prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「記憶の棘」

2006年11月01日 | 映画
十年前に亡くなった夫の生まれ変わり、と称する十歳の男の子が二コール・キッドマン扮する再婚直前の女性につきまとう。

謝罪するよう親に命じられた男の子があくまで拒絶し続けたあげく失神するのをキッドマンが目撃してしまうところでどーんと音楽がかかり、その曲が続く演奏会にずれこんで、しかし演奏しているだろうオーケストラの姿を見せず、遅刻して席についたキッドマンのアップだけにかぶって内心の揺れをありありと表して長々と流れ続ける演出など、キッドマンの無言で長回しに耐えた演技とともに冴えていて、全体にヴィジュアルも音の使い方もすこぶる統制がとれている。
舞台になるニューヨークのアッパー・ミドルクラスの取り澄ました生活の雰囲気がよく出た。

一方で、ホームコンサートでブチ切れた婚約者が子供につかみかかる突発的な暴力の描き方など、キッドマンが出ているところからの連想もあってキューブリックの「バリー・リンドン」を思わせる。
子供が足をばたばたさせる苛立たしい効果も共通しているし、オープニングの大移動撮影といい、案外真似たのかもしれない。

生まれ変わり、と称する十歳の男の子の側から、死後の世界を肯定して描いたらそれなりにロマンチックな物語にまとまったろうが、あくまでこの闖入者に戸惑い続けるニコール・キッドマンの妻と家族、それから婚約者の側から描いているので、あくまで生まれ変わりを主張するのがいささか身勝手で迷惑なものに写る。
いったい、生前の前夫ってどんな性格だったのだろうと思っていると、思わぬ形で知らされることになる。伏線の張り方も納得がいくもの。

全体に死後も愛は滅びないとでもいった感動狙いではなく、もっと知的な突き放したタッチで、次第に妻が生まれ変わりを信じていく過程も、ロマンチックであるより愚かしく見える。
愛のエゴイズムと盲目性に焦点をあてたよう。

原題は‘Birth’だが、「棘」とつけた邦題は意外と感じを掴んでいて、どこか喉に小骨が刺さるよう。脚本にブニュエルとのコンビが有名なジャン=クロード・カリエールが参加しているのが目を引く。
(☆☆☆★)


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