prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「シリアナ」

2006年03月30日 | 映画
「何を」描いているのか、さっぱりわからない。この場合の「何」とは、テーマとか文化的背景という意味ではなくて、描写の具体性そのものだ。

たとえば、砂漠の一本道での暗殺シーンで人工衛星から見ながらアメリカの作戦室の連中が「あと何マイル」とか言っていて、いきなりカットが代わり砂漠の中の車がどーんと爆発する。何が車にぶつかったのか、爆弾なのか光線か何か使ったのか、誰が操作したのか、さっぱりわからない。
これでは、映画の描写として成立していないではないか。

他に、各界の偉いさんたちがそれっぽく陰謀をめぐらしているらしいセリフを言ったりしているのだが、どこにどう手を回しているのか、金を誰に渡し誰を消しているのか、その陰謀の実相がまるでわからない。
余談だが「腐敗は正しい」「腐敗が富を作る」といった繰り返しは「貪欲は正しい」「貪欲は…」と繰り返した「ウォール街」のパクリっぽい。もっともその「ウォール街」のセリフも、アイヴァン・ボウスキーの実際の演説のパクリだが。

「トラフィック」で味をしめたらしいやたら大勢のキャラクターが交錯する作りだが、手を広げすぎて焦点がどこにも合っていない。
支配層の連中が陰謀を巡らしているとか、腐敗しきっているとかは、わかりきったことだ。それが具体的にどうなのか、一向に描けていないのでは意味がない。

「誰」と「どこ」ばかりが豊富で、「何」が抜けた新聞記事みたいだ。
思わせぶりにも、程がある。
(☆☆★★★)

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