ストーリーがラリー・コーエンなので、公衆電話周辺に限った「フォーン・ブース」(では脚本担当)の姉妹編みたいなものかと思ったが、シンプルなワン・アイデアを細かいアイデアを膨らませて詰め込むやり方は、近頃珍しいB級らしい作り。
ムダに2時間を越す映画が多い中、上映時間1時間35分と聞くとそれだけで手を合わせて拝みたくなる。
階段の途中でちょっとでも動いたら電波が途切れそうになったり、バッテリーが切れそうになったり、トンネルに入りそうになって慌てて引き返したりといった、考えられるケースを次々と丹念に生かしている知恵の使い方がいい。
金魚鉢を壊して悪人の気を引き付けるシーンが終わった後、ちゃんと金魚が小さい容器に移されて生きているところを見せる(それも特に強調しないで)というあたり、芸が細かくて嬉しくなる。あまりムダに人が死なないのもいい。
イヤミな弁護士(アメリカ映画では、本当に弁護士のイメージが落ちた)が文句をたれている後ろでその車が盗まれる、横長のサイズを生かしたマンガ的な構図のおかしさ。
警察に頼れなくなる設定の仕方、事件の背景をビデオ映像で説明ぬきでわからせてしまう経済的な語り口。
クライマックスで誘拐された連中があまり絡まない、ややムダにドンパチやカーアクションが入っている、のは残念だが、CGや爆発のアトラクションをむやみと詰め込んだバカでかくて大味なステーキみたいな映画が幅をきかす中、きちっとできた定食みたいでほっとする。
ただ、これくらいの出来と作りの映画は、前は珍しくなかったのだが。
(☆☆☆★★)
セルラー - Amazon
ムダに2時間を越す映画が多い中、上映時間1時間35分と聞くとそれだけで手を合わせて拝みたくなる。
階段の途中でちょっとでも動いたら電波が途切れそうになったり、バッテリーが切れそうになったり、トンネルに入りそうになって慌てて引き返したりといった、考えられるケースを次々と丹念に生かしている知恵の使い方がいい。
金魚鉢を壊して悪人の気を引き付けるシーンが終わった後、ちゃんと金魚が小さい容器に移されて生きているところを見せる(それも特に強調しないで)というあたり、芸が細かくて嬉しくなる。あまりムダに人が死なないのもいい。
イヤミな弁護士(アメリカ映画では、本当に弁護士のイメージが落ちた)が文句をたれている後ろでその車が盗まれる、横長のサイズを生かしたマンガ的な構図のおかしさ。
警察に頼れなくなる設定の仕方、事件の背景をビデオ映像で説明ぬきでわからせてしまう経済的な語り口。
クライマックスで誘拐された連中があまり絡まない、ややムダにドンパチやカーアクションが入っている、のは残念だが、CGや爆発のアトラクションをむやみと詰め込んだバカでかくて大味なステーキみたいな映画が幅をきかす中、きちっとできた定食みたいでほっとする。
ただ、これくらいの出来と作りの映画は、前は珍しくなかったのだが。
(☆☆☆★★)
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山田洋次の「虹をつかむ男」で、映画館のドアが内開きになっていたのには驚いた。
映画館に限らず、大勢の人が集まるところのドアは必ず外開きだ。そうでなかったら、火なり地震なりで避難する時、後ろから押し付けられてドアが開かなくなってしまうではないか。撮影所の人間は映画館に行っていないのだろうかと疑ったくらいの凡ミス。
ついでにウンチクをたれますと、銀行の扉は必ず内開きです。強盗が入った時、外開きにしておくと、そのまま扉を突いて開けて逃走してしまいますからね。内開きにして、いったん立ち止まらせて、わずかでも時間を稼ぐようにしているわけです。
先日、落とし物を取りに行って気付いたけれども、警察署もそうだった。
ホテルの客室の扉も内開きです。廊下に向かっていきなり扉を開けたら、誰にぶつかるかわかりませんからね。
ビリー・ワイルダー(合掌)の「深夜の告白」で、外に開いたホテルのドアに人が隠れるシーンがあったけれど、これは知っていてついた映画のウソ。ワイルダー自身、誰も気がつかなかったとうそぶいている。
三谷幸喜の「みんなのいえ」で、デザイナーと大工が玄関のドアを外開きにするか内開きにするかでもめたが(ワイルダーを真似したかな)、なんでそうするのかという理由付けがないので、なんだか物足りなかった。
森村誠一の「東京空港殺人事件」でも外に開いたドアに隠れて隣の部屋に出入りするという場面がありますが、これはまったくの偶然(それも二回も!)という設定なので、ウソがバレバレ。似たような“ミス”であっても、扱い次第でただの欠点か劇的効果を優先したウソか分かれるということになる。
映画館に限らず、大勢の人が集まるところのドアは必ず外開きだ。そうでなかったら、火なり地震なりで避難する時、後ろから押し付けられてドアが開かなくなってしまうではないか。撮影所の人間は映画館に行っていないのだろうかと疑ったくらいの凡ミス。
ついでにウンチクをたれますと、銀行の扉は必ず内開きです。強盗が入った時、外開きにしておくと、そのまま扉を突いて開けて逃走してしまいますからね。内開きにして、いったん立ち止まらせて、わずかでも時間を稼ぐようにしているわけです。
先日、落とし物を取りに行って気付いたけれども、警察署もそうだった。
ホテルの客室の扉も内開きです。廊下に向かっていきなり扉を開けたら、誰にぶつかるかわかりませんからね。
ビリー・ワイルダー(合掌)の「深夜の告白」で、外に開いたホテルのドアに人が隠れるシーンがあったけれど、これは知っていてついた映画のウソ。ワイルダー自身、誰も気がつかなかったとうそぶいている。
三谷幸喜の「みんなのいえ」で、デザイナーと大工が玄関のドアを外開きにするか内開きにするかでもめたが(ワイルダーを真似したかな)、なんでそうするのかという理由付けがないので、なんだか物足りなかった。
森村誠一の「東京空港殺人事件」でも外に開いたドアに隠れて隣の部屋に出入りするという場面がありますが、これはまったくの偶然(それも二回も!)という設定なので、ウソがバレバレ。似たような“ミス”であっても、扱い次第でただの欠点か劇的効果を優先したウソか分かれるということになる。