。進歩しねえな、あいつらも」
「あいつらが、鳩を撃ったの?」
「かもしれない」
「見たんじゃないの?」
「その場にいたわけじゃないのに、なんで見られるんだ」
 はっきり姉が怒り出した。
「人を煙に巻くような言い方してないで、はっきり言いなさいよ」
「ぼくは、人が見ているものが見えるんだ」
 意外なくらい、すらっと言葉が出た。
 姉はちょっとむっといたような顔をしたまま黙っている。
「信じる?」
「それで?」
「信じるの?」
「はいと言ったら、いいや信じてないんだろうと言い出すだろうし、いいえと言ったらやっぱりそうかと言ってまた黙りこくるつもりでしょう。とにかくなんでもいいから、喋りなさい」
 図星だった。姉は感情が昂ってきたのか、喋りなさいと言っておいて自分の方が勢いに乗って言葉を続けた。
「で、見えるって、さっきの人が殺されるところが見えたってわけ」
「そう」
「誰が殺したの?」
「わからない」
「わからないって、犯人が見えたんじゃないの?」
「犯人が見えたんじゃない。犯人が見たものが見えたの。だから、犯人の顔そのものは見えてない。自分で自分の顔は見られないでしょ」
「ふーん」
 わかったようなわからないような顔をしていた。
「信じられる?」
「ちょっと、難しいね」
「だけど、ぼくが見た通りに殺されていた」
「本当に見た通りかどうかはわからないよ。死体を見たわけでなし」
「だけど、殺されてたってことだけで、偶然の一致にしてはできすぎてる」
「どうなんだろう。あんた、酔って店を出てからの記憶あるの?」
「それが、朝起こされるまで全然ないんだ」
「起こされるって、誰に」
「警官」
「やだ、みっともない。飲ませるんじゃなかった」
「だけど、頭が痛いわけでなし、吐き気がするでなし、二日酔いってわけじゃないと思うけど」
「あんた、二日酔いの経験あるの?」
「ないけど」
「だったら、聞いたふうなこと言わないで」
 ぼくはいささかむっとして、声を荒げた。
「で、記憶がないからどうだっていうんだ」
「きのうの夜、酔っぱらってふらふらしているうちに、殺された人と誰かが争っているところを見ていて、忘れてたんじゃないの?」
「店の外に出てからも争ってたってこと?」
「そう。それが記憶だか夢の中で殺人場面に化けて出てきた、ということじゃない?」
「仮にそうだとして、街で喧嘩して、それからわざわざボウガン持っていって部屋まで押しかけていって殺すか?」
「そういう殺し方だったの?」
「そう」
「だとしたら、他にわざわざそういう殺し方する人なんて考えられる?」
「うん…」
「実際、弓矢で殺したかどうかはわからないんだし」
 それ以上、ぼくは言い返すのをやめることにした。
「要するに、ぼくが犯人の目を使って犯行現場を目撃したっていうのは信じてないわけだ」
「あたりまえじゃない」
 にべもない口調で姉は言い切った。
(それはそうだよな)
 と、内心呟いた。
 信じられるわけがない。自分でもなぜ見えるのか、わからないのだから。
(5)に続く


「ブラックアウト」(5)

2005年03月01日 | ブラックアウト(小説)
(4)より続く

それで自分でコントロールできるのならともかく、いつ発作が起きるのか、どうすれば防げるのかもわからない。余計なことを言わないでとにかく、人との接触を避けるのが一番と、そう決めて実行して来たのに、何の気の迷いでいかに家族相手とはいえ告白などしたのか。いや、家族相手の方が事がこじれる恐れがあった。幸い、全然信じていないようで、酒のせいにして済ませるつもりらしい。その方がいい。頭がおかしくなったのではないかと心配されて、医者に行けだの薬飲めだの言われたらたまったものではない。
 誰もぼくのことをわかってくれない、などと言うと、なんだか思春期の「心の叫び」のようで、我ながら気色悪い。しかし、こんな能力を「理解」などできないだろうし、なまじ表沙汰になどなったらますます薄気味悪がられるに決まっている。
(そんな風に考えること自体が傲慢なんだよ)
 という声が聞こえた。ときどきしたり顔でちょっかいを出してくる奴だ。
言っていることは正しいが、力を持ったためしがない。
(よっぽど自分を特別だと思っているんだな)
 また余計な声が聞こえる。
 昔のマンガ映画で、主人公のキャラクターの耳もとに悪魔の格好をした同じキャラと天使の格好をしたキャラが、並んでかわるがわる悪魔の囁きと良心の声とを吹き込み続けるという場面があった気がするが、ぼくの場合はそういうのとも違う。囁くぼくも囁かれるぼくも善でも悪でもない、ただの中途半端に、自分も含めて人を小馬鹿にしている点でも同じで、コントラストというものはない。いつも見ているだけ。
 だが、なんどか見られている気がしたことはある。あった、というべきか。父には不思議と隠し事ができなかった。なんでも包み隠さず話せたという意味ではない。もっと物理的な意味だ。たとえば、ぼくが図書館から借りっぱなしにしていた本を、突然物陰から見つけだしたりした。それで、早く返せとか言うわけではない。しかし、ホコリをかぶった図書館の本を見つけられて、そのままに放っておくことなどできない。黙って返しに行き、父も、返したかどうか確かめることはない。
 もしかしたら、と思うことはある。もしかしたらぼくのようにぼくが見ていたものが見えていたのでは。しかし今となっては確かめようもない。用意のいい死に方だった。ぼくをなんとか高校に入れ、保険に入って1年以上掛け金を払い、財産を整理して後景人を立て、姉に大学進学の意思がないことを確かめ、その上で成人するまでムダに使わないようにお膳立てし、病院に検査に行って帰って一日経たないうちに崖っぷちの道でカーブを切り損ねて転落、即死だった。予定に入れていなかっただろうことは、ぼくがすぐ高校を辞めたくらいのものだ。
 警察も普通の事故死として扱い、遺言もきちんと残っていた。御丁寧にも、戒名まで生前に作っていた。母方の墓に入ることになったが、父方の親戚とはもともとつきあいがなかった(まったくなかった)せいか苦情を言われることもなく、葬式で数少ない知人の誰かが「たつ鳥跡を濁さず」と言っていた。母が亡くなって長かったせいか、母方の親戚の出席も少なかった。
 父が最後に何を見たのか、何を考えていたのか、考えることはある。父の末期の眼に写ったものであろう崖から飛びおりて地面が迫ってくる図を想像してみる。だが、見たいものに限って見てはいない。 
 寝床についてぼくは、もう一度考えを巡らした。とにかく木口が殺されたのは確かだ。どういう殺され方をしたのか、あしたの新聞で確かめてみようか、と思いかけたが、気が進まなかった。新聞に載ってしまえば、ぼくが見たものが確かに他に知りようがないものだとは証明できなくなってしまう。載っていなければ、それこそなんで知っているんだと警察にあらぬ疑いをかけられかねない。まずいことに動機はあるし、それを証言しそうな連中も何人もいる。
 ぼくの中の<常識>の声が呟いた。中学生の時の恨みで7年も経ってから人を殺すか? 即座にぼくは答えた。殺すさ。何の不思議もない。経ってしまえば7年前など、きのうと同じだ。突然頭の中に噴き上がる分、きのうより身近なくらいだ。もっとも、ぼくの中の恨みがそれほど強いものとは思えないので、人によってはと言うべきだろうが。
 後になって気付いたのだが、新聞で報道されたものと食い違っていたら、という考えは浮かばなかった。自分の、ではなく人のを借りてだが、目で見た木口が殺される光景はあまりに鮮明で、疑う余地などなかった。
 どうすればいいのだろう。犯人は…わかっている。証拠も何もないが。次に狙われるであろう相手もわかっている。動機は今一つはっきりしないが。クスリで頭がいかれているのだろうか。それにしては妙にもってまわった犯行だ。もう少し発作的にかっとなって殺してしまったというのになりそうなものだが。
 ぼくは同窓会名簿を改めて確かめてみた。清川の名前はあったが、現住所と電話番号は空欄になっていた。実家を出たのは確からしいが、今どこに住んでいるのかは幹事にもわからなかったらしい。どうやって同窓会を開くことを知って会場に押しかけて来たのか、調べてみよう。それより先にもう一人の清川の元子分、橋本に警告しておいた方がいいかもしれない。小さな町のことだからもう木口が殺されたことを知って警戒しているかもしれないが。こっちは名簿に住所が載っている。あした行ってみよう。珍しく、目的があって外に出ることになりそうだ。
 ぼくは頭までふとんをかぶった。

 次の日は日曜日で、姉は朝食をすませると、また一人で出かけた。デートではないというし、女友達と一緒ということも少ないようだ。遠出して映画でも見ているのだろうか。ぼくには帰ってくる時間だけ知らせて、どこに行くのかはいちいち知らせない。
 とにかく、ぼくは橋本に電話した。こちらから人に電話するなど何年ぶりだろう。彼も休みで会社の独身寮にいて、すでに木口が殺されていたのは知っていた。
 話があると言うと、橋本はけげんそうな声を出し、あれこれ聞きただして来たが、電話で話せることではないからと昼過ぎに訪ねる約束だけとりつけて、そうそうに受話器を置いた。
 とはいっても、何をどう喋ればいいのかわからないでいた。誰が殺したのか、という見当くらい橋本の方でもついているだろう。ぼくが知っていることをそのまま話すわけにはいかない。
 考えてみると、中学の時も彼ら以外知っているはずのないことをぼくが知っていてうっかり話してしまったから、スパイではないか、チクリ屋ではないかと思われたのだった。彼らが誰をカツアゲしているか、何を万引きしているか、どこの自動販売機を壊してバラ銭をかっぱらったかのか、別に知りたくもないことに限って知ってしまい、そして知っていることは事実なのだから否定しようもなく、仮に否定しても信じようとはしなかったろう。
 今また警告したとしても、それをまともに信じるとは思えない。いまさらまたいじめられるということもないだろうが、感謝されないことは確かだ。また、警察にぼくに不利な証言をしそうな相手にわざわざネタをやるようなものではないか。そう考えるとばかばかしくなり、行くのをよそうかと思えてきた。
 お茶をいれたら、ふざけたことに茶柱が立っていた。どういう意味だろう。行けという意味なのか、行くなという意味なのか。
 ぼくは特にどこに行くあてもなく、とりあえず外に出た。
 ぶらぶらするにも、大して見て回るところなどない。結局、コンビニで立ち読みして時間をつぶした。昼食もコンビニのお握りで済ませたと思ったが、日曜のことで、タラコとシャケのという基本的なものしか残っていない。つまらないので、家に戻って食べた方が安上がりだと戻ってインスタントラーメンを作った。ぼくはカップラーメンは使わない。余計なゴミが出る。環境のことを考えているのではない、ゴミを出しに外に出るのがいやだからだ。一人暮らしならばゴミを溜め込んでいるかもしれないが、そうしたら姉の目にとまる。何も言わないだろう。その方が、文句を言われるよりこたえる。
 食べると腰が重くなり、改めて出かけるのが億劫になってきた。断りの電話をかけようか。それまた億劫だ。少し眠くなってきた。その時、突然発作が起きた。
(石垣が見える)
 身体は重く眠たがっていたが、頭は水をかけられたように突然冴えた。
 見覚えのある、荒く石を積んだ石垣が見える。なぜ、見覚えがあるのだろうか。
(そいつは石垣に近づいてくる)
 突然、思い出した。ぼくは、この石垣の前にいた。清水のいいつけで、鳥を撃ったボウガンを処分してこいと言われ、学校を出た。家から持ってきた金をむしられた上で。
(そいつは、石垣の石の一つを外している)
 ぼくが隠した、あれが…、
(ボウガンがあった)
 まだ、矢が残っている。 
(そいつの手が伸び、それをつかむ)
 突然、発作が薄れ、石垣の前から意識が遠のいた。
 奴がまた動き出したようだ。どこに行くつもりなのか。
 急いで、橋本のところに電話をかけたが呼び出し音ばかりで出ない。携帯の番号まではわからない。
 ぼくは急いで家を出た。橋本のいる独身寮へはどうバスを乗ればいいのかわからないので、タクシーを捕まえることにした。財布は自分のだけではなく、食料その他を買い込むためのキッチンの引き出しに共同に置いている財布を持ってきた。共同といっても、ぼくが中身を入れたことはなく、姉は帰りが遅いことが多いからもっぱらぼくが使っているのだが。ただ、私用に使い込むことはほとんどなかったが、今回は非常事態として許してもらうことにした。
 タクシーに向かって手を上げるとちゃんと停まったので不思議な感じがした。運転手に、ここに行ってくれと名簿にある橋本の住所を示すと、すぐにタクシーは走り出した。
 全身に普段かかる重力以外の力がかかる経験も久しくしたことがなかった。タクシーが加速したり減速したりカーブを曲がったりする時に身体にかかる力を、ぼくは楽しんだ。考えてみると、ぼくはもちろん自動車を運転できないし、小学生の時の父母と姉と四人のドライブからこっち、車に乗ることすらほとんどないのだ。
 前の家には車があったのに、父は家とともに処分してしまった。いや、処分したのは家より先だった。
 …違う。処分したのではない。母が事故を起こして使い物になってから、買い直さなかったのだ。
 タクシーがスピードを上げ、また意識がふっと身体から離れるような気がした。
(空の管理人室が見える)
 アパートか何かのではない。向こうには白塗りの飾り気のない集合住宅がある。
(独身寮か?)
 どうも、そうらしい。だとすると、これから行こうとしている、つまりまだ着いていない橋本の住処だろうか。
 まだタクシーは走っていた。
「まだ?」
 思わず言葉が口をついて出た。
「まだですよ」
 慣れた感じの、のんびりした口調だった。せかしてもムダだと悟り、ぼくはシートに深く座り、いつ発作が起きても取り乱さないように足を踏ん張るようにした。それから財布を出しておいて支払いに備えた。
 やがて、車が停まった。
「お待たせしました」
 ぼくは多めに出しておいた小銭で料金をぴったり渡し、相手が釣り銭を数える時間を省いてタクシーを降りた。
 ちょっと歩くと、見覚えのある建物が現れた。
(見覚えのある?)
 そんなはずはない。ここに来るのは初めてだ。しかし、白塗りの建物といい、空の管理人室といい、確かに見たことがある。
 ぐらっと寒気の混ざった眠気のような感覚に襲われた。
 門は中からも外からも誰も通らない。たまの休み、出かける奴はとっくに出かけているのだろう。
 橋本の部屋は二階のはずだ。
(階段を上っている)
 ぼくはまだ管理人室の前にいた。今は誰もいないが、見つかったらうるさい。ぼくは急いで構内に入った。
 外から見ると、洗濯物を干してある部屋もちらほら見られたが、たいていは人が住んでいるかどうかもよくわからない、がらんと殺風景な部屋が並んでいる。
(階段を上っている)
 まだ建物の中に入ってもいない。
(二階にいる)
 ぼくは混乱しながら玄関に入った。
(ドアの前にいる。橋本の部屋だ)
 ぼくは階段を上りだした。途中でめまいと吐き気がして、手すりにつかまった。ステンレスのパイプの軽い手触りがした。
(ドアが開き、橋本が顔を出す。こっちを見ても、あまり表情を変えない)
 踊り場でしばらく呼吸を整える。目の前がぐらぐらして、すうっと頭の中が暗くなる。壁によりかかって、やっと身体を支えた。
(まただ)
 頭の中に、そう響いた。
 何を考えているのか、言葉が形になって上から下に降りて行くが、読み取ることはできない。
(右に左に稲妻状に行き来する影)

 部屋の中を逃げまどう橋本だ。
 矢がまっすぐに橋本に向けられる。
 橋本が右往左往するのをやめる。大きく何か叫ぶと、手近なマンガ雑誌をこっちに投げ付けてきたが届かない。
 食らい付こうというのか、かっと口を大きく開けた橋本の顔が大きく迫って来た。と、その目から何か長いものが飛び出し、弾かれたように彼の身体が向こうにふっとんだ。目から物が飛びだしてきたのではなく、矢が目に刺さっていたのだ。
 彼がまた立ち上がろうとして膝が崩れ、血をしたたらせながら床を這いずり回るのを、じっと見つめ続ける。
踊り場の窓の外の木の梢の間から太陽がちらちらのぞいている。
 橋本が風呂場に突っ伏している。目に刺さった矢を引き抜こうとするが、
手で触れただけで電気でも流されたように七転八倒する。やがて片目から涙ならぬ血を流しながら、こちらを向く。残った目も爆発しそうに充血して膨れ上がっていた。
 毒がまわってきたのか、痙攣が始まる。不自由な身体でこちらにまとわりついてきたのを、荒っぽくはねのけると、橋本は蓋が開け放しになっていた湯舟に仰向きに落ちた。つるつる滑るのと、身体が痺れているのとで、顔を水から上げることができない。痙攣と暴れるのとでひとしきり水がはね、しぶきを上げ、口から泡を吐き、ひどく荒れた水面もやがて治まった。
 ゆらゆら揺れる血の混じった水を通して、人間ではなくなった青白い顔が見えている。
 水面がゆらめき輝いていた。
 まぶしくて、目をそらした。
 壁に石鹸で汚れた鏡がある。中をのぞきこんだ。
 ぼくの顔が写っている。

 目の前が真っ白になった。
 外で強い風が吹いたのか、木の梢が騒いでいる。その向こうで太陽があたりを呑み込もうとするように輝いていた。
 ぼくはまだ踊り場にいた。上る方なのか下りる方なのか、自分がどっちを向いているのかもわからないでいた。それがわかっても、上った方がいいのか下りてそのまま帰った方がいいのか、目をしばたたせながらいくらか迷った。
 あれはぼくの顔だった。バカな。幻覚か、あるいは犯人の顔がいくらか自分と似ていたから見間違えたのだ。そう思おうとした。
 しかし、清川の顔は見間違えようがない。服装はどうだったか。思い出そうとしたが、よく覚えていない。そうだ、犯人は手袋をしていた。ぼくは手袋などしていないし、持ってすらいない。そう思うと、いくらか落ち着き、上っていく気になった。
 上って行くと、見覚えのある廊下が伸び、見覚えのあるドアがあった。そっとノックしてから小声で、
「橋本、いるか?」
 と声をかけたが返事はない。それが当然に思えてドアに手をやりかけ、指紋がついたら面倒だと思い、ハンカチは持っていなかったので袖を伸ばしてそれで包むようにノブをつかんで回した。
 鍵はかかっていなかった。物音がしないようにドアを閉めて中に入ると、ひどく散らかった部屋のようすが目に入った。前に進もうとすると何かが足にひっかかったので見ると、マンガ雑誌が落ちている。
 浴室を覗いて見た。ゆらめく水面の下に、人形になったような橋本の片方の眼に矢を突き立てた顔が見えた。
 ぼくは、壁の鏡を見た。さっき見た通りの石鹸で汚れた鏡がそこにあり、ぼくの姿を写していた。
 どうやって部屋を出て、廊下を通って、階段を下り、玄関を出て建物から出たのか、覚えていない。 
(6)に続く

 

「ブラックアウト」(6)

2005年03月01日 | ブラックアウト(小説)
(5)より続く

なぜ姉に話したのか、よくわからない。いつもは何も話さないのに、よほど混乱していたのだろう。
「ばかばかしい」
 橋本の部屋で見たものについてのぼくの話を姉は一笑にふした。いや、にこりともしないで言下に否定した。ぼくは珍しく逆らって、いや確かに見たんだと力説した。
「あの、人殺しの現場、あれは他人が見ていたものをテレパシーか何かで見ていたんじゃなかったんだ。自分がやったことを後で思い出していただけなんだ」
「また酔っぱらって記憶が混乱しているんじゃないの?」
「酒なんて飲んでいない。二日酔いしてすぐ後に飲むんじゃアル中だよ」
「じゃあ、夢でも見ていたんでしょう。あんたに人殺しなんてできるわけがない」
と、ちょっと口の脇を上げるようにして笑った。
「動機だって、俺にはちゃんある」
「だから、できるの? あんたに」
 あまりににべもない姉の調子に、ぼくは話をまったく変えることにした。
「探偵が犯人ってパターンになってきた」
「なんですって?」
「推理小説の意外な犯人のパターンの一つだよ」
「誰が小説の話してるの」
「もののたとえ」
「だったら聞くけど、その凶器というのはどこにあるの。ここにないのは確かだけど」
「心当たりがある」
「どこ」
「今は言えない」
「もったいぶって」
「橋本は本当に殺されてたよ」
 姉の顔がこわばった。
「警察に言う?」
「ぼくが着く、すぐ前に」
 姉が小さな悲鳴をあげた。
「なんて、危ないことを。犯人とかちあったら、どうするの」
 ぼくは、黙っていた。
「2度と、超能力ごっこで危ない真似しないで」
 黙ったまま、うなずいた。

 だが、ぼくは翌日、あの石垣がどこにあったか調べるために、朝、姉を送りだしてから、学校の近くに行った。
 裏門の前に立ったが、なつかしさはなかった。この中で清川に持ってきた金を取られ、代わりにまだ矢のついたままのボウガンを処分しに行ったのだろう。この近くで石垣のある場所というと、H神社のだろう。
 ぼくは神社に向かった。相変わらず人気がなく、印象はまったく変わっていない。石垣の前に来ると、発作が起きた時の記憶と全体として一致する。どのあたりに隠したか歩きながら記憶を探っているうちに、足が動かなくなった。
 まるで、足が地面にひっついたように動かない。
 あれ? あれ?と思って用意していた弁当に手を伸ばそうとしても、それもできない。眼も動かせない。と、視界に入った石垣のうちの一つの石に気付いた。あの石を外すと中に空間がある、あそこに隠したのだ、と思い出した。そういえば、ここは小さい時の遊び場だった。それでそんな仕掛けを知っていたのだ。
 誰か来てくれ、と内心叫んでいると、人の気配が背後に近づいてきた。助けを呼ぼうとして、それが犯人かもしれないと突然思い至って背中に冷たいものが走った。だが、その人物は別にこちらに注意を向けるでもなく、歩き去っていった。ちらと視界に入ったのは、腰にタオルをぶらさげた農夫だった。
 内心じたばたしているうちに、日が傾いていた。まさかと思ったが、確かに日の光の色が変わってきている。
 人通りはない。助けを呼ぼうにも声も出ない。まさかこのままずうっと動けないのではないかと恐怖を覚えた。
 虫の鳴き声が高まった。こんなに長い間じいっと突っ立っている男を見たら、誰しも不審に思うだろう。
「どうしたんですか」
 急に声をかけられ、ぼくは振り返った。さっきの農夫らしい人が立っている。
「いえ、突然金縛りにあって」
「金縛り?」
 そう言ってから、自分が動けたことに気付いた。
「いえ、もう解けました。ありがとうございました」
と、言ってぼくはその場を離れた。
 戻りながら、後でここで不審人物がいたという目撃証言を警察が得た時、もろに自分がその対象になるだろうと思うと、胃の辺りからいやな感じがこみあげてきた。
 すでに暗くなりかけている。姉が帰るまでに間に合うだろうか。
 突然、発作がきた。
(街を歩いている)
 そいつがまた、獲物を探しているのだろうか。警察に連絡した方がいいと思いながら、そいつが誰でどこをうろついているかもわからないのでは警告も発しようがない。ぼくは懸命にそいつの視野に入るものを見ながら、どこを歩いているのか知ろうとした。
(踏みにじられて二つに折れたタバコの吸い殻)
(暗渠の蓋の隙間にたまった土から生えた雑草)
(缶コーヒーの自動販売機)
(電柱に張られた広告)
(取り壊し中のコンビニ)
(ベージュのジャケットと黒いスカートの若い女性が、ポストにいくつも封筒を入れている)
 ポストがあって、閉店したコンビニがあった場所というと…うちの近くじゃないか。今日も出てくる時にちらりと見た覚えがある。
 あの同窓会で、清川は橋本と木口と大喧嘩し、姉に言い寄って手酷くはねつけられた。昔の仲間の二人を殺したのだとしたら、あとの…。
 呼吸が止まった。
 急がないと。携帯を持っていないことを、これほど後悔したことはない。
 足は動いているのだが、さっきのようにこわばって一歩も動けないようだった。
(駐車場が見えた)
 その先の、黄色い花が咲いたアパートのニ階に、姉とぼくの部屋はある。
(駐車場を過ぎた)
 自分が走っているらしいことに気付いた。
(黄色い花が見えた)
 頼む、通り過ぎてくれ。
(アパートに向かう)
 行け、あっちに行け。
(蹴つまずいたらしい、視界が揺らいだ)
 そのまま地面に頭から突っ込め。
(体勢を立て直し、2階に向かっていく)
 ぼくは、まだ姉が帰っていないことを祈った。
(見慣れた部屋が見えた)
 まだ薄明るい中、明かりがついている。
(ドアが迫ってくる)
 気がつくと、ぼくもアパートの前にいた。階段を駆け上がり、部屋に突進する。
 危険を感じ、ドアの前でいったん立ち止まった。そして、中の気配をうかがい、そっとノブを回す。ドアを引くと、鍵がかかっていない。
 部屋の中には、ひと気がなかった。そうっと入っていき、台所に立った。寝室をうかがうと、柱の影から畳の上に横たわった脚が見えた。剥き出しになった女の脚だ。
 ぼくは、ゆっくりと寝室に入っていった。心臓に矢が刺さった姉が、畳の上に横たわっている。傍らには、ボウガンが転がっている。ぼくは、姉の首筋に手をやった。脈は完全に止まっている。硬直もしているようだ。
 ぼくは、ゆっくりと眼を閉じ、また開けた。
 何かが、砕けた。
 ぼくがなすべきことは決まった。
 ボウガンにはまだ矢が残っている。なぜ、犯人は凶器をわざわざ残したのだろう。それも矢を残して。
 形跡を見ると、姉に抵抗され、とびつかれて至近距離で矢が出てしまい、そのまま慌てて凶器を回収する暇もなくて逃げ出したのかもしれない。
 あるいは清川が中学の時ぼくに金を持ってこさせた上に小鳥を撃った凶器を処分させたように、念には念を入れて、姉を殺してそれでも復讐できない憶病者とせせら笑うつもりか。
 いずれにせよ、清川、おまえを殺す。
 殺意だけが、頭を占めていた。 
(7)に続く


「ブラックアウト」(7)

2005年03月01日 | ブラックアウト(小説)
(6)より続く

だが、実際に自分がやるとなるとなかなか決心がつかなかった。
 清川の居場所はすぐ調べがついた。
 同窓会にああいう現れ方をしたから、今ヤクザでもしているのかと思うと意外なことにぼくと似たような生活をしていた。
 親に離れの一部屋を与えられ、日がな一日たったひとりで閉じこもっているらしい。
 外出はほとんどしない。食事は親が作って部屋の外に置いていく。よく通信販売で買った荷物が届く。
 近所の人に話を聞くのに、ぼくが中学の同級生だというとあまり警戒しないで答えてくれたが、「おとなしい子」という表現が話の中に出てきたのは毎日殴られ蹴られた身としては、違和感があった。
 そうまで分かっても、清川がほとんどいつも部屋に閉じこもっているのでは、手の出しようがない。近所の人の話だと昼間はまるで外出しないというので、朝どこからか帰ってくるのを見たことが何度かあるという。
 いつ外出するのか、じっくり偵察して確かめる必要がある。焦りは禁物だ。
 腹ごしらえしようと、家のコンビニに入って歩き回っているうちに酒が眼に入った。忘年会で味わった酩酊感を思い出すと、ビールと日本酒何本かにひとりでに手が伸びた。
 街に出て、人目を避けながら飲み干した。
 酔いがまわってくる。
 ぼうっとしながら歩いていると、隣に並びかけた者がいる。
 横を見ると、姉がいた。
 姉は言った。
「何をするつもりなの」
「奴を、清川を殺す」
「それだったら、飲んでる場合じゃない」
「なんで」
「これから清川が出かけるからよ」
「どこに」
「来てみれば、わかる」
 ぼくは、姉と一緒に深夜の清川の家に戻った。
 見張っていると、両親が寝静まったのを見計らってか、清川がそっと出てきた。手にゴルフクラブを持っている。
「いつもあの父親のお古のクラブを持っていくの」
 姉が小声で言った。
 後をつけると、顔を隠した清川は公園に入っていった。青いビニールシートで覆われた即席の家がそこかしこにある。見ていると、清川は躊躇せずその一つの中に入っていく。姉と並んで息をひそめていると、ガス、ドス、というような鈍い音がテントの中から響いた。それとともに、長い、弱々しい、しわがれたような呻き声が聞こえてくる。
「なんだい、あれ」
「あいつ、あの中にいる、ここで一番気の小さいホームレスの人を殴ったり蹴ったりしてる」
 ぼくは、黙った。
「中学の時、あなたをねらい撃ちしたようにね」
 首筋のあたりがカッとなるのを感じた。
「最近は仲間が集まらないものだから、さらに歳をとって抵抗できない人をね」
「とめないのか」
「とめるわよ、もちろん」
 だが、姉に動く気配はない。
「あいつは、いつも殺すまでのことはしないから」
「それを毎日繰り返すんだ」
 やがて、清川がテントから出てきた。来た時とは逆に、こっちに向かってくる。
 姉が右手を上げた。そこには、いつのまにかボウガンが握られていた。ごくコンパクトな作りとはいえ、姉の華奢な手の上でそれは、不吉な鳥が飛び立とうとしているように見えた。
「それを、いつのまに」
 ぼくが言うより早く、引き金が引かれた。しゅっと空気を切る音がして、
放たれた矢が清川の眼に刺さっていた。
 清川は悲鳴をあげかけた。ぼくは弾かれたようにとびつき、口を押さえた。清川はものすごい力で暴れ出した。むりやりそれを押さえつけているうちに、半ば首を絞めるようにしていた。やがて、清川の体から力が抜け、ずるずると地面に横たわっていった。
 他に人の気配はなかった。
 テントから人が出てくる気配もなく、姉の姿も消えていた。
 急いで公園から出た。
 明け方のがらんとした街に、他に人影はなかった。
 夢でもみていたのだろうか。ぼくは、家に急いだ。
 階段を小走りに上がり、急いで鍵を開けて部屋の中に入る。
 やはり、姉はさっきぼくが寝かせた通りにふとんに横たわっていた。
(夢だったのか?)
 だが、清川を締め上げた時の触感はまだはっきり腕に残っている。
 それ以上、姉を見ていられず、ぼくはまた外に出た。
 コンビニに入ると、ビールのロング缶を買い、店の外に出てその場をあおった。すぐに頭の芯が痺れてきた。今のが夢だとすると、清川は、犯人はまだ大手を振って生きている。それでも構わないではないか。
 一缶目はすぐ空になった。すぐ同じ店にとってかえすのは避け、別の店を探して今度はビールと缶チューハイをまとめて買った。飲みながら、街を歩いた。次第に朝があけ、人々が活動を開始しても、転々と場所を変えながら飲んだ。自動販売機のそばで、さも缶ジュースでも開けているようなふりをして酒をあおり続けた。なくなると、また別の店を探し、バスに乗って場所を変え、同じコンビニでも店員の交代時刻を見計らって入り直し、ひたすら飲んだ。
 飲んで頭が痺れていると、みるみる時間が経っていく。ときどきコンビニに入って立ち読みし、また街をぶらぶらし…。たちまち日が陰り、ぼく以外にも酔っぱらいが目立ちだした。

「おい、起きろよ」
 肩をつかまれ、揺すられた。
 背中が冷たい。固いものに押しつけられていて、あちこちすれたような痛みを感じる。
「起きろって」
 真っ暗だった。目をつぶっているかららしい。粘りつくような瞼を上げて、目を開いた。
 上から丸まっこい塊が下がっている、と見えたのは制帽をかぶった警官の顔だった。後ろにはまだ暗い、青みがかった空が広がっている。
 ぼくは頭をもたげた。警官が、ぼくの肩の下に手を入れ、起き上がらせてくれた。
「こんなところで寝て。風邪ひくぞ」
 そう言われたとたん、身体の芯まで冷えているのに気付き、鼻をすすった。
「立てるか?」
「はい」
 声を出してみると、問題なく出た。喉も痛くなく、声もかれていないようだ。
 警官が貸す手から逃げるように、ぼくはできるだけ急いで立ち上がった。少しふらついたが、立っていられる。
「あまり若いうちから飲み過ぎるな」
「はい」
 神妙に答えた。
「帰れるか?」
「大丈夫です。帰れます」
 言うより早く歩き出していた。警官が追ってくる気配はない。よくあることなのだろう。
 …待てよ。こんなこと、前になかったか?

 バスに乗って家の近くに戻ると、急ぎかけて、石畳に少し蹴つまずいた。頭が振れ、全身がひやっとした感覚に包まれた。
 気付くと、またぼくは道に倒れていた。
(またか)
 立ち上がって、また妙な感覚を覚えた。
 こんなことも、前になかったか?
 胸騒ぎを覚えながら、部屋の前に来た。
 鍵を開けようとしたら、かかっていなかった。かけ忘れていたらしい。
 中に入り、台所に立った。
 しばらくそのまま立ったままでいる。
 隣の部屋を見た。
 姉が立っている。ボウガンを構え、ぼくに狙いをつけている。
 ぼくの顔が見えた。姉の眼が見ている、ぼくの顔が見えた。
 その時、やっとわかった。
「なぜ?」
「なぜ? 日なが一日部屋に閉じこもって、ひとに働かせて、殺したくならないと思わないと思う?」
「でも、なぜ他の三人も?」
「それでも一応、身内だからね。仇はきっちりとっていくことにした」
「なぜ、ぼくと相談しなかった」
「相談してどうにかできた? 何もできないくせに」
 そう言われると、一言もなかった。

 木口を殺したのは姉。殺している情景を、ぼくは姉の眼を通して見ていた。違うのは、リアルタイムで殺人現場を見ていたのではなく、
「あの、人殺しの現場、あれは他人が見ていたものをテレパシーか何かで見ていたんじゃなかったんだ。自分がやったことを後で思い出していただけなんだ」
 と、自分でもわかっていたように、後になって記憶から呼び覚ましたものだったことだ。
 橋本を殺したのも姉。同じく殺している情景を、姉の眼を通して見ていた。
 現場の鏡に写ったぼくの顔は、後になって現場にかけつけた時に見たものだ。本当なら、ぼくが橋本を殺すべきだった、と思いながら見た自分の顔だった。だからその記憶が後になって記憶の列にはめこまれた。
 だから清川殺しには、ぼくも加わった。姉もぼくに共犯になるのを許した。
 そう、すべてはもう起こってしまっていたのだ。
 いや、まだ残っている。思い出したくはないが。姉はボウガンをぼくに向けている。だが、これからぼくに向かって引き金を引くことはない。自分に向かって引くのだ。
 ぼくはその光景を見ていたはずだが、どうしても受け入れることができないでいる。
 姉はなおも手の上に鳥をとまらせるようにボウガンを構え続けている。だが、その手から“鳥”が羽搏き飛び立つのを見ることは、決してあるまい。
(終)